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10/15 昼休みのヒロイン

「あなた、今どこにいるの?」
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕は今どこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったい、ここはどこなんだ? 僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。

これは村上春樹のおそらく最も有名な著作「ノルウェイの森」のラストシーンだ。このシーンは無数の解釈の余地があるし、それゆえに底の見えない魅力のある文章だと思う。

「あなた、今どこにいるの?」

私は今、ドトールにいる。2日後に迫ったテスト勉強をするためである。
勉強は嫌いだ。「勉強」という語に「考える」ようなニュアンスを含みながら、ふたを開けてみると思考停止で暗記しているだけで、その状況を誰も疑おうとしない。まるで勉強することが大人になるとでも言いたげなように。
そんな勉強への愚痴を吐いたが、結局嫌いな理由は勉強が「苦手」ということで、それでもやらなければいけないことに変わりはないので、ただひたすらに暗記をする。
ritual 儀式……arise 生じる……ally 同盟国……oppose 反対する……

ふと隣に座っている高校生のカップルを見る。
2人とも顔は整っていて、笑顔で会話をしている。
「マネージャーがさぁ……」「え~それどうなの!?」
どうやら部活の愚痴らしい。マネージャーという語と整った顔立ちから運動部かな、と勝手に想像する。
そんな調子でスルスルと会話は進んでいく。私が見ていても気づかないくらいスマートだ。あまりにも自然だったので、私はそこに自分はいなくなったように思えてきて、周りを見渡した。銀行の話をする2人組、Mac bookを打つする人、スマホを見つめる人、誰も私を見ていなかった。まるで幽霊だな、なんて思っているうちに、不意に「ノルウェイの森」のセリフを思い出す。

「あなた、今どこにいるの?」

どこにいるのだろう。
誰も相手にしてくれない世界ではどこにいるのか分からなくなる。初めてそのシーンの意味が分かったような気がした。
「目がスクリーンになるとき」
ドゥルーズがそんなことを言っていたことを思い出す。しかし、私はドゥルーズの哲学に詳しくないのでただ言葉そのままの意味を考えてみる。目がスクリーンになる……今置かれた状況はスクリーンといえるのかもしれない。私という実体がなく、ただ出来事だけが並んでいる。そして出来事に対して無責任な感想を抱く……

ラノベの主人公はいつもこんな感覚なのかなと思う。
昼休み、教室の隅で騒ぐ陽キャ、1人でスマホをいじる人、一緒にご飯を食べているカップルを見つめる。
出来事が等しく並べられた空間をただ観測し続ける。
そんな状況を打ち砕くように”ヒロイン”が現れ、主人公を外へ、はたまた事件へと巻き込んでいく。
観測者から当事者へと……

ドトールの机、前方のイスにはテスト勉強用に大量に持ち帰った教材が詰められたリュック、体操着を入れた袋、勧められて買った柄谷行人「意味という病」、ターゲット1900  が一定のまとまりを保ちながら散らかっている。
氷の溶けたアイスコーヒーを飲み干す。
まだヒロインはいない。


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