短編小説「水平線」(back number 水平線より)
※この作品は、YOASOBIさんの逆で
曲の歌詞をもとに、小説化したものです。
今回は、back numberさんの「水平線」を、私なりに解釈し、アレンジして小説にしました。
ぜひ、本作読了後に「水平線」を聴いてみてください。多くの人に届きますように。
光(ひかり)。困難な状況にあっても希望を持ち続けられる人、人に希望を与えられるような女の子になるように。そんな由来から名付けられた私の名前。そんな煌びやかな由来とは正反対に、私の人生は暗然たるものだった。
私は常に、誰かの引き立て役だった。容姿は言うまでもなく、学力やスポーツ、あらゆる分野において私は「下」だった。
カースト最下層でいじめを受けていた中学生時代、私は毎日罵詈雑言を浴びせられ、私物をよく隠された。友達と呼べる人は誰ひとりおらず、常に孤独だった。
せめてもの抵抗で、主犯格の女子よりもレベルの高い高校に合格してやろうと努力を重ねるも、呆気なく落ちた。後々聞くと、彼女はその学校など滑り止めに過ぎなかったようだ。所詮私は、「下」なのだ。
担任の老爺は、いじめが起きていることを知っていて、見て見ぬふりをしていた。学年集会など大勢の前で話すときだけ、
「嘘をつくな、真っ当に生きろ」
「俺はみんなの幸せを願っている」
「全員が仲の良いこの学年が大好きだ」
と綺麗事を重ね、感動を煽るくだらない男だった。私の存在をぞんざいに扱うくせに、"良い先生"という肩書きをいつまでも手放さなかった。
私の両親も同類だった。上辺は優しい親だったが、私の本質を見ようとはしなかった。
「誰に対しても優しくしなさい」
「誰かが傷ついているときは、自分も一緒になて悲しめるような温かい人間になりなさい」
と、常に言われて育った。それは時には正しく、素晴らしい教えであると思う。しかし私の場合、私自身が優しくされたい立場だった。私自身が傷ついている立場だった。そのことを両親は、分かってくれなかったのだ。いや、分かっていたのかもしれないが、娘が出来損ないであるという事実から目を背けていただけかもしれない。
年に2回ほどある三者面談ほど地獄を感じる空間はなかった。私に我関さずな両者が繰り広げる会話の数々は、聞くに耐えないものだった。
「光さんは誰にでも優しく穏やかで、クラスでも慕われていますよ」
「ずっとそう躾けてきましたから、当たり前です」
誰も、私に話の主導権を握らせなかった。もしも私が「いじめられています」「辛いです」等と言い出したら、対応せざるを得ないからだ。だから私が口を開くことを許されたのは、「はい」か「いいえ」で答える二択の質問をされた時のみだった。
だから私は無理矢理、こう考えていた。
「私が不幸であることで、相対的に幸せな人が生まれるなら嬉しい」と。
私の容姿が醜いことで、対照的に美しく見える人がいる。
私がいじめられることで、いじめを受けることを免れた人たちがいる。
私が志望校に落ちることで、合格して未来を切り開いていく人がいる。
きっと私は、他の人間を幸せにするために生きているんだと、前向きに考えるようにしていた。今考えると、一種の宗教のような考え方だった。そうでもしないと自ら命を絶つ選択をしてしまうのではないかと、自分自身を恐れていたのだ。
そんな考え方が定着してきたころに出逢ったのが、海(うみ)だった。
海は大学の講義で偶然席が隣になった、真面目な青年だ。辛うじて補欠合格できた大学で、案の定落ちこぼれていた私に声をかけてくれたのは海だけだった。眼鏡をかけ、筋肉のきの字もない、ひょろっとした身体。まともに自分の名前を呼んでもらえたことのない私のことを、「光ちゃん」と親しみを込めて呼んだ。いつも必ず私の隣の座席に座り、講義が終わると近くの喫茶店で勉強を教えてくれた。
海は今まで関わった人間の中で、最も私のことを見てくれた。何の取り柄もない私のことを、毎日褒めてくれた。常に孤独だった私の傍で、太陽のように温かな心で接してくれた。捻くれた考え方をする私は、海に下心や目的があるのではないかと毎日疑っていたが、どれだけ月日が経とうと海の態度は何ひとつ変わらなかった。海との日々の中で、私は「人生、捨てたもんじゃないな」と感じるようになった。布団に入り、明日が来ることに怯えることがなくなった。寧ろ、明日が早く私の元に訪れて、海に早く会いたいとさえ思うようになった。
何故私にここまで優しくしてくれるのか、一度だけ問いを投げかけたことがある。すると海は、「心は誰にも見えないから、見えるものよりも大事にしたほうがいいと思うんだ」と、私の目を見ずに、どこか遠くを見つめながら答えた。その真相は未だわからないままだが、彼なりの誠意なのだと感じた。私はそれ以上深掘りせずに、「ありがとう」とひとつ返事をした。
