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忘年会がしたい。妊娠8〜9週目

忘年会がしたい妊婦

妊娠がわかったのは12月。

コロナ禍で2年以上の自粛が続き、我慢我慢の緊急事態宣言が明けて、多くの人が久しぶりの飲み会を楽しみ始めた時期であり、年末年始に帰省して、家族や旧友と飲むのを楽しみにしている人も多かった。
私も、しばらく会えていない地元の仲間と、少人数でしっぽり飲みたかった。
いつ以来だろうねと、乾杯がしたかった。
生まれたらしばらく難しくなる。だからその前にやりたかった。

でも1番悲しかったのは、そんなふうに思ってしまう自分だった。待望の赤ちゃんがやってきて、今お腹の中で、米粒のような心臓を動かしている。
「忘年会くらい我慢しなさいよ、みんなそうだったんだから」と、空想上の世間の声を自分で作り上げ、「自分はダメだ」と落ちていった。

羨ましがりやの妊婦

周りのすべての人が羨ましく見えるようになってしまった。

お酒が飲めて。お刺身が食べられて。生ハムが食べられて。卵かけご飯が食べられて。「これ食べていいのかな」って気にしないで食べ物が選べて。
友だちに会えて。悩むことなく忘年会ができて。(しつこい)

妬みという呪いに蝕まれた。でも、言いたくない、そんなこと。言葉に出したら、赤ちゃんに聞かれちゃう。夫が気にしちゃう。妬みが現実になっちゃう。自分が嫌なやつで、苦しい。

妊娠8週半ばを迎えた頃、初めて張り詰めていた糸が切れた。

涙と鼻水と共にドロドロの感情をパートナーにとめどなくぶちまけ、「孤独だ」「誰も私の気持ちなんてわからない」と怒鳴り、ただただ聞いてもらい、ようやく次の日、こうして初めて文字にすることができた。

通り過ぎてわかったこと

あの頃のことを、ようやく冷静に振り返れるようになった。

私は、お酒が飲みたかったわけでも、刺身や卵かけご飯が食べたかったわけでも、珈琲をがぶ飲みしたかったわけではない。(いや、したかったけど)

自分の行動ひとつひとつに、大切な失いたくない命がかかっている。赤ちゃんの身体や脳の形成がかかっている。

それが重たくて。
守れるのは自分しかいなくて(もちろん周囲の支えは力になるが)。
それが怖くて、不安で。孤独だった。

「ちょっとぐらい大丈夫だよ」
そう言われたって、自分の体のことなら「そうだよね、明日我慢すれば平気だよね」なんて思えるけど、赤ん坊の成長が自分次第だと思うと、「勝手なこと言って、責任とれるの?何の根拠があって言ってるの?」と牙をむいてしまう。ああ、日本で指折りの厄介妊婦。

不用意に転んでもいけない。
常に、気をつけていなきゃいけない。

重たかった。それをわかってもらいたかった。
「すごい重圧だよね」と共感してほしかった。きっと、ただそれだけ。

なにはともあれ、この垂れ流し大爆発で、いったん最初の山を越えた。
ナイス夫。
でもまだ9週で、40週ってきっと気が遠くなっただろうね?
こうして私たちは、少しずつパートナーに、そして親になっていった。

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