見出し画像

たまにはいつもと違う道を歩く

折返しで当駅始発になる電車に座りたくて、少し早めに家を出ている。今日は早めに出すぎて早めに着きすぎ、一本前の始発に乗れてしまった。20分以上も前に事務所に着いてしまうだろう。それはなんだか面白くない。一つ先の駅まで行って降りて歩こうかとも思ったけれど、汗はかきたくない。

いつもの駅で降り、階段を降りたところでふと思いついて、いつもとは反対側の改札を出た。出口は違っても、線路の高架に沿って歩けば道は間違えようがない。ちょっとした時間つぶしになるだろう。

何しろ時間があるので、ゆっくりと看板などを眺めながら、あそこにあれがある、ここにはあれがあったのかと、(どうせすぐに忘れてしまうけれど)店の名前に目を留めながら歩いた。

「知らない街を歩いている」ごっこだ。初めて訪れた街の朝、と思ってみれば、思えないこともない。看板も国際色豊かだ。そりゃまあ、国内ではあるけれど、国内だって最後にでかけたのはいつだよって話。極力電車を使わずに都内を歩き回ったり、朝早く起きて鎌倉に行ったりした頃の元気は、コロナが開けたら返って来るんだろうか。やばいぞ私の筋肉。

線路の向こう側には「いつもの私」がいつものように歩いているような気がする。タラタラ歩いている気がする。

いつもなら横目で見るだけの公園を突っ切れば、線路の向こう側へ戻る。昼間に横切ったことはあるけれど、朝は初めてだった。月並みだけど、緑が鮮やかで清々しい。ああ、いいないいな、今度からこっちの道を歩くことにしようかな。そうしたらそのうち、今までの「いつもの道」の方が新鮮になったりするかもしれない。

いつも同じ道だと、ただ当たり前に歩いて足元しか見なくなりがちだ。ときどきは違う道を歩いて違う景色を見たり、知らない街を歩いている気分で(気分は大事)視線を上げた方がいいのかなと思った。

ま、そんな気分も「外」にいる時のみ。いつものビルのいつものエレベーターに乗ればいつもの壁。いつものドアを開ければ、いつものいつものいつものいつものいつも。