死にたい季節(医者に見せる予定の文章)
月末。死にたい季節。年中死にたい季節だが、夏は暑すぎて苦しくて一番嫌いな季節だ。
ちなみに一番好きな季節は冬だ。過ごしやすいのは秋だが、僕は暑がりなのもあって寒い方が好きなのだ。雪の舞う景色はきれいだし。
……なんだかんだで夏も嫌いではないしむしろ好きではあるけど、暑いのはごめんだ。
夏休み。ぼくはニートあらためフリーターなので年中それのはずだったが、意図せずそれはやってきた。
バイト、クビになった。
夏の暑い日――毎日がそうだが――のことだった。
「もう来ないでください、とのことです」
「仕事の手が遅いから、とのことで」
「真面目で丁寧にお仕事されていたということでしたが」
「お悔やみ申し上げます」
派遣元の担当者から電話があった。
ある火曜日。セミがうるさく鳴いていた。
その日はやけになって、散歩に出て五千円くらい使った。日払い分の給料の半分。バカがよ。
当時はそこまでショックでもなかったように感じていた。ぶっちゃけていってしまうと、自分だけ何故か妙に手際が悪かったのはそもそも自分で感じていたし、それ以外にも細かいところで思い出せないくらい微妙にいくつも「やらかした」ような気がする。
どこが間違っていたのかは知らないが、とにかく精いっぱいやっても手際が悪かったのは確かなことで、自分でもそれに納得していた。だからそこまでショックでもなかった。
けれど、トラウマというのは些細なことから積みあがるもので、一週間も経たないうちに「手が遅い」と叱責される悪夢を見てしまうようになった。
自分はそもそもがどうしようもない無能だったのだ、という事実が証明されたことに対して、目を背けて、見ないようにする日々である。
そういえば、七月は妙に長かったように感じる。特に前回医者に行った時から、丸一か月も開いていないはずなのだということをいまさら思い出す。
一年とは言わずとも一か月以上たったような気がするのは、バイトも含めて様々なことに手を出していたからだろう。
小説を二本連載した。以前話した、電撃小説大賞に落ちたものと、それ以外に入院中から少しづつ書き溜めていたものだ。
前者はもうすでに毎日投稿(予約投稿なのでそこまで手間でもなかった)で完結させ、後者もこれを書いてる時点でついさっき最終回を書き上げたところだ。次はなにしよう。
さらに、短編を二本掲載した。同じく電撃大賞落選作と、前回病院に行った前後で書き下ろした掌編が一本である。
リアルではバイトをしてクビになったのは話した通りだが、それ以外にもデビットカードを作ったり、ケータイを機種変更したりした。
デビットカードは財布に現金がない時に便利に使い倒している。いままでも十分荒かった金遣いがもっと荒くなった。スマホで口座の中身を見れるので安全ではあるが。
ケータイはまだ慣れないが、先代機よりも性能がいいのでゲームとyoutubeがはかどっている。あと二台持ちのほうが安くなるというバグったことになった。謎である。
小説の新規企画を考えようとして、不意に脳が回転をやめた。
――僕の得意なこととは何だ。
文章が得意とかそういうことじゃない。
僕しかもっていない特色のようなものはなんだと最近考える。
もちろんそんなものはない。自分しかもっていないというのは幻想だ。
武器と言い換えてもいいかもしれない。武器になりうるものはなんだ。
小説の世界は基本的に加点法である。
加点法とは、簡単に言えば「いいところ」を点として積み重ねていく方式で、対義語として持ち点から悪い所の数だけ点を引いていく減点法がある。
小説の世界では、その減点法で満点でも、加点法でゼロ点――つまり、なにかとがった武器がなければ意味がないのである。
自分の文章はまさにそういうもので、減点法なら満点に近いであろう(無論、満点では決してないだろうし改善すべきであることは確かであるが、意外なことにさしたる問題ではないらしい)が、どこか他にはない「いいところ」があるかと聞かれるとそうではない。
要するに、ありがちで埋もれがちなのである。
ではそうならないためにはどうすべきかというと、自分の好きなもの、得意なもの、ほかの人にはない特色というものを探して、それをナイフのように磨き研ぎ澄ます必要が出てくるわけである。それが作品の個性となり、作品を手に取っていただくきっかけ=フックとなるのだ。
自分にはそれがあるかと言われると――たぶんあるにはあるのだろうが、お天道様には顔向けできないようなもの、あるいはもうすでにレッドオーシャンであろうものしかないのである。
もちろんエッチなもので稼いでる人もいるにはいるが、自分は厄介なことに中途半端に恥ずかしがり屋なのでエロに振り切れない。なのでそういうの書けないしあまり読まない。そういうのは需要が微妙に合わなかったりする。
後者は言わずもがな。たぶん鉄道小説なんてありふれてるし、なんなら偉大な先人が知ってるだけでも二人いる。もはや個性ですらない。あと純粋に話づくりが難しい。豊田巧先生は天才だし西村京太郎先生は神である。
ここまでべらべら喋ったが、要するに、僕にはろくすっぽ磨ける武器がないのである。
さて、どうしたものか。それを考え続けて今日で三日くらいになる。
答えなどないようで、実は自分の無能というレッテルに縋りつきたいだけなのでは、とも思うが、これも見てみぬふりをすることにする。
そんなこんなで濃密だった七月が終わる。
最終日は何とか見つけた単発バイトだ。がんばる。
0731 追記
単発バイトは寝落ちしそうになってクビになって早退した。自業自得とはいえ自分が無能であることの証左に思えてしまって、結局死にたくなった。
これ以上深く考えたらきっと死ぬしか結論が出ないので、不毛な議論は避けることにする。考えたくない。なにも。