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「涙」がその理由だったー推しメン菅井友香さんへ宛てるブログ

涙に色があったら 人はもっと優しくなる
それが僕のリアリティー
「世界には愛しかない」


菅井友香さん。

私がそもそもあなたを推そうと思ったきっかけは、涙の「色」だった。
あなたが流す涙は、なぜこうも人の心を動かすのか。
私はこれだけ生きてきて、あんなに綺麗な涙を流す人に出会ったことがない。
涙に色があったら、というけれど、私はあると思っている。
それは、あなたを見ていたらわかる。
あなたの涙に「色」があるからこそその純粋さがわかるし、そのひたむきさが、その健気さがよく伝わるのだ。
私では絶対に流せないであろう、その涙をどうやって手に入れたのか知りたい。
それが直接のきっかけだった。


菅井友香の「涙」といえば、


今だからこそ正直なことを言います。


あのとき。


弱気だった。



本当は、もうダメかもしれないと思った。


グループのメンバーが、何をしてもどうにもならないこと、私たちに何ができるかと。

メンバーにも、ファンにも、誰一人として、心から安堵も自信もなかったあのとき。

あなたには心の底からの言葉があった。

必死だったよね、あの言葉。
あの裏側では間違いなく、欅坂のファンがみんな離れてしまうかもしれない、という不安に苛まれていたんだよね。

だからこそ、この場面を彩ったのもまた、あの「涙」であった。



人の、心の奥底からの言葉は、魂が宿る。
その魂は、強ければ強いほど必ず伝わる。

思えばあの日に、この人を推すことと、このグループを推すことは同義だと悟ったような気がする。

道、というものがあって。
そこが出発点でない限り、振り返れば自分が辿ってきた道がちゃんとあって。
そこにどんな足跡を残してきたか、ということが実はこの後に続く道につながることでもあると。

菅井友香さん。

どこからだろうね。
たぶんあなたは、欅坂の5年間か、櫻坂の2年間か、どちらかでそのことに気づいたんじゃないかと。


佐藤詩織さんの単推しだった欅坂の5年間ではあったけど、ベースは箱推しで、もちろん今もそう。でも本当は箱推し、というより全員推し、といった方がしっくりくる。

菅井友香さん。

あなたはそんなグループの象徴でもあった。
矢面に立つあなたを推さないと、自分の中での整合性がとれない、本当はそう思っていた。

菅井友香を推すことは、欅坂46を推すこと。
菅井友香を推すことは、櫻坂46を推すこと。
私はそう思っていたところがある。

だから公にはしなかったものの、実は密かに推していた。


わたしの欅坂歴は、平手友梨奈が入口で、そこから佐藤詩織へと繋がっていくわけだけど、その中には菅井友香さん、あなたもいたのだ。


欅坂46として最後のライブだった、あの日。

佐藤詩織さんは、その日に卒業を選んだ。私としてもとても頷ける、彼女らしい、欅坂の歴史とともに自分のアイドル人生に終止符を打つ、寂しさとともにそのカッコよさに痺れた。

一方で、対照的だったのはあなただった。
櫻坂としてここからまだ頑張ると、それもキャプテンを続けるという生き方。奇しくも自分自身であのとき言ってた「茨の道」とわかっていても、そのことをやり遂げようとするその姿勢に、別のカッコよさを感じた。

これは決してアイドル人生に限った話ではなく、一人の人間の人生において、選ぶべき道にも通じる。
人生経験では私の方が圧倒的に長いにも関わらず、自分の娘でもおかしくない年齢の推しメン二人にそのことを教わったのだ。

アイドル云々は関係ない。
その人が、人として尊敬できるか否かの一点に尽きる。
年上とか年下とか、まして性別や職業など、これっぽっちも関係ない。
一人の人間対一人の人間。
そのことに気づけたというのは、ある意味年の功かもしれないけれど…


私がいつ聞いても涙してしまうのが、欅坂に配属された新二期生に「一緒に東京ドーム行こうね」と言ったという話。
連れて行く、という意味ももちろんあっただろうけど、次にドームに立つということは、メンバー一人ひとりのレベルアップが必要であり、それがグループとしてのブラッシュアップに繋がって、初めて立てる場所だということも知っているはず。

