大人の友達
私には友達が3人いる。
そのうちの1人がMちゃんだ。
Mちゃんとは15年来の付き合いになる。人の仄暗さを吹き飛ばすような光量が彼女にはあって、だからそうでない私と話が噛み合わないこともある。でも、Mちゃんと話していると笑いが止まらない。何に笑っているのかもよくわからない。よく見ると、Mちゃんは赤ちゃんに似てる。見るとうっかり微笑んでしまう、そんな感じの人なのだ。
たとえば、Mちゃんと出かけたとする。
待ち合わせ場所、横断歩道を渡った先にMちゃんの姿が見える。ベタだけど、笑顔で手を振り合う。私は信号が青になった途端に横断歩道を足早に渡り、中学生の頃からの癖でMちゃんに腕を絡める。ギュッと強く力を込めてしまう。Mちゃんは私よりも15cmくらい背が高い。「10cmくらいしかちがわないっしょ」とMちゃんはしきりに言うけど、大抵Mちゃんは会う時にヒールを履いてくるので実寸も15センチくらい変わる。Mちゃんはすらりと背が高く、童顔。同い年だけれど、年齢よりも若く見える。
一つ目に投稿した『花のない家』でも触れたけど、私の家族はとにかく引っ越しが多かった。だから学校もその都度転校した、というわけではなくて、小学校から高校まで一貫の女子校に通っていた。朝の満員電車、大人に混ぎれての通学路は決して楽なものではなかった。小学生という小さな体、加えて背負っていたランドセルは通勤する大人たちにとって邪魔だった。満員電車という空間の中で、幅をとる悪魔のような存在だったに違いない。
それもそうで私はその頃、ランドセルを体の前面に回すという機転が利かなかった。母もまさか娘がここまで押し潰されながら学校に行ってるとは知らなかっただろうし、電車内にいる周りの大人たちもそのことについて指摘をしてくれない。ただ無言のまま、腕や肘で私の体にアタックしてきた。それは電車が揺れて体勢を崩すのとは違う、明らかな悪意を含めたものもあった。
ある日、自分のランドセルに負荷がかかっていることに気がついた。後ろへと倒れそうになったのだ。なんだろう、何かに引っかかっちゃったのかな。恐る恐る振り返る。するとランドセルの上に、ペットボトルが置かれているのがかすかに見えた。
ペットボトルの主にあたる大人は、時代劇のお殿様よろしく、ランドセルを肘掛けの様に用いてた。そいつは私の頭を三つ重ねたくらいの高さにいた。知らんぷりしつつ、時折、肘掛けと化した私をうつろな目で見下ろしてくる。その時はまだ感情を言語化する能力がなく、その違和感について相手にどのように意思を表明するべきかわからなくて、心臓が痛かった。時が経つにつれて感情と言葉が結びつくようになってから、そのことについて懐疑的に思うようになった。3年生の頃になるとランドセルを完全に胸の方へ回すようになった。
引っ越しのたびにルートが変わるから、私はこの通学の点についていつもドキドキしていた。満員電車の中で大人の悪意を見ること、受けることが、とてもショックだったのだ。
結果、その女子校には6歳から14歳まで通った。あれ、途中で抜けたの?と思われた方、はい、そうです。本来なら18才まで通う予定だったけども辞めてしまったのです。
