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となりの雑談 EP.110 に聞き耳を立ててみた 「同じテーブルで」


これは『となりの雑談』というポッドキャスト番組を聞き、そのエピソードから感じたことをまとめたnoteです。

番組やnoteを書くに至ったきっかけはこちらから。
https://note.com/sakurae/n/nbc683b628925

今回は2025/02/18に更新されたEP.110「同じテーブルで」に聞き耳を立てています。

テーブルにつかない人のはなし

今回、ふたりは「話し合いのテーブルにつかない」人について、おしゃべりをはじめます。

このエピソードを聴いて思ったのは、私の母のことです。

「なんでそんな話をするんだ」
「そんなこと、本当はどうでもいいのにお前が考えるのが悪いんだ」
「そんな取るに足らない話に、私は忙しいから対応できない」

ずっと、母に何か言おうとすると、まさに二人の話に出てくる人のような態度をとっていた母。大きな溝を感じ、理解できない存在でした。

今回のエピソードは、私にとって母の心のうちを探る機会になりました。

話し合うと直面しなければいけないこと

スーさん:これって大テーマよ。どうやって同じテーブルについて腹を割って話すかって。
サクちゃん:でも、相手を尊重するってつまりそういうことじゃん。相手の大事なものを知って、同じように大事にしろとは言わないけれど「その人にとっては大事なんだな」って知るってことじゃんねぇ。それができないなら、人権侵害だよね。
スーさん:それが難しいことにさ。相手の巨大なコンプレックスとかある種のトラウマ的なものと経験とかと密接になってる場合もあるわけ。
サクちゃん:そうだね。
スーさん:そのことについて話し合いをしたことで、ものすごい叱責された過去があって同じテーブルに着くと冷や汗が出る人がいたり、あとは、そこに向き合うと自分のずーーっと見ないふりをしてごまかしてきた弱さとかズルさとかと、向き合わなければいけないって予感がする。予感がすると、人って向き合わないのよ。
サクちゃん:逃げるね。
スーさん:本当、むつかしい。
サクちゃん:それは、その人の問題だからね。
スーさん:ふたりの問題じゃなくなっちゃうの。

TBSラジオ となりの雑談 EP.110「同じテーブルで」より

話し合いのテーブルにつかない人は、そのことに直面すると耐えられないかもしれない。

そんな話をすると、問題をみなくちゃいけないよ。やめて。

それは、大人になって母と話すときに、なんとなく感じていたことです。でも、私はうまく対応できませんでした。

いま私が思うこと

もし、本当に私の母が自分の弱さやズルさに向き合うのがイヤで、私を攻撃し、理解することから逃げていたとしたら…

あの頃の私みたいに、向き合って傷つけられるのから逃げるのも正しかったんだと納得できます。

直面することから逃げる人は「突き詰めてこない人」に逃げる

二人の話は続きます。

スーさん:向き合わない人が向き合わない人同士で集まると…これって何度も見た景色なんだけど。必要として集まったり飲みに行ったり、どっかいったりしてるんだけど。それぞれと1対1で話すと周りの人のね「あいつはこういうとこがダメだ」って、悪口というか否定になるの。
サクちゃん:へえ。
スーさん:なんでだろ。と思うんだけどね。不思議。
サクちゃん:要はさぁ。この前話したみたいに自分に矢印が向かずに外に矢印が向くんだろうね。
スーさん:あーそうか。自分に矢印を向けるのが怖いから、外に向けちゃうってことか。
サクちゃん:相手のあらを探しちゃう。本当は自分なんだけどね。

TBSラジオ となりの雑談 EP.110「同じテーブルで」より

そういえば、母の場合は、意見する人が嫌いでした。そして、息をするように他人をおとしめ、周囲を自分の下に見る人でした。

たぶん、母は自分の弱さに向き合うのが怖かったんだろうな。

もっと早く気づいていたら、対処方法もあったのでしょうか?いや、母が自分を否定されることに烈火のように怒りを向ける状態で、私にはなにもできなかったし…しょうがなかった。

でも、本当に「しょうがなかった」と言い切れるのかな?
もし、もう少し違う形で接することができたら、何か変わっていたのでしょうか。

ディスりコミュニケーションの家族

母だけではなく、私の家族は他人をほめない家族だったのかもしれません。

母の実家でも、他人のことをほめるけど、家族はほめない。

褒めない文化は、もしかすると「家族だからこそ厳しくするべき」という価値観から来ていたのかもしれません。母にも、そういわれたことがあります。

でも、それが当たり前だと育つと、自分にも他人にも優しくなれませんよね。

高校時代の私は毒を吐く人だったと言われますが、母の癖がうつっていたんだろうと、今は思えます。恥ずかしい。

なにがあっても、あなたは大丈夫というメッセージは失敗から生まれる?

自分に弱点があることを出すことは、確かに母と離れてから身につけたことだと思います。

たぶん、それは私が挫折したから。

母の言葉が私を変えた

大学受験に失敗したとき、地元が同じ大学の先輩から
「あなたのお母さんは、『うちの娘は、ろくでもない大学にしか行けなかった』と、地元の薬剤師会で言ってたって」と教えてもらったことがありました。

これは、かなりショックなできごとでした。

でも。私にとっては「自分にも未熟なところがある、でも生きる」という、自分の未熟さを受け入れて生きることが必要なんだという、心の軌道修正になりました。

やっぱり失敗って必要なんですね。
それは、母が決して持てなかった感覚だったのかもしれません。

自分にも欠点がある、それを受け入れることって大切

前回、私はどこに行っても、周囲を下に見た時点で負け。 だと思うと書きました。仕事で仲間になるには、フラットな感覚が大切です。

いま、なんとか満足して生きていられるのは、自分に欠点があることを受け入れる挫折の段階があったからかもしれません。

母は、地元では、ずっと優等生でエリートでした。他の人が母の話をするとき「頭がよかった」以外の話を聞いたことがありません。

そう思うと、母は自分の欠点を受け入れられず、ずっと苦しんできたのかも。

娘の立場でできることは、いまも思いつきませんが…母の理想を追わず、母として受け入れることが必要だったのかなと思います。

まとめ

今回の私的まとめはこちら。

  • 話し合いを避ける人には、それなりの理由がある

  • でも、それに巻き込まれず、自分の人生を生きることもまた大切

  • 挫折を受け入れるのって役に立つのね

では、今回の聞き耳は、このあたりで…



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