見出し画像

保護者会での戦い

春は、子どもの進級があって成長の喜びを感じる時期でもある。

幼稚園の制服に小さなリュックを背負い、園バスに乗り込む我が子を見て、急に手が離れたように感じた。
小学生になった時は、背中より大きなランドセルを背負って学校に向かう後ろ姿だけで涙が出そうになった。(初登校の日は泣いた)
中高一貫校に通い始めた時は、1人で電車に乗れるのか心配でこっそり同じ電車に乗って見届けたこともあった。

しかし、春はそれだけじゃない。
保護者の戦いがある。
そう、それが役員決め!


まずは小学校の頃の話から。
通った小学校では、子ども1人に役1回というルールがあった。
うちは一人っ子なので、1回役員経験をすればOK。子どもが2人いる場合は、2回役員を引き受けないといけない。

小さい役なら2回。
大きい役なら1回で済み、小さい役2回分に相当する。
この大小の違いは、小さい役はクラス役員、大きい役は本部役員のこと。

2人以上いる人は、どちらの役でも回数をこなせば好きな方を選んでよい。
仕事内容から考えると負担が少ない(と思われる)クラス役員を2回(2年)やるのか、やることも多そうだし何か大変そうなイメージの本部役員だけど1回(1年)すれば役割終了できる。
仕事の大変さを取るか任期を取るのか、それはそれで悩ましい。



しかし、誰がカウントしていたのだろうか?
基本、自己申告だったと思う。
だけど、誰がまだやっていないとか変に知ってる人が、クラスに1人は居たりするのよね。

小6にもなるとクラスによっては、皆が役員経験済みで2巡目の心配も出てくる。
「今年は、誰誰さんがまだだから(やらなくて)大丈夫よ」とこっそり耳打ちしてくれるのもその詳しい人。大きな害はない。


任意と言いながら半ば強制ルールがまことしやかに囁かれ、PTAは仕事内容も詳しく知らないまま「面倒、やりたくない」と思ってしまうのも本音。

そして必ずやらなければならないのなら、突然強制的にやることになるより知っている人と自分が動きやすいタイミングの時期にやりたいと思う。タイミングが1番大事だったりする。

それで立候補。

だから小学校の時は立候補する人がたくさん居て、じゃんけんして決めるということが多かった。
小1は様子見、小6は卒業も関わってくるから(なんだか分からないけど)大変そう。
そんな理由で、小2~小5の4年間にやりたがる人が多かったように思う。
私もそのひとり。
この時期は、役員の取り合い。
じゃんけんが弱い私は負け続けていた。


結局、幼稚園の時から知っているママ友と立候補して本部の書記をやった。


正直、うちは一人っ子なので1回で良かった。
でも3年連続負け続けていた私に友達が言った。

「一緒に本部やらない?」

彼女は妊婦の時からの友達で、子どもは2人いた。兄妹で纏めて1年で終わらせたい、とのことで一緒に大きい役をやろうよと声をかけてきた。
クラス役員の立候補者はいても本部役員の立候補は、少ない。
負け続けて来た私にも後は1年後のチャンスしかなく、それなら友達とやった方がいいと誘いに乗った。


書記は3人居たけど、もう1人は仕事でほとんど出席できずで私と友達2人で作業する羽目になった。とても申し訳なさそうだった。
仕事や家庭の事情で難しい時期もあるだろう。やっぱりタイミングって大事!



小学校を卒業後、娘が通ったのは私立の中高一貫校で人数も多かった。
6年間で最低1回は役員をしてください、などのルールも無かった。
今までと違い、役員をできるチャンスの方が足りないくらいだ。


高校3年生になると、クラス役員(2名)に加えて卒対という役が追加された。それが、卒業対策委員会というクラス役員に比べると大変な仕事。小学校の時で言うと大きな役ってところか。

実際は本部役員っていう別枠も存在するので、まぁ…中の役になるのかな。
そもそも大中小で役員の仕事を分けるのもナンセンスだけどイメージとして。

その「卒業対策委員会=卒対」になってしまった私の話を、この卒ポというアカウントで話していこうと思う。
先に言うと、結構楽しかった。面倒なことや大変と思ったこともあったけど、結果楽しかった!
そもそも卒対にはなりたくなかったのに、引き受けることになった経緯を次回に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?