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わたしはわたしでいていい、ということ。

先日、ある映画を観に行った。それはテレビドラマが映画化された作品で、わたしはドラマのファンだった。

公開は昨年末。早く観に行きたかったけれど、このご時世。混み合う時期はやっぱり避けたい。ネットで座席の予約状況を見ながら、比較的空いている日を選び予約した。

そしていよいよ当日。早起きがニガテなくせに「ひとが少ない」という理由で朝イチの時間帯を予約してしまったので、何とか早起きして映画館へと向かう。

席につく。照明が暗くなる。これから公開される作品たちの予告編が流れていく。長い・・・。「まーだーかーなー?」と思っていると、映画泥棒さんが現れて、やっと終了。


始まった!!!



ワクワク、わくわく、ドキドキ、どきどき。


リーガルドラマなので、事件のナゾとともに、ストーリーが展開していく。

ドラマのテイストが、あちこち散りばめられている。
うんうん、このカンジ。


でも。

あれ?あれれ・・・??

後半に差しかかった頃、気づいてしまった。

「おもしろくない・・・」と思いながら観ている自分に。

もともと細かいところ、例えば、背景のセットや独特のキャラクター像、セリフの言い回し、おやじギャグなど、随所に「こだわり」があるドラマ。

その「こだわり」が、映画ではあまりに強くて、「しつこさ」を感じてしまって。


それに、事件のトリックも、途中でわかってしまった。楽しみのひとつだった、主人公の謎解きを聞く前に。そして、あっけなくエンディング。「えっ?こんな終わり方でいいの?!」って、感じてしまうくらい拍子抜け。

とほ。。。とほほ。。。

映画は全国的に大ヒットしていて、現在も公開中。「初日舞台あいさつ」に続いて、後日「大ヒット御礼あいさつ」もあったようで。

多くのひとが映画館へ足を運び、楽しんでいる。ニュース番組のインタビューで「12回観ましたー!!」というひともいた。

映画が悪いわけじゃない。楽しめるひとは楽しめていて、わたしは楽しめなかった、それだけだ。

子どもの頃から、わたしは周りのひととの違いを感じていた。特に「笑う」という感覚。周りのひとたちが笑っているのに、わたしは笑えない。何がおかしいのか、わからない。でも、浮いてしまうのが怖くて、愛想笑いでごまかしていた。

今も、その感覚は変わっていない。お笑い番組といわれる番組を見ても、笑えない。何がおかしいのか、わからない。笑いのツボがずれているんだろうと思う。

でも、オトナになってからそんなことは、もうどうでもよくなった。「周りと違っていてもいい」と、ようやく気づけたから。

子どもの頃の世界は、ホント狭くて窮屈で。でも、「この世界からはみ出してしまったら生きていけなくなる」となぜか思いこんで、ずっとガマンしていた。

今になってわかる。自分から自分への同調圧力。よくガマンしたね。ツラかったね。耐えてくれてありがとね。

今回、映画を楽しめなかったのは、とても残念。でも「全国的大ヒット!」というフレーズに、自分の感覚を合わせたりしない。

わたしは、わたしの感覚を行く。これからもずっと。


うん、気持ちいいね。


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