コロナでかわいそう、の先にあるもの
息子たちのサッカーのコーチから、新年にこんなメッセージが届いていました。
「去年よく聞いたのは、コロナでかわいそう、という言葉。でも、コーチは本当に?と思っています。この子たちは貴重な経験をしているなと。この環境でも楽しく、自分たちで考えて行動しているのを見たり聞いたりしました。この行動力と考えることは、必ず君たちを強くすると思っています。
これからも、いろいろなことを言う人がいます。でも、まわりが言うからそうなんだと思ってほしくない。自分で感じ、考え、努力したことを信じてほしい。世の中そんなに悪いことはないと思います。起きたことをどのように考えるか?最悪なのか?次の成長と考えるか?大変なことが起きても、またオレは強くなれる、そう考えられるようになると楽しいよ」
息子は6年生。楽しみにしていたサッカーの合宿も、修学旅行などの学校行事も中止になりました。
親として、正直「かわいそう」と思っていました。「中止になって残念だね」と何度か声をかけました。でも、その時の息子の反応はとてもあっさりしていました。「うん、まあ、そうだね。でもしかたないよね」
コーチからのメッセージを読んで、自分がまちがっていたと気づきました。この子たちは、かわいそうなんかじゃない。同情するのはやめよう。この状況でいろんなことを感じて、考えて、自分にできることをどんどんしていけばいいだけ。それは、大人も子どもも関係ないから、わたしもその背中を見せていかないといけない。気づかせてくれたKコーチに感謝です。
最近、趣味になりつつある息子たちのサッカー撮影。今まで、心が動く瞬間を求めてずいぶん遠い国まで行ったけど、こんなに近くにもあったんだと改めて気づきました。ファインダー越しに今この瞬間に一生懸命な人の姿を見ると、世界のどこかで美しい瞬間に出会ったときと同じ気持ちになります。
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