ということは…

それができたときは、何の心配もいらないときだと。



欅坂46の5年間、一人の天才と戦ってきた、と評する文に接した。
言わんとすることはよくわかる。
でも私はそんな天才とさえ、戦おうとしていたなんて思っていない。

言うならば、天才に寄り添おうとした秀才。


努力して追いつけるかどうかわからない部分を、それでも努力で補おうとした秀才だった。
ただそれは、戦うためではない。
寄り添うため。
天才は孤高である。
孤高であるがゆえに、周囲の理解を得にくくなる。
そして天才は、自分にばかり注目が集まることに気づき、周りのメンバーを輝かせたい一心で自分から距離を置こうとする。
あなたは、彼女のそんな孤高さをも愛そうとした。
グループにとって、どうなるのが最も良いか、それを常に考えていた。
1人のメンバーとしての想いと、キャプテンとしての想いが、必ずしも一致しなかったかもしれない。そんなときに抱える自己矛盾とも向き合いながら、私は戦おうとしない、寄り添おうとしたあなたを全面的に支持したい。



結果として、欅坂46は改名することになる。
結局のところ、何が原因なのかはわからない。
原因と称されることは、すべて憶測だ。

あなたがよく後輩に「欅坂を守れなくてごめんね」と言っているのを耳にする。
欅坂が好きで、欅坂に入りたくて、欅坂の力になりたいと願って来てくれた後輩たちへの精一杯の謝罪の気持ち。
確かに欅坂46は伝説になったかもしれない。
でも、死んでしまったわけではない。
もしそうなら、あのドームファイナルの不協和音の地響きにも似た、思わず出て集まったあの声たちを、どう説明するんだ。

あなたが守りたかった欅坂は
今でもしっかりと守られている。
私はそう思います。

そして改名した結果、あなたが作りたかったグループは見事に体現された。
皮肉に聞こえるかもしれないけれど、それは欅坂とか櫻坂とか関係なく、菅井友香の存在が作り上げたグループだと誰もが認めるものが出来上がった、ということなんだ。

誇れ。
こんな素晴らしいことは、探してもそうそうあるもんじゃない。




今更ながら、欅坂の時代に、何故単推しにこだわったのだろうと後悔することがある。
佐藤詩織さんを推す気持ちに、嘘偽りなど全くない。もちろん今もそうだ。
でも、他のメンバーを推さない、という理由も全くなかったはずなのだ。
そのことに心から気づいたのは、改名後だった。

常にグループのこと、メンバーのことを考えて、そして私たちファンとの間で橋渡しになろうと奮闘していたキャプテンのことをずっと気に留めながら、本格的に推し始めたのは櫻坂になってからだった。

何故なんだ、過去の自分。

何故菅井友香を推さなかったんだ。

…と、どれだけ嘆いたところで、後の祭り、十番祭りだ。

その分を取り返す、という意味ではないけれど、、、、


あなたの今後も一生推すことを誓いたいと思います。


菅井友香は、謙虚・優しさ・絆を大切にする欅坂46そのものであり
菅井友香は、いつも可憐で逞しく、櫻のように咲き誇る櫻坂46そのものであり
菅井友香は一人の女性としても最高であると
そしてそう言ったとしても、他のメンバーはたぶん誰も否定しないだろうと

私は心から思うのです。





人生の道筋というものは、本来年長者が年下の人に示すもの。
でも私は、偉そうに他人様に指南できるような人生を送ってきたとはとても言い難い。

菅井友香さん。


あなたはもちろん、誰かに人生を説くような気持ちで日々を過ごしていたわけではないだろう。
でも、その二心のない、素直で、まっすぐで、一つのことをやり遂げるために全身全霊を傾けるその姿勢でもって、誰かの心を震わせられる人なのだ。


私はあなたに人生を教えられた。
人として生まれた以上、こうやって日々を過ごし、こうやって人生を進むのがいいのだと、この7年本当に教えられた気がしている。



私はあなたのように、前途が洋々な時間はあまりないかもしれない。
でも、希望は捨てない。
ここから先を、生きてきて本当によかったと思える人生にするのは、紛れもなく自分自身であり、それを教えられた以上はもう後戻りはできないんだ。


感謝、なんて言葉が陳腐すぎて、でもそれ以外にかけてあげたい言葉も見つからない。



菅井友香さん。


あなたは、私が世界で最も幸せになってほしい人です。


そう言うと、今が最も幸せだとあなたは言うかもしれない。
いや、そうではなくて。
あなたがしてきた辛い想い悲しい想い苦しい想いが全部吹っ飛んでしまうくらいの幸せをその身に受ける権利があるんだ、ということ。






自らの人生以上に、
あなたの人生の成功と幸福を心から願います。







あなたがその手に持つ、メッセージアプリからのレターが束ねられたアルバム。
そこに私の3通のレターも入っているかと思うけれど
ここまでは書かれていないので。






Buddiesの末端に
強く強くあなたの幸せを願う人間がいることを
心置きください。







またね。







2022年11月13日

川島雅隆






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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。