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粒立てる〈エッセイ〉
今日もエレベーターの扉が開く前から、犬が鳴く声が聞こえる。
扉が開くと犬のボルテージはさらに上がり、
キャンキャンと鳴き声はより甲高く、
ドアをカリカリと引っ掻く音も忙しない。
私は申し訳ない気持ちでそのドアを横目に、自宅に入る。
犬は途端に黙り、あからさまに落胆しているのがドア越しにも伝わる。
半年前に引っ越してきたお隣さんの犬に、まだ会ったことはない。
トイプードルということは取材済み。
シュナウザーじゃなくてよかった。
我が家のシュナウザーカップル、メメとキチが旅立って
7年(メメ・雌)、8年(キチ・雄)経つが、
街でシュナウザーを見かけると、まだ可愛いと同じぐらい悲しい。
至近距離に来たら泣いちゃうかもしれず、
お隣さんも困ったに違いない。
キチメメがまだ元気だった頃。
我が家のリビングのソファに、
まん丸で小さな一粒のうんちが置かれているという
謎の現象が続いたことがあった。
『一粒ミステリー』。
ソファのクッションをひっくり返しても、
見つかるのはいつも、たった一粒。
お散歩のときにはしっかりしたものをするし
お腹の調子が悪くてお家でするときも、
きちんとおトイレでする子たちだった。
一粒の、なぜ。
存在を疑うも、間違いなくそれ。
私のいない間に誰かがこっそり供えたように置かれた一粒を
毎日拾い続ける日々が、半年ほど続いた。
それは姪っ子が泊まりにきた日だった。
インターフォンが鳴り、姪っ子の膝の上で甘えていたキチが
いつものように反応して「ワン」と吠えた。
続いて、姪っ子が「キャッ」と叫んだ。
彼女の膝の上には、艶々した一粒。
「ワン」と吠えたときに「ポン」と飛び出たと、姪っ子は証言する。
商店街のくじ引きみたく。
結局、決定的瞬間の目撃は姪っ子のその1回だけ。
私はその決定的瞬間を見ることなく、キチはメメの待つお空へ行ってしまった。
子供たちが手を離れ、犬もいない我が家。
そんな可愛いハプニングはめっきりと減った。
私は毎日邪魔されず家事をして、
予定通りに仕事をこなし、ひとりで眠る。
安泰を求めながらも、平凡に覚えるちょっとした退屈さ。
平凡を諦めず、
平坦にみえる些細な起伏を言葉に起こして彩るのがエッセイならば、
稚拙と感じる文は退屈な自分が理由なのではないかと考える。
一粒を粒立てずとも、日常は鮮やかと、自分の筆で気づきたい。