ツイートは個人の見解であり所属組織を代表するものではありません
Twitterのプロフに「ツイートは個人の見解であり所属組織を代表するものではありません」みたいなことを書いている人をちらほら見る。賢そうな経歴的なのを書いている亜インテリ系の人に多いイメージ。ほとんど読んでないので知らないが賢そうなツイートをしているイメージ。しかし、プロフに個人の見解であり云々と書いている時点で全く賢くない。
いや、賢くないというと語弊がある。僕はそういう人が面白くて正面から揶揄するためにプロフに「なおツイートは個人の意見ではなく全人類の総意」と書いている。言うまでもなく自分のツイートが全人類の総意なんてことはあり得ない。小学生くらいのときからすでに「個」のある人間だった記憶があるが、独立自治をうたうロースクールで学んだことで全身に独立自治の精神が行き渡ってしまっているようだ。なおさらタイトルのようなプロフを書いている人たちが滑稽に見えてしまう。
ノーベル物理学賞をとった眞鍋淑郎さんは日本の「調和」がしんどい旨述べた。「日本人は互いに邪魔しないように協調する」「アメリカでは他人が感じることをあまり気にする必要がない」と。我が国はプロフに個人の意見ですなんて書くような人間のいる国である。アメリカでそんなアホなことを書いている人はいるのだろうか。いたら教えてほしい。ユーザー数で割合を出してから結論したい。いやアホではない。これが日本人らしい調和であり、可愛らしさなんだと思う。
田端砲というTwitterアカウントがある。特別尖ったアカウントとは思わないが炎上するようだ。炎上によって役職をおろされるなどしたことがあるようである。ツイートは当然個人の意見であって所属組織の意見ではない。しかし、どこかに所属しているその人の意見であって、そういう人が所属しているということ自体が問題であると考えた組織がその人をアサインしなくなることはありえてそれは自由である。色んな意見を有する個人が所属していることでうまれる多様性が我が社の強みであるとして炎上した人をアサインし続けることもまた組織の自由である。
どこにも所属していない人間なんておよそ考えられない。自分の意見は勤務先の総意ではないし、男性の総意でもないし、日本人の総意でもない。だいたいタイトルのような言い訳をプロフに書いている人こそ全くパンチのないツイートに終始しており、攻めてもいないのに謎の保身に注力しているダサさは、そう、滑稽もとい可愛い。
「ツイートは個人の意見ではなく全人類の総意」という僕のプロフはエッジーで割と気に入ったがそろそろ飽きたので変えようと思ってる。変える前にnoteにしておいた。ではまた。
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