小学校受験から1年ほど経って思うこと
街角で、ちらほらまたネイビーの戦闘服を着た親子を見かけるようになった。
小学校受験の季節。
一年前、我が家もどっぶりつかり、奔走して気が狂いそうだったお受験。
結果的に、うちはどこも花は咲かなかった。
最後の方は、どこか一つでもと、全然検討外のまだ受験ができる学校を探し出し、受けさせる始末。
自由系のびののびや、背伸びした学校などいろいろ受けたけど、どこもダメでした。
不採用通知はムカついて、全部ビリビリにした。
三日くらい悔しくて眠れなかった。
うちの子をどこも認めてくれなかった、いや、親の面接がダメだったのかとぐるぐる考えて、今までの教材も全部捨てた。
試験会場で、お教室にも通ってなくて、、という親子と会ったが、その子は受かってうちの子がダメだった時の虚しさ。(うちの子は一年お教室通ってました。)
まだまだそれを許容できるほど、人間ができてなかったと思う。
フルタイム共働きで、全部できなかったこともたくさんあるけれど、その時の我が家でできることは全部やったので、それでダメならと、娘の気に入った色のランドセルを買いに行こうと気持ちを立て直した。
結果的に、近くの公立に通ったが、今思うのは、この学校で本当に良かったと思えていることが嬉しい。
現状少し、発達障害の疑いがある我が子。
そもそも受験を考えたのは、個性的な我が子(当時はまだはっきりわからなかった)を、少人数で手厚い対応をしてもらえそうな、少人数クラスの学校や、自由な学校を目指していた。
今思うと、初めからその選択肢がおかしかったのかもしれないが、当時はまだうちの子は大丈夫という思いもあった。
・今10分の徒歩通学でさえ寄り道をして、遅くなってるのに、電車通学なんて絶対無理だった。乗り換えなんてもっと無理。
・クラスでおそらく浮いていて、迷惑をかけていた。
(これは、今のクラスでも多少そうですが。。)
・結果、親の呼び出しや忘れ物など、学校に行くことが増えるから、遠方の学校はおそらく親も大変だった
・合理的配慮は、おそらく求めることはできない
改めて考えると当然のことが、当時は私立なら何とかなるかもと考えて、盲目になっていた。
今の学校は、たくさんの先生から気にかけていただき、なんとか楽しく学校にいけている。
もちろん、同じクラスの子に多少迷惑をかけている場面もあるかもしれないが、子供なりに頑張っている。
受験勉強は、嫌がる子にかわいそうな事をしたかもしれない。でも、あの時学んだことは決して無駄ではなく、子供の中に残り、その後の興味関心を育てていると思う。
「うちの子にとって、最善の学校に導かれますように」と祈った一年前。
全部落ちたのも最善であったと信じたい。
もし、望まない結果だとしても、決して無駄なことはないですよと、ネイビーのスーツを見かけるたびに頑張れと心の中でエールを送る。