というのも中学2年生のある日、「お前はこの学校には向いていないんじゃないか?」と担任の先生から告げられたのだ。どういうこと?とよくよく先生の話を掘り下げて聞いてみると、高専という理系に特化した国立の学校があって、そこがあなたの性質にとても向いているのではないか、ということだった。前向きで具体的な着地点のある話に、私も頷いた。女子校にはほどほどに馴染めていて、特に嫌だと思ったことはなかった。不登校になったこともない。ただ、あと4 年もここにいるのかあ、という気持ちのマンネリがこの時点では確かにあったのだ。しかも高専には寮があるという。親から離れて暮らすとか、かっこいいじゃないか。何より、寮に入ればあの満員電車に乗らなくても済むんだ、という気付きが私のモチベーションをグッとあげた。思っていた以上に、私の中でトラウマになっていたらしい。
後日、先生から高専のパンフレットをもらって帰ってきて、親に相談してみた。「いいんじゃない?あの女子校も8年通ったんだし」とか「高専ってコンクリートを作って壊したりするんでしょ?ロボットとか橋梁とかつくるんでしょ?いいじゃんいいじゃん」などと本当に雑だ。反応としては好意的だったので安堵はしたけども。
3年生になる前に公立に一度転校し、そこで高専の受験に臨んだ方がいいのでは、と提案してくれたのもその先生だ。先生、ありがとう。最適解だったよ、高専は。(これは未来の私の体験談として本当にジャストフィットしていた)
それで私は中学3年生から、そのとき住んでいた家の近くの公立に通うことになった。
全てが初めてだった。
まず、異性。同い年の男の子。私がいちばん触れたことのない生物だ。男の子と女の子が半分ずつクラスの中にいるのが、衝撃だった。
「ねえ、どこからきたの?」
そんな典型的なフレーズが私に投げかけられるたびに、こそばゆかった。1学年に7クラスもあり、グラウンドも校内もとにかく広くて大きかった。女子校とは別の青春の輝きが、教室のそこかしこから溌剌と発せられていた。コミュ障気味の私は相変わらずうじうじしながらも、頑張って愛想を振るっていた。
この時期に、というかこの学年になって転校生が来ることは稀だからと、他のクラスの生徒たちが休憩時間に様子を見にきた。みんなの視線が集まり、みんなのちょっとした興奮を突きつけられるたび、この場に打ち解けられるのか不安が増していった。小学校からずっと一緒で、あだ名も浸透している幼馴染達。家の場所まで把握済み。そんなコミュニティに、しかもたった一年だけの間、私のような部外者がどのように過ごしたらいいのか。
転校した初日の休憩時間、開いた教室の後ろ扉から、ニョキっと頭を出している女の子がいた。身長が高く、つるんとした赤ちゃんみたいな肌の子だ。
突然その子が「〇〇ちゃんっていますかー?!」と大声で私の名を叫んだ。ギョッとした。他のクラスの子達はたしかに偵察には来るものの、「覗く」という言葉が適切な控えめさだったのに、その子は私を名指しして「おーい!」と叫ぶのだ。
「〇〇ちゃん、来てくれますかー?!?!」
再び叫ばれて私はしぶしぶ席をたった。扉に近づく。
その子の前に立つ。
でかっ、と思った。
「ちっちゃいね!」
と言われて、言葉が詰まった。私は女子校の中では背が高い方だったから、小さいね、という指摘に正直ムッとした。なんせこの学校の生徒はみんな揃いも揃って身長が高く、160cmの私は背の順で並べられると、なんと前から二番目だったのだ。(これは後に知ることとなる)
この地域だけ発育が早すぎるんだろ。私は平均くらいの身長だぞ!と思いながらも「そうかな、これまで言われたことなかったけど」と素っ気なく返した。「ふうん、てか、目くりくりだね!」とまたその子が言う。笑顔が強くて眩しい。それで、うっかり笑ってしまった。
制服のポッケから彼女が何かを取り出した。
…… なにそれ、手紙?
