松岡充と私は月とスッポンなのに歌詞がジブンゴトのように響いた中学三年生の夜
2022年10月11日に日本武道館にてSOPHIAが復活する。
私の源はSOPHIAで出来ていると言っても過言ではないぐらい私の人生はSOPHIAなしでは語れないぐらい私にとって存在が大きい音楽だ。
今日はSOPHIAとの出会いを書き留めたいと思う。
ミュージックステーションと明星は田舎の中学生のバイブル
初めてSOPHIAを知ったのは中学生だった頃、テレビ番組「ミュージックステーション」のあいまに流れたシングル曲「街」のCMが流れたときだった。あの日のことは昨日のことのように印象に残っている。身体に電撃が走る感覚ってこのことかな?というぐらい心がドキドキした。もっと聴きたい、もっと知りたいと思った。
当時まだインターネットは当たり前ではなかった90年代後半の田舎に住む中学生が最新情報を探すとするならば雑誌「明星」もしくはテレビ番組「ミュージックステーション」だった。
雑誌「明星」のバンド名鑑のようなページに小さく載っていたことで詳細を知った。SOPHIAというバンドは5人で結成されていてメンバーの名前は当時は珍しい日本語フルネームというのを知った。お勉強がよく出来なかった私は母に「松岡充」の「充」はなんて読むのか聞きに行ったことも覚えている。「みつる」と知った。私の父方の祖母と同じ読み方だ。私の祖母は「満」で「みつる」だ。祖母が少しうらやましくなった。黒柳能生の能生は母も読めなかった「よしお」だと知ったのは少し後のことだった。
それから月1000円のお小遣いはSOPHIAに使うことにした。それでは全部のCDを揃え切ることはできないので誕生日やクリスマスのプレゼントはSOPHIAのCDをねだった。そうして少しずつCDを集めていた。サブスクというものはまだない時代だった。CDショップに足を運んでは、いつか手に入れるぞと眺めていた。舐めるようにして眺めてきたSOPHIAのCDジャケで一番好きなのはアルバム「little circus」だ。令和の時代でもオシャレだと思う。
初めて買ったSOPHIAのCDはレジに持っていくのが恥ずかしかった中学3年生
ちなみにSOPHIAで初めて買ったCDは「ゴキゲン鳥 〜crawler is crazy〜」だった。CDショップでジャケットを見た中学3年生のまだピュアな私は買うかどうか迷うジャケットだった。表のジャケットは裸の女が”おまる”を被って三輪車を漕いでいる。なんとなく裏を向けてレジに持っていった。ほぼ一緒だった。裏面は裸の男が”おまる”を被って三輪車を漕いでいた。ファンキーだぜ。
大人になってから思ったけど店員さんはお客さまが何を買うか意外と気にしない。
中学時代はずっと消えたかった私が見つけたもの
そうして少しずつCDを集めていくことになるわけなんだけど
一番衝撃を受けたのがアルバム「ALIVE」に収録されている「この風に吹かれながら」だった。なんで人間界のトップクラスにいそうなロックスターがクラスの底辺にいる根暗な私の気持ちが分かるのだと。
私は学生時代クラスに馴染めなかった。いっそ消えてしまいたいと思っていた。でも消える方法を知らなかったので毎日私の存在を消すように息を潜めて学校に通っていた。トラウマになる出来事があったのも中学生時代だった。私はとにかく存在してはいけない人間なんだなと心の底から思っていた。
だから住む世界が明らかに違う松岡充の歌詞に共感した私は衝撃を受けた。まるで自分のことじゃないか?と大袈裟だけど本気でそう思った中学三年生の夜だった。
私はトラウマになるほど傷ついたことさえも声を上げられず私の感情や表情を無にして毎日を過ごしていた。傷ついたことも傷つけてしまったことも否定しない松岡充の唄う歌詞は生きる糧になった(ただし当時の松岡充は生きる糧にしないでほしいと言った。その後、訂正している。)「私の存在を否定しない」音楽の存在は大きかった。ただ聴くものだった音楽は私の支えとなる存在になった。だから私の生き方や考え方は松岡充の歌詞の影響を受けているしSOPHIAなしでは語れないほど存在が大きいのかもしれない。今でも当時のことを思い出すと涙が出てくる。
SOPHIAが活動休止してから、もう5人が揃ったSOPHIAを見られないのかと思うと大好きだった歌でさえ封印してしまっていたし、各々のメンバーの活動もチェックすることすら辞めてしまった。どうしても私は5人が揃っているSOPHIAと重ねてしまうからだ。
だから今SOPHIAが復活することが心からうれしい。もう二度と聴けないと思っていた歌を聞けることができてうれしい。
心からありがとうを伝えに10月11日、日本武道館へ行きます!
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