自転車で世界100カ国目に突入、浅地 亮さんvo.3🚴♂️
セルビアでの自転車奪還劇で、さらに盗まれるわけにはいかない宝物になったね。
そもそも、自転車旅にこだわる理由は?
「自分の筋肉で進んで、その場所に辿り着いたという実感が欲しい。行きたいところにいきなり飛行機や車で到着するのと、そこまで自分の足で自転車を漕いで辿り着いたのとでは感動が全然違う。自転車は、ちょうどいい速度で景色が流れ続け、よそ見もできて、立ち止まることもできる。地元の人も大荷物を積んだ自転車に興味を持ってくれて、目線も近くなるから、そこからコミュニケーションが始まることもあったりして」。
写真で見ると確かに大荷物、その中身が知りたい。
「自転車を修理するための工具、タイヤのスペアチューブ、寝袋、小さいテント、本当に小さい鍋とコンロとフライパンなどの簡単な調理道具、着替え、防寒ウエア、電子機器かな。暑さと寒さの振り幅が半端ないから、着替えは全天候に対応できるものを用意。寒さには人一倍強い方だとは思っている。胃腸も丈夫でお腹を壊すこともないから旅向きの体みたいだね。最近は地図もスマートフォンでチェックする方が正確で便利だったりするから充電環境も大切で、自転車の前輪に発電装置を装着。ハブダイナモというもので、少し改造してモバイルバッテリーとスマホを充電できるようにしている。充電に縛られる時代になってしまった感はあるけれど、これは仕方ない」。
1日にどれくらい走るの?
「それも気分や天候にもよるけれど、明日は120㎞、明後日も120㎞ほど走る予定。まったく移動せずに、散策するだけの日もある」
お金の携帯はどうしている?
「旅の資金は銀行に入れて、国際キャッシュカードで現地でおろすようにしている。キャッシュレス化が進んでいる国も多いから、だんだん現金が不要にはなってきているけどね。もちろん、そんな文化が一切届いていない国もたくさんあるけれど、そこは勉強して情報を仕入れて対応するようにしている」。
いくら節約旅行とはいえ、スタート地点までは飛行機を使うし、
ときには宿に泊まるし、数年間も旅をしていれば食費も結構かかりそう。
浅地くんの旅資金の調達法が知りたい。
「旅の資金は、日本に帰国したときに肉体労働で稼いでいる。1、2年休みなしで働いて、3、4年旅に出るという繰り返し。仕事内容はビルの窓清掃とか、橋梁点検とか。橋梁点検は数ヶ月かけて出張して、全国の橋を周ったりする。風力発電の風車の点検をしていたときもあった。出張の仕事がないときは東京でビルの窓清掃が中心になるんだけど、移動したい衝動に駆られてしまう。お金のために日本で働くのは、3年が限界。いつも働く期間だけ決めて、その期間で貯まったお金で行けるところまで行くという感じ。でも、今回はコロナ禍とウクライナとロシアの戦争で世界情勢もだいぶ変わったから、今までのように旅はできないかもしれない。ブラジルもだいぶ物価が上がっているし、国境越えも難しくなっているような気がする」。
46歳で肉体労働はなかなか大変だし、仕事を見つけるのも一苦労では?
「体力と精神力には自信がある。みんなが辛そうにやっている仕事も、楽しめたりするのは自転車旅のおかげ。仕事探しは、この歳で無職から“仕事ください”といって、働かせてもらうのは相当厳しいと思う。30代半ばぐらいからは一般募集には応募していなくて、知り合いに紹介をしてもらいフリーランスという形で仕事をしている。Facebookで帰国を知った友人から“仕事しない?”と声をかけてもらえることも多くて、自分の旅を応援してくれているのだと思う。恵まれているよね」。
意地悪なことを聞いてしまうようだけど、
肉体労働ができない年齢になったらどうするの?
「お金がなくなったら、自分でエサをとって暮らすしかない。食料をとって調理するぐらいのサバイバル能力はこれまでの旅で養ってきたから。それが出来なくなったときが、僕の寿命。無理して生きる必要はないのかなって。でも、日本でそうなるのは切ない感じもするから、どこかの国のどこかの山でそうするのかな。自転車は足が動かなくなるまで漕ぎ続けたいと思っている」。
そこまで覚悟の自転車旅とは。
旅の資金のためにnote.の記事の収益化とは考えていない?
好きなことでお金がもらえるって、理想的な感じもするけれど。
「ありがたいことに書籍化の話もちょこちょこと頂くのだけど、自転車旅はあくまで私的なことだから。一円でもお金をもらってしまうと、旅の目的も自分の目に映る景色もすべてが変わってしまう気がする。幼い頃の“自転車に乗ってどっか行こうぜ!”という、誰に遠慮することもなく、無計画で衝動的で、お金のことなんか頭に一切ない、無垢なドキドキやワクワクが生涯続くことが理想。準備もしすぎず、完璧な計画も立てず。体ひとつで未知の世界に飛び込んでいく。そのアドベンチャー感がたまらない。これ以上に望むこともないし、これ以外の生き方を選ぶことは考えられないかな」。
そんなに愛を注げるものに出会えることって、なかなかない。
たくさんお話を聞かせてくれてありがとう。
最後にもうひとつだけ。たったひとりの自転車旅、寂しくなったりしない?
「寂しくなったことは一度もないよ。毎日ドキドキして、見たことのない、触れたことのないものとの出会いや発見があって、予想通りにもいかないから、寂しくなる暇も、飽きることもない。夜も次に目指す国の学習をして、空を見上げれば最高にきれいな星空がある。すごくシンプルに生きている。幸せだなと思う」。
言葉の通じない未知の国で、たったひとりで寂しくない人もいれば
言葉が通じる仲間に囲まれていても、寂しさを感じる人もいる。
会社勤めをしない、家族を持たない浅地くんの自由な生き方は、
現実逃避と言われることもあるという。
会社勤めも、会社を経営することも、家族を持つことも、
ひとりで生きることも、家庭も定職も持たずの自転車ひとり旅も。
それぞれが別な側面で覚悟も大変さも、幸せもある現実。
同じ人生を歩むことはできないけど、人の人生を知ることで
誰かの気持ちに寄り添えたり、何かを見つけられることがあるから
インタビューは面白いし、それを書くことはもっと楽しい。
浅地くんの生き方を真似はできないけれど、
ただひとつ素直に羨ましく思うのは
彼の目に映る世界の景色がどれだけ綺麗なんだろう、ということ。
娘が3歳ぐらいの頃に、初めてエレクトリカルパレードを見せたときの
瞳のキラキラ感を思い出してしまった。
危険な目にあった話も聞いたりして「SOSや何かあったら連絡を」と伝えたけれど
当然ながら、原稿以外のことで連絡が入ることはない(笑)。
取材をしたのは5月で、他の仕事の合間にモタモタと原稿を書いていたら、
完成までに2ヶ月近くも要してしまった。
浅地くんは100カ国目のブラジルから、101カ国目となるパラグアイに入った。