時を重ね、大学4年生になった。就職活動に明け暮れ、海とは自然と会わなくなっていった。寂しさも募ったが、私は、ある1つの夢を追いかけることに必死だった。人生を懸けて、世の中に誇れる自分になるために、必死だった。
「受かった……」
教員採用試験の名簿搭載者一覧に、私の名前はあった。今までどれほど努力しても報われず、嘲笑され続けてきた私。そんな私の夢が漸く叶ったのである。そう、私は学校の先生を目指していた。自分が見放されてきた、居場所を全く見出せなかった、大嫌いだったあの場所で、私のような子どもを減らしたいという想いが根底にあった。
その日は両親も、「さすが俺の娘だ」だとか、「人生華やかね」だとか、私のことを何ひとつ理解していないくせに、大層な発言を繰り返した。出来損ないの娘に無関心だったくせに、周囲にメールや電話で「光が学校の先生になる」と、誇らしげに語っていた。しかし、暫くするとそんなことは無かったかのように無関心に戻った。
その夜、携帯電話に一本の着信があった。海からだった。教員採用試験の勉強が忙しくなり、かれこれ5ヶ月ほど海とは会っていなかった。私は海からの連絡に舞い上がり、指定された海浜公園に急いだ。事あるごとに砂浜に座ってぼうっとするのだと、彼はよく言っていた。化粧もお洒落もせず、お風呂上がりのTシャツ1枚の状態で急いで向かった。
「海!」
「久しぶり、光ちゃん。来てくれてありがとう」
海は特段変わった様子もなく、持っていた2本のペットボトルの片方を私に手渡した。貰ったサイダーを飲みながら、私たちは他愛もない会話を重ねた。大学の近くにあるラーメン屋さん閉店しちゃったね、チャーシュー美味しかったのにね。会話の中身に実がなかった。今日、海が私をここに呼び出した本当の訳は、何となく、いや明確に、察していた。
「光ちゃん、俺さ、幼いころからずっと追い続けていた夢、叶わなかったんだ」
分かっていた。一緒に受けていた教員採用試験。海の受験番号も勿論把握していた。合格者一覧を何度見ても、目を何度擦っても、海の番号はどこにも無かった。臨時採用や、非常勤採用にすら引っかかっておらず、必然的に来年までチャンスがないことが決定した。私と違って優秀な海は、自身の才能を活かして数学の先生になることを強く志望していた。私と違って、昔から学校が大好きで、教師こそが自分の天職なんだと常日頃から口にしていた。今までの人生で失敗を経験したことがない海にとって、初めての挫折だった。
私にはかける言葉がなかった。今まで自分が優位に立つ経験などまるでなかった私の辞書には、海を励ます語彙の1つすら存在しなかったのだ。暫く沈黙が続き、海は口を開いた。
「光ちゃんの人生は、光ちゃんのものだよ。他の人の人生を軸として自分がどうだとか、それは違うと思う。光ちゃんは、自分で夢を叶えた。僕の存在は、全く関係ないよ。おめでとう」
素直に喜ぶことができなかった。私の心を救ってくれた海の恩を、仇で返しているような気がした。私は、果たして教員になっていいのだろうか。自分の大切な人を見放して、自分だけ夢を叶えて、前に進んでしまっていいのだろうか。考えれば考えるほど、自分に与えられた選択と決断の重さに悩まされ、気が狂いそうだった。
「ごめん」
「何で謝るの?光ちゃんは、すごいよ」
また何も言えなくなった私に、海は続けた。
「誰だって、自分自身の価値やしてきた努力を否定されるような辛い経験をすることがあると思う。光ちゃんはそれを僕よりも先に経験して、僕は今そのタイミング、ってだけ。もちろん、辛さの度合いは人によってまるきり違うけどね。僕のことは気にせず、光ちゃんは前に進んでほしい」
今まで、私の存在は、誰の心に残ることもなかった。
今まで、誰かの目に焼き付くような、大きなことを成し遂げたこともなかった。
ただ、私はいつもここにいた。
誰にも認められず、存在を否定され、自分自身を見失いそうになりながらも、ここにいた。
そのことを教えてくれたのは海だった。
あの夜が明けてから、私の最も大切な人である海に会うことは二度となかった。その理由は未だにわからない。お互いが、いや、少なくとも私は海のことを必要としていたのに。そんなことを内に秘めながら、私は今日も、教員として教壇に立っている。
私は定期的にあの砂浜に足を運ぶ。空と大海が交わるあの奇跡の水平線に一筋の光が見えると、私と海は繋がっているのだと、安心する。きっと海は壮大な世界で、今度こそ自分の夢を叶えて、大空へと羽ばたいていることだろう。
私は今日も、ここにいる。
きっと海も、水平線に輝く光を見て、私のことを思い出してくれていることだろう。
数年後、4月。
私の勤める小さな学校に新しい先生が異動してきた。職員室に、爽やかな、懐かしい風が舞い込む。潮混じりの、私が忘れることのできなかった香り。
「久しぶり、光ちゃん」
-END-
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