七月十三日に医者に見せた文章
まず、これはエンタメではない現実であることを記しておこう。
最近僕は何もかもが面倒でならない。
何故か。知るか。
バイト始めて、金銭面の自由と引き換えに税金とか保険とか年金とかケータイ代とか考えなきゃいけないことが増えた。
面倒だ。全部丸投げしてしまいたい。
究極的にはもう死んでしまえば全部丸投げできてしまうことに気付いた日は、さすがの僕でも天才かと思ったが、丸投げされた側はたまったもんじゃないしそもそもなんか禁止カード扱いされてる。
禁止なんて隠れてやっちまえば問題ないと思ったが、取り返しのつかないことになるし(取り返しのつかないことが実はすこぶる苦手だ。後悔してもやり直せないから)、そもそもが本能的な恐怖で死ねない。自己中心的にも他己的にもなり切れないどっちつかずで中途半端な自分に嫌気がさす。
ツイッターは若い芸能人の自殺のせいで不快だ。
様々な自称論客が表面上のご冥福(笑)を祈ったり、それを叩いてたりしてみんなみんな醜い。気持ち悪い。同類にはなりたくないので僕はだんまりする。
みんなみんな死んでしまえという気分になってくる。自分も含めて全滅してしまえ。オールリセットでみんなハッピーだ。死んでるけど。
けど、同時にツイッターを見ることしかできない自分がいる。なんのやる気も起きないし、その日はやることはだいたいやった。ほかのサイトは見たくないか、見る気も起らないか。消去法でクソッタレなTwitterしか見るところがない。
どぶの水槽に棲んでるような気分だと比喩した。気持ち悪いけど、抜け出せない。
音楽を作ってみたいと思った。思っただけだが。
実際に打ち込みで少しだけ手をかけたことはあるが、出来上がったのは気持ちの悪い音の羅列と痛々しい言葉の羅列だけだった。
大天才の弟に言わせれば「こういうのは音楽的センスがないとできない」らしい。「簡単だと思った? バーカそれなりに苦労してんだよ俺たちも(意訳)」
音楽的なセンスがあるやつが羨ましい。自分の感情を音と言葉でナイフにして突き刺せる人間が妬ましい。
僕にできるのは既製品のナイフ――誰かの歌を勝手に歌い散らかして、精神的リストカットをして自己満足のオナニーにふけることばかりである。
電撃小説大賞。応募してたラノベの大賞は予想通り一次選考落選。
今回のこの大賞は無駄に倍率が高かったことで炎上してた。
この件で、ディスコードでつながってる漫画家に「今回は異常だったから仕方ない。落ち込まなくていいよ」と慰められたが、そもそも倍率関係なく自分の実力が足りてなかったことは自分が一番よくわかっている。
仮に倍率二倍程度だったとしても、十倍の人が受かってたとしても、僕は落とされる側だったと思う。完璧な作品を作れなかった自分の落ち度だ。少しでも無意識に妥協した自分がいたから駄目だったのだ。
一昨日、何もかもがどうでもよくなって、ストゼロのロング缶を二本飲んだ。
ラリっておかしくなって、玄関で倒れてた。
早く帰ってきた妹に白い目で見られてた。
どうせ死ねとでも思われてたんだと思う。そう思っていたい。
今日も162円の幸福を摂取しようかと考えたが、やめておいた。
もうなにもかもがどうでもよくなった。
生きるのも死ぬのもどうでもいいし、迷惑かけたってどうでもいい。ダイエットとかマジどうでもいいし、太っても痩せてもどうでもいい。
きっと一人で生きてたら破綻してる気がするが、破綻したってもういい気がするし。
やっぱ酒でも飲もうか。ディスカウントショップ、162円の幸福、ストロングゼロ。
息苦しい世界を少し忘れて、夢とケイオスの世界へトリップしてしまおう。
どうせこれを読んでる皆さんには関係のないことだ。どうぞ嘲笑ってほしい。
グッドバイマイライフ。死なないけどね。
追記:酒を買いによったイオンで買ったのはカゴメのトマトジュースだった。〇ァック!!
以上、昨日メンヘラ病院、もとい精神科で医者に見せた文章である。親にも見せた。
さながらエッセイだねと言われた。
エッセイストとして生きるには毎日がひどく退屈でならないし、そもそも定期更新が苦手なので向いてるかどうかといわれれば文筆業全体が向いてない気がしてならないのだが。
こんな底辺弱者男性の日常でいいなら今後も気紛れで更新するかもしれない。そんなことを考えた。
面白いと感じたならば、なんかリアクションをくれると嬉しい。需要があるなら、今後も適当に書くとする。