「そう、授業中に書いたの!良かったら読んで!」と、両手で渡してきた。あの時期にすごく流行っていた(今でもそうなのかな?)ルーズリーフを折り畳んでできた手紙。
中を開く。
【Mっていいます!呼び捨てでいいからね(キラキラ)良かったら友達になろうよ!(ハートマークの目の顔文字)私のメアド書いとくよん、送ってね!…. ……@…….jp だよ!(目がハートマークのうさぎ)(ハート)てか、学校まで自転車できた!? なら一緒帰らない? また放課後に呼びに行くね!(ウィンクの顔文字)】
これは記憶を辿ってのものだが、ほぼ原文ママだ。
私はこれほどストレートに「友達になろう」と言われたのは初めてな気がした。
それにしてもおいおい、距離の縮め方が強引というかなんというか。とっても可愛いし嬉しいんだけど、これじゃただのおじさん構文じゃないかと今の私ならそう思う。もちろん微笑みながら、喜びを噛みしめながら。
これがMちゃんである。
嵐のような女。
迫力満載で突き抜けてくる女。
大人になると、友達をつくることも無くなってくる。なんとなく親しい人や仕事先で会うと話が盛り上がる人はいるけど、友達ではなく、「仲が良い」という認識で止まっている。小学生や中学生や高専生の時にできた友達は、もっと息を吸うような自然な感覚で友達になっていった。でも、どこの組織にも属さない今の私にはそんな呼吸をしあう機会もない。
友達になるために。
まず、話しかける。最初は丁寧だ。家はどの辺?と情報を出し合う。あ、帰り道一緒だね。少しずつお互いの本性を出しあっていく。昨日のあのテレビ見た?見た見ためっちゃウケた!次第に笑いのツボが似てくる。帰りにマックやサイゼに寄るようになる。ドリングバーで粘る作戦を実行に移す。「マブダチ」とか「ズッ友」とか「仲良しすぎ!」とかのフレーズがキラキラしたペンで書かれたプリクラを、印刷された後に見て知る。とても嬉しく思う。ニヤニヤする。変顔している「マブダチ」のプリクラを何度も見返して、携帯の裏とかノートに貼ってみる。授業中にどうでもいい身辺雑記風の手紙をまわす。中を開くと結構長文。異性の目を気にしながら適度にふざける。たまに度が過ぎて先生に怒られる。あの先生まじでうざい。うるさいんだけど、いちいち。一緒に悪態を吐きながら先生に酷いあだ名を勝手につける。ねえ好きな人ができたっぽい。うそまじで?てか「ぽい」ってなに?誰々?誰なの?耳を寄せ合う。あんたほんとそういうタイプ好きだよね、って言うと、それだけあなたのことを知っているよ感が出せる。言う方も言われる方も阿吽の呼吸といった具合で、意味不明な決め台詞を発する、それで笑う。笑いまくって腹が捩れる。箸が転がってもおかしい。おかしくておかしくてたまらない。
… みたいなこと。
こんな、みたいな経緯を踏んできたわけだ。
それ以外にどうやって人は友達になるんだろう?
もう1人の友達は高専の時に仲の良かった親友で、また書く機会があったら触れようと思う。そして、3人目となる友達は、実は大人になってからというか、最近になってできた。
その人は言葉を紡ぐ人だ。トークイベントで一緒になる機会があって、彼女の本を読んでいるときから「なにこのひと、素敵なんだが」と感動が湧き上がった。エッセイ。それがすごく良くて、彼女の頭の中をなぞるように読む文章が私の心に染み入り、まるで私がこの思考をしているような錯覚を覚えて没入した。この人と今度トークイベントをするのかあ、と緊張しながらも、既に胸を高まらせていた。実際に会ったらきっともっと好きになるんだろうな。そんな妙な確信を深めて。
トークイベントが終わった後、私はやはりこの縁を途切れさせたくない、とその人に対して強く思った。そんな風に思うのはこれまでになかったことだから、発露する感情の源が、友達になりたい欲が、たぷたぷになって溢れそうになっているのが不思議だった。同時に、彼女を引き止めたいという想いにも駆られた。大人になってからできた友達というのは私にはいなかったので、そういう関係性を望む時、どのような言葉にしたらいいのかも迷った。
