銀魂考④女子向けと言われる理由
なぜ銀魂が女子向けと言われるのか考えてみた。
結論を言うと第一にそれは、私を含めて、どこか精神的に依存している関係性が好きな女子が多いからではないか、と思う。
自立していないとまでいかなくても、お互いがいることが前提というか…一歩間違えたら共依存っぽい、どこか不健全な関係が好きなのではないか。
第二には、上記に限らない定義しきれない複雑な感情・関係性を恋愛に結びつけ、描かれていないことを想像するのが楽しいという女子、言うなればCP厨が多いからではないか、と思う。あとで詳しく説明するが、これは何も男キャラ同士だけの話ではない。女同士でも、男女でもだ。
1-⑴どこか精神的に依存している関係性とは
例えば銀時と桂、土方と沖田。
銀時・桂・土方・沖田の4人とも所謂安定した家庭で育っていない(というかそもそも親がいない)。これが前提となる。
そこから2つのタイプに分かれる。自分を満たしてくれるものを求めるタイプ凹(銀時、沖田)と与えることで満たされるタイプ凸(桂、土方)。
この2タイプが依存し合うのが共依存だ。
1-⑵共依存とは
依存する側とされる側がいるように見えて、実は互いに依存している。
被依存者凸は依存者凹を通して過去の自分を見る。誰かに幼少期の自分を重ね、その人に与えることで、与えられなかった幼少期の自分を慰める。つまり自分に依存してくれる人に依存している。
被依存者凸は尽くすことで満たされるので優等生になったりワーカホリックになったりする。そして彼らは依存者凹の世話を焼く。依存者凹はそれに甘え、段々と堕落する。被依存者凸は更に世話を焼く。
時間や苦楽を共有することで、互いには互いしかいないように思えてくる。
ダメ人間(例えばDV者)としっかり者(例えば被虐者)など。
1-⑶想像しやすい?
このような共依存っぽい性質を持つ凹と凸は、原作にない関係も思い描きやすい。
銀時凹と桂凸
銀時凹と土方凸
沖田凹と土方凸
沖田凹と桂凸
また、凹同士、凸同士で慰め合うのも想像しやすい。
銀時凹と沖田凹
桂凸と土方凸
(追記:この共依存性質凹凸は相手によって入れ替わることもある。)
1-⑷ここに高杉が入らない理由
私がここに高杉を入れないのは、私の中の彼(攘夷戦争後)が死ぬために生きている人だからだ。
(対して、上の4人は、現実に向き合い生きるために苦しみ、互いを利用する。)
1-⑸近藤と新八は人気がない?
近藤と新八は(坂本もそうだと思うが)、圧倒的に光タイプで、健全で、退廃的ではない。(彼らだって落ち込むこともあるだろうけどちゃんと一人で立ち直りそうだなと思う。)
だから彼らは不健全好きな層にはウケないのではないか。
(近藤勲が人を信じられる人間だっていうのが本当に…大きくてかっこいい…
彼は最初から相互依存、相互補完ができる人なんですよね。)
1-⑹断っておきたいこと
沖田は親はいないがミツバと近藤はいたので、4人の中では最も安定した家庭で育ったと言えるし、土方と沖田はさらば篇を通してしっかり自立し、安定した関係を築いたと思う。
銀時と桂も、自立した上で支え合っていると思う。穏やかな関係でいい友ですよね。(でもこの2人結構エグいよね…苦楽共にしすぎでしょ…)
支え合うの(相互依存)と共依存は違うって分かってるんですよ…分かってるんだけど……それでも私はこの不健全な関係が好きなんです…ごめんなさい…
1-⑺まとめ
人と人との関係構築には様々な形があるが、その中でも私は
出会い期
↓
不安定期(共依存)
↓
安定期(相互依存/相互補完)
というパターンが好きで、さらに言うとその中の不安定期が好き。
2 定義しきれない複雑な感情と恋愛の結びつけ
これは銀魂に限ったことではないが、人は誰しも、恋愛関係ではなくとも、互いが大事であるがゆえの愛情、憎しみ、過去の自分への思い、悲しみなどの混ざり合った複雑な感情(俗にいうクソデカ感情)を誰かに抱いている。
クソデカ感情は、クソデカ感情であるがゆえに、恋が始まる理由とすり替えられたり、混同されたりしがちだ。しかし実際、男女でクソデカ感情を持っているからといって、それが必ず恋愛に結びつく訳ではない。男同士でも、女同士でもそうだ。
銀魂には、男女の「2人は結ばれて、死ぬまで幸せに暮らしました」と言うような典型的な恋愛はほとんど描かれていない。私は、それは空知先生の“普通”、“幸せ”を定義しない優しさだと思う。「恋愛で結ばれる=ゴール=幸せ」じゃない人間もいていい、という考えだ。(この、空知先生の「否定しない優しさ」は、同性同士でくっつく可能性も否定しないことにもなる。だから、銀魂を好きな腐女子も多いのだと思う。)
つまり銀魂は、原作者に明言されていないがゆえに、クソデカ感情と恋愛を結びつけ、CPを好きなだけ想像できるという土壌がある。これが好きなCP厨の女子は少なくないと思う。
その楽しさも分かる。複雑な感情を(性別に関係なく)恋愛に結びつけて楽しむのも全然良いんだけど、その魅力も分かるんだけど、でも私は、せっかく先生が誰かと結ばれなくてもいい世界を見せてくれたのだから、それをそのまま享受することも忘れたくないな、と思うのだ。恋愛ではない、性別も関係ない、ただその人とその人の間の深く根を張った関係をそのまま見ることも忘れたくないのだ。
おまけ (言うまでもない)物質依存について
ちなみに、物質的な依存(とまではいかないかもしれない)で言うと
銀時…酒・ギャンブル・糖分
土方…タバコ・マヨネーズ
と、手放せないものがある。
呑みすぎて吐いたり、副流煙を撒き散らしたりするのは、他人に迷惑をかけているので良くないと思うが、私は何かに依存すること自体が悪だとは思わない。辛い人が宗教に縋ったり、現実逃避して2次元や趣味の世界に没頭したりするのと同じものだと思うのだ。それがその人の支えや生きる力になるならば、なくす必要はない。
ただし、自分で責任取れる範囲に、ブレーキをかけられる範囲にしようね、と私は自分に言い聞かせている。