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【後半】「男性か女性か」という価値観に一度あいた風穴、もう止まらない(2022年wezzy掲載)

今回の記事は、2024年4月でサービス終了した株式会社サイゾーが運営するWEBマガジン「Wezzy」にて、2022年に掲載していたものです。

前回のエピソードはこちら↓

多様な性自認を前にしての戸惑い

交流会は古いアパートの空き部屋で行われた。男女比は不明。パッと見では、元の性別がよくわからない人が多かったからだ。年代は10代から50代超といったところ。見慣れない見た目の人ばかりだからだろうか、私は人と目が合うのが怖くて、スマホばかり眺めていた。

定刻になり、交流会は自己紹介からはじまった。主催者から時計回りに、呼ばれたい名前と、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)を発表していった。

「男性でも女性でもない」
「男女どっちでもあります」
「男性の日、女性の日、自認は日替わり」……など。

私は居心地の悪さを覚えた。男性は男性で、女性は女性ではないのか? なかなか理解が追いつかなかった。そんななか、いかにもトランスジェンダーという人が目に入った。30代半ば。戸籍上は女性だが、男性として会社勤めするAさんだ。

Aさんは、数年前から男性ホルモンによる治療を始めたと言う。華奢ではあるが、声は低い。街中で会っていたら、元女性とは想像だにしなかっただろう。恋愛対象は男性だと、Aさんは教えてくれた。FtMゲイは本当にいたのだ。

しかし、男性として生きているのに、なぜXジェンダーの集まりにやってきていたのだろう。

「僕は、今までXジェンダーを名乗っていたんだ。男性と言い切れなかったのは、男性として生きる自信を持てなかったからだと思う」

自信……。性自認に、自信が必要なのだろうか? 私は自分のことを棚にあげて、ひどく意地の悪いことを思った。そんなに悩むなら、やっぱり女性なんじゃないの? と。

だが、「男性になる自信がない」という言葉は、いまも私の胸にひどくつっかえたままだ。

性とは何なのか? そもそも、私は自分のジェンダーを一体どう捉えているのか? じっくり考え直してみた。

性には大きく分けて4つの側面がある

SOGI(ソジ)という言葉を聞いたことはないだろうか。Sexual Orientation & Gender Identity(セクシャル・オリエンテーション、ジェンダー・アイデンティティ)の頭文字をとった言葉で、日本語では「性的指向と性自認」。SOは性愛やセックスの指向を指し、GIは自分の性のアイデンティティをどう捉えるかを示す。

つまりXジェンダーは、GIを表す言葉だ。自分自身の性を既存の男女にとらわれることなく自認する人々がインターネット上で使いはじめた、日本生まれのものだそうだ。このXジェンダーの状態、実は英語圏ではかなり細分化されている。男女どちらでもない「ノンバイナリー」はよく知られている言葉だと思う。「LGBT」以外に多岐に渡る、性を表す言葉がある。

その一部を、視覚的に表現したものが「プライド・フラッグ」だ。

性的少数者を表す言葉は多岐に及ぶ

性的マイノリティを表す言葉は、調べれば調べるほど実にさまざまな表現がある。その多様さに、私は頭を抱えてしまった。言い出したらきりがない! こんなに際限ないのならば、もう男性か女性かの二択のままでいいんじゃないか? そんな混乱から開放されたのは、ある考えを知ってからだ。それは「性は境界線のないグラデーション」というもの。この図を見てほ
しい。

指さす場所でアイデンティティを表す(筆者の場合)

性は大きく分けて4つの側面があり、ひとりひとり異なる形があると考えられている。ぜひ自分はどうか指差してみてもらいたい。
例として、私自身のことを書き入れた。性的指向の部分だけはブレずに「男性!」と指差しできるのだが、それ以外はあくまでも、いま時点でのものだ。戸籍上の体は女性だが、男性ホルモンを入れたりしたら、真ん中にズレこみそうだ。性自認についても、初めてこのパロメータを見たときには、自信を持って「男性」と指差すこともできなかった。さて、あなたはどう
だろうか(ちなみに、性的指向の強さ、恋愛感情の強さも人それぞれだと言う。性的に人をまったく好きになれない A(ア)セクシャル、セックスはできても恋愛感情はわかないA(ア)ロマンティック、なんていうのもある)。
こうやって戸籍上の性と、性自認と、性的指向を切り分けたことで、私はごちゃごちゃになっていたジェンダー観を見直すことができた。私には思い込みがあった。それは、性自認が男性である人は必ず性的指向が女性に向く、というものだ。その理屈では、ゲイやレズビアンの存在を否定することになってしまうじゃないか、と自分のなかの偏見に気づきゾッとした。

性的指向と性自認を切り分けて考えることに納得感は得られたものの、やはり自分が当事者だと思えなかった。何か違いがあると思っていた。そこに、自分を「ニセモノ」だと思っていた、もうひとつの理由がある。

私は、性別適合手術(SRS)をできれば受けたくないと思っていた。FtMにとってのSRSは子宮の切除や、女性器から男性器に形成しなおす手術だ。正確にはSRSは全身の手術全般を指すが、乳房切除術は「胸オペ」、下半身の手術は「SRS」と区別することが多い印象だ。私は後遺症への不安が大きい一方、見た目が変わっても精子は出せないし……とメリットをあまり感じられず、積極的になれなかったのだ。

けれど、メディアで見る当事者たちはみな、手術を切実に望んでいた。そこまで望まないと「ホンモノ」じゃないのだと、私は自分を責めていた。SRSを受ける人たちと自分とのあいだに、絶対に超えられない境界線があるはずだと思っていた。

その後、私はSRSを受けた人と対話をする機会を得る。

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