別に友達にならなくてもいい、形なんて求めたって意味がない、とも思う。友達という言葉にすり寄らなくても親密な関係なんて形成できるし、大人になってから「友達になろう!」なんて言うこと、果たしてあるだろうか?だとしたらそれは正解なのか?いや、寧ろ、結構困らせる案件なのではないだろうか。などなど、ずっとずっと考えた。
でも、奇跡のような機会。
そのトークイベントでのお礼のメッセージを、その晩に送った。文中にしれっと「(中略)(本音を言えば、お友達になりたいです!)」と書いてみた。これは私のずるさが存分に発揮されていて、本当はお礼と同列、いや、それ以上に告げたかったことなのに、万が一にも断られたり嫌がられる可能性を感じるのが嫌で保身に逃げた。故にカッコ()に本音を閉じる形でジャブを打ってしまった。ださいぞ私。
彼女からの返事はすぐにきた。
これがまた、素敵だった。
彼女はその一文を見落とさず、そして拾い上げてくれたのだ。
私みたいに小狡くカッコで閉じずに、向き合ってくれた。そして快諾してくれた。
彼女からのメッセージの中に、「(中略) よければまずはLINE友達になりませんか…?」と書いてくださっている箇所があり、くすりとした。そうだ、私たちは学校が同じなわけでも職場が同じなわけでもない。書くと言う共通点があるけど、これも個人戦だ。会う機会や接点がそもそも少ない中で作り上げていく友達という関係は、やはり難しい。ともすると、LINEからになる。お見合いを申し込み、健全に関係を構築していくような、そんな神妙な雰囲気が流れているようでちょっとおかしかった。(お前から友達になりたいって言ったくせに何様なんだ、というツッコミは的確です)
そもそも友達とはなんだったっけ、どんなふうになっていったっけ、と大人になってから改めて振り返るものの、私の中での大人の友達の正解は決まっていない。今後も、少しでも接せられる場所にいたいこと。このままで終わりにしたくない、引き止めたいと思うほどあなたに惹かれたこと。仲良くなりたいと願ってしまう気持ちがあること。これらの感情はとても素直にまっすぐに生成された。損得勘定も不純物もない。まっすぐであることには、大変意味があった。久々に芽生えた「友達になりたい」願望。なんだかとても嬉しかったのだ。
時折、彼女とLINEをする。深め合える箇所があることを願って私は今、友達になろうとしている。LINEをすると長くなり、彼女は確実に返してくれるから、その絶え間ないラリーが負担になってしまうことを避けたくて、大事な時のためにぐっと発信を我慢するようにもしている。近寄りすぎて煙たがられても嫌だ、とか、片思いの時のように距離を考えてしまう。この実験のような試みは初体験なので私はいつもドキドキしている。もちろん幸せな方のドキドキである。彼女のことを一日のうち、何度も考える。友達になることについてはよくわからないけれど、でも、友達になれたらいいな、と胸を焦がしている。
ちなみに、この間Mちゃんと会った。
「一緒にいてもすることないよね」と私が言うと、Mちゃんは目を見開いてこう言う。
「あるよ!ボーリングしたりスポッチャ行ったりゲーセン行ったりプリ撮ったり、、、」
「若いなー」と思わず返したくなるものの、その中の候補にあったカラオケに行く。
お互いが入れた曲に採点機能を投じ、一喜一憂する私たちの精神はあおく、若いのだ。そのうち本格的に「平成女」のポップ魂が花開く。懐かしさと切なさをかき混ぜた昔の思い出を手繰り寄せるように、デンモクへ曲を入れ続ける。もはや競うように「良い楽曲バトル」が始まるのだ。私のターン、とデンモクへ。スマホで履歴をたどりながらドーンと一手。さて、そうきたか。じゃあこちらのターン、とデンタクにババンっと景気良く打ち込む。チキショー良い曲選んだね!と互いに悔しがる。「やばい、普遍的な歌詞すぎて泣ける」とかほざく。気づけば四時間くらい経っている。
中学生の頃と何も変わらない。これがまた恐ろしい。
