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HOYAの鈴木哲夫氏 ~知られざる二面性と企業成長の軌跡~
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材料科学と眼科領域で世界的企業となったHOYA。その成長の立役者の知られざる素顔に迫る
知られざるHOYAの真実、その第一回として鈴木哲夫氏について語りたいと思います。現在時価総額6兆円規模の大企業となったHOYAですが、その成長の立役者である鈴木哲夫氏の経歴には、あまり語られることのない興味深い側面があります。
知られざる三つの事実
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HOYAの創業家系図 - 山中家と鈴木家の関係
鈴木哲夫氏が最も公にしたくなかった事実が3つあります。
山中家の婿養子であったこと
1967年に一度社長の座から降格(実質解任)されていること
娘婿が秋田2区選出の元法務大臣・金田勝年氏であること
特に1点目について、HOYAの創業一族は山中家であり、鈴木氏は創業者・山中茂氏の娘婿でした。エレクトロニクス産業の先進企業というHOYAのイメージと、これらの事実は相反すると考えられていたのかもしれません。
転機となった1967年の降格
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鈴木氏は1957年に義父である創業者の山中茂氏が病に倒れたことを受け、社長に就任。その後、5年で売上を10倍の20億円に拡大し、1961年には株式の二部上場も果たしました。
しかし、1967年に大きな転機が訪れます。大規模な工場建設によるクリスタルの製造能力増強を計画していた矢先、オリンピック不況により業績が悪化。その結果、社長の座から降格されることになったのです。
失敗経験がもたらした強み
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東証一部上場以降、一度も赤字を出していないHOYAの業績推移
この降格経験は、その後のHOYAの経営哲学に大きな影響を与えることになります。例えば、山中家には「銀行員を信用するな」「銀行員を見たら泥棒と思え」という家訓が存在します。これは、銀行が「晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」という経験に基づいています。
この経験があったからこそ、その後のバブル期にHOYAは安易な不動産投資を避け、本業に徹した経営を行うことができました。また、1973年の東証一部上場以降、一度も赤字を出していないという実績にもつながっています。
経営者としての二面性
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鈴木哲夫氏は、90歳で逝去されるまでHOYAを世界的企業へと成長させた立役者でした。しかし同時に、社外取締役制度の運用において「仲良しクラブ」的な体制を作ってしまったという課題も残しました。
これは後に2009年以降、創業家のエース的存在の山中裕氏による企業統治改革要求運動によって是正されることになりますが、鈴木氏の経営者としての二面性を示す一例といえるでしょう。
教訓としての失敗経験
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世界をリードする技術企業となったHOYA。その礎には、失敗から学ぶ姿勢があった
鈴木氏の経験から学べる最も重要な教訓は、「適度な失敗経験の価値」です。経営において、死に至らない程度の失敗経験は、その後の意思決定に大きな影響を与えます。特に、安易な拡大や投資を避け、堅実な経営を行う判断力の源泉となりうるのです。
今日の日本企業において、この教訓は改めて見直される価値があるのではないでしょうか。
参考サイト:さくらフィナンシャルニュース
HOYAホームページ
鈴木哲夫 (実業家)
鈴木 哲夫(HOYA元社長)