幸せと感じる時間
ってなんだろーなーと思ったレナくんは考えるのだった。
さて、昨日はちょっと以前どこかで聞いた、嫌なことを紙に書いて捨てるというのをやったところ、嫌だと認識していなかった事まで嫌だと理解してしまい、とんでもねえ精神状態になってました。
あれだ、私は嫌なことの輪郭をはっきりさせてはいけない方の人間だわ。幸せの世界でぼんやり生きてるのがよい。
もう紙に書いたことは忘れたけど、〇〇が嫌とか嫌いとかめちゃくちゃ書いた。そして、気づいた。あれは怒りを鎮める方法であって、冷静に嫌なものと向き合うものではないと。
そうなんですよ、嫌なものの輪郭をはっきりさせると、それが嫌と理解しちゃうんです。つまり、別にちょっと嫌かもくらいの事象を嫌だなと嫌レベルをあげちゃうこと。
わあこれ私に合わない!
そもそも日記も読み返した時に嫌な気持ちにならないように、良かった出来事のみ書いてるような人間は、悪意に耐性が無いのだ。
じゃあ逆にどういうときに幸せと感じるのかと言うと、夏のクソ暑い時期の風呂上がり、ドライヤーで髪を乾かしても部屋が涼しいこと。これくらいの幸せが丁度いいのよ。
と、いうどうでもいい話。
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