私が「Mちゃんってさ、明るいよね」と言うと、Mちゃんは「あー」と言う。
「私、元々双子だったんだよね」
「そうなの?」
「一緒にお母さんから出る時に、片割れがフッていなくなっていたらしいの。どこにいるんだろうなあ、あいつ。多分そいつが暗いのを全部引き受けてくれたんだと思うんだよね」
「そうか」
「てかどうせ消えるなら、良いもの全部置いていって欲しかったんだけどなあ」
と苦笑して嘆くMちゃんは、やっぱりすごく可愛くて明るくて、光そのものだ。私は「いやあ、まあね、私も橋の下に捨てられていたらしいし、色々置いてきたものがあるかもね。優しさとか」と冗談を言いながら、カラオケの店舗から出る。
夜だ。
深まっている。
眠い。
「えーまだ一緒にいたいよぉー」とMちゃんが渋って夜を延長させるよう懇願する。それで仕方なく、ドライブをすることになる。運転は私で、Mちゃんは助手席担当だ。
海ほたるに寄ってアクアラインを通過し、せっかく到着した大橋は改装工事中のため閉鎖中だった。その橋を渡って夜景をスマホで撮ったらご飯を食べて帰ろう、と既にコースを決めていた。代わりになる景色はないかとスマホで探して、また車を走らせる。南国の木が一定の間隔でもって喬立している道路のそばに、車を止める。周りには誰もいなかった。対岸の水平線に灯る街の光を、Mちゃんと一緒に見る。光は揺れ動いて水面の上でも波打ち、右手に東京、左手に緑の観覧車がみえる。レインボーに点滅している観覧車を見つめながら、恋人と眺める情景っぽいよなあ、と私は凄く、くすぐったさを覚える。逃げ出したくなってしまう。
「Mちゃんは女の子を好きになったことないの?」と何気なく聞くと、「えー何その質問」といいながらも、Mちゃんは懸命に言葉を選ぶために考えてくれる。もちろん私はMちゃんのことが友達として好きで、Mちゃんも私を友達として好きでいてくれているから、こういうことが聞けるのだけど。
「そうだなあ、友達として仲良くなった女の子を独占したい気持ちはないし、触れたいとかそういうことは思わないかな。でも、人生の中でふと思い出してくれたら嬉しいと言うか、そのふとに私は救われてるかも」
だよねー、と私も深く頷いた。
その通りなのである。
私たちは「ふと」の中に生きてる。「ふと」仲が良くなりたいと思う、「ふと」会いたいと思う、「ふと」友達になりたいと思う。この「ふと」の積み重ねだけは、絶対に忘れないようにしたいし、絶対に取り逃したくない。リスクとか面倒くさいとか負に塗れた感情を置き去って、ようやく手に入れられるもの。それがこの「ふと」に詰まっていると信じているのだ。
おざなりにしてしまった瞬間から、全ての出来事や人生から色が褪せていく、そんな気さえしてしまう。私にとっては唯一のきっかけであり、それは直感だ。随分と、本能的に生きているんだなあと思う。でも、「ふと」感じたことを諦めず、手放さずに突き進められたなら、私の中での何かも、私と誰かとの何かも、全てが変わるのだ。
Mちゃんは風を体全面で受け止めながら「彼氏と来たかったー!サミーーー!」と叫び始めたので、私は恥ずかしくなって少し避けて、違うところを歩いて行った。
今日Mちゃんと会ったのも、ふと会いたくなったからだよ。ここにきたのも、ふと立ち寄りたくなったからだよ。私たちってふと思いついたことばかりで、私たちを楽しませてきたよね。そうやって自分たちの機嫌をとってきた。
体の芯まで冷えるほど外にいたから、助手席で震えていたMちゃんが暖房を強くする。
車内には眠気と安らぎが充満した。道は空いていて、すぐに東京には戻れそうだ。隣から、すうすうとか細い息の音が聞こえる。流れていたラジオを消す。
無音だ。
もし、こんなに仲のいいMちゃんに言いたいことが一つだけあるとすれば。
そうだなぁ。
免許、そろそろ取ってくれ、かな。たまに眠くなるのよ、運転。
頼むよ。
あと、純粋に、運転しているMちゃんを見てみたい。
Mちゃんも、ふとそう思ってくれたらいいんだけど。