重い空気を背負って
4月の中旬、学年の保護者会が開かれた。
新学年になって最初の保護者会では毎年、役員決めが行われる。
高校生の保護者ともなるとフルタイムで仕事を持ち、役員なんてできない、という人も多いので欠席する人も多い。
出席者だけで役員決めをすると欠席者が増加するし、不公平になる。
先生方もこの時期は毎年頭を悩ませていて、穏便かつ迅速に決めて欲しいと思っているためか、ある年から手紙で通達が来るようになった。
立候補してくれて、あっさり決まるクラスと、いつまで経っても立候補が出なくて、くじ引きになりそうな嫌な空気が流れるクラスと差が出る。
そして私は、なかなか決まらないクラスに当たることが多かった。
中学一年の時もそうだった。
中高一貫校の初めての保護者会で出席率も高かった。
私立だし、積極的にやる保護者の方がいるだろうと思っていた。
そう思っていたのは皆さん同じだったみたいで、誰一人手を挙げなかった。
他のクラスはすんなり立候補者が出て、すぐ決まったクラスもあったようで廊下がざわめき始めた。それは役員が決まって解散したことを意味する。
うちのクラスは、なかなか手が挙がらなかった。
当時、クラス役員は3人必要だった。
広報班と文化祭班の役職は、少し沈黙の後、手を挙げてくれた方がいた。この役は出席回数も少なく、役員の中でも活動期間が短い。
どうしても居なかったら手を挙げてもいいかも、と思った役の2つだった。
残りの1つは、講演会班を企画開催する役職でかなり大変そう。
この役員が、なかなか決まらなかった。
沈黙の時間は、苦痛でしかない。
教壇の真ん前の席になってしまった私は、周りの様子を見ることができずに誰か手を挙げて!と思っていた。
席が真ん前だけに後ろの様子が全く分からない。ただ重苦しい空気だけは背中に十分に感じていた。真横を見ると、目線を伏せているお隣の方。
後ろの様子が気になったが、振り向けなくて、ちょっと目線を上げた。
担任の先生と目が合った。合ってしまった。
「全部出席できなくてもいいので・・・」
先生の目は、懇願している。
目線を一度机に伏せてから、また上げた。
また目が合った。
さっきの一言は、やはり私に言ってる。
この重い空気、くじ引きにはしたくないという先生の瞳の奥に合掌が見えた。
「・・・はい、それじゃぁ・・・」
「ありがとうございます!!」
と先生の一言で、みんな伏せていた顔を上げたように思う。ちょっとざわついていたから。誰に決まったかも分からないように静かに決まった感じ。
クラスが拍手に包まれた。重い空気が、拍手と共に風で流れていった。
それが、私の中高での最初の役員。
嫌々引き受けたものの、終わったら結構楽しかった。
地元ではない私立の学校で知り合いも居なかった。学校で友達と呼べる人ができたのも役員をやったおかげ。
この中1での役員仲間は、任期が終わった後も娘のことをお互い相談したり、ランチに行ったり、情報交換する仲になり、そして友達になった。
幼稚園や小学生の頃と違って、子どもが仲がいいから仲良くしましょ、じゃない所が良い。子ども同士が仲が良くても大人同士はそんなにだったり、親同士が、馬が合っても子ども達はそんなにだったり。
私の経験上、親子共々バッチリ同じ相性ってことは、なかなか無かった。
だから、親子共に合ったら本当にそれは嬉しいことだと思っていい。
中1の役員経験後は、コロナ禍もあって保護者会も配信になった。PTA活動も自粛されたので、暫く役員から遠のいた。
高3になったばかりの春、中1役員から友達になった仲間に声を掛けられた。
「妹(中学)のクラスで役員になっちゃったから、高校でみんな同じ役員を一緒にやって欲しいんだけど」と。
中高一貫校のため、PTA活動は中学高校と一緒に活動していた。
「どの役?」と聞くと、また講演会班だった。
「え、また?」と一瞬みんな嫌な顔をしたが、今回は講習会をやるという。
講演会より規模が小さく、20名程度集めればいいだけ。
最初にやった講演会の方は、講堂を使って大々的に募集しなければいけなかったことに比べるとそんなに大変じゃなさそう。
「じゃ、高校最後にやりますか!」と仲間3人は、立候補を決めた。
それが私だけ、計算違いのことが起こってしまったのだ。
(つづく)
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