櫻坂46が目に見えて上り調子なだけに心に留めておきたいこと
櫻坂46が7thシングルを出してから、今年これまでにもずっとあった上り調子が、ここに来てさらに加速している。
CDの売上枚数が前作を上回り、ストリーミングも過去最高、しっかり数字に表れてのBillboard総合1位となった。これだけでもスゴいのだが、これに加えて、今年3度目の海外パフォーマンスが決まった。
例年この時期は、紅白がどうとか、レコ大がどうとかの話題が中心で、ある意味それが一年の集大成であり、ステータスでもあった。
昨年櫻坂が紅白に落選し、少なくともBuddiesの一人である私の意識としては、そこから2023年の紅白に照準を当てたつもりだった。
推しメンである櫻坂キャプテン・松田里奈は年始の冠番組でこう言った。
これは極めて個人的な解釈ではあるけれど、前キャプテン・菅井友香が卒業し、紅白は残念ながら出場が叶わず、さらに日を待たずに後輩が加入してくる、年が改まったのはそんなタイミング。勝負の年と位置付けるのは当然と言えば当然だ。そして、2023年の最終目標は、やはり落選した紅白に返り咲くことと捉え、全ての活動はそこに収斂されると。個人的にはそう思っていた。
結果として、おそらくそうではなかった。
それどころではなかった。
もっとスケールの大きな「勝負」だったのだ。
パリ公演、クアラルンプール公演、もちろん単独LIVEではないにせよ、海外で自分たちの楽曲を披露する経験というのは、言葉以上のものがあると感じる。確かに日本から現地へ飛んだBuddiesも結構いた。それはありながら、でもやはり中心は現地のBuddiesと、彼女たちに少しでも興味を持ってくださった現地の方々だったはず。コロナ禍でおよそ海外公演など考えられもしなかった世の時でも、確かに櫻坂を推してくださっていた海外Buddiesはいらっしゃって、その方々の立場に立つと、こんな嬉しいこともそうそうないだろうと。
話を戻すが、今年の「勝負」というのが、ここを指していたのかどうか。このことがプランニングされた状態で2023年をスタートさせていたとしたら、あまりにも私たちが考えていたことは小さすぎた。もちろん、運営はおそらくそういう絵を描いていただろうが、メンバーがどこまで知っていたかはまた別の話だけど(今年最後のミーグリでキャプテンにそれとなく聞いてみます)。
もうずっと我慢していたけれど、11月を迎えようとするこの時期。その紅白の発表もあるであろう月。各賞レースも本格化する月ではあるが、そこで結果が出ようが出まいが、敢えてここで言いたい。
2023年の「勝負」には、勝った。
勝ったと言わせてほしい。
誰に、というわけではない。
敢えて言うなら、過去の自分たちに、である。
2022年の紅白に落選した櫻坂。
彼女たちを想って涙したBuddies。
そんな自分たちに勝ったのだ。
もちろん、何もせずに勝てたわけがない。
そこにはずっと続けてきた努力が形となって表れてきたことに加え、三期生という新たな戦力が空気を新しくしてくれたことも大きかった。その三期生がまた実力者努力を惜しまない、そういう人の集まりであって、スキルも高い。そんな三期生がグループ全体に与えた空気は、先輩の空気感にも当然影響した。先輩が負けじとスキルアップを図った。間違いなくそういう流れはあったと確信できる。
もちろん、まだまだ課題もたくさんあるだろう。
それは私たちが言うのは何か違う気がするし、チーム櫻坂が共有していればいいと思っているので言及は敢えてしないけれど、私たちBuddiesの課題ももちろん多くある。
2023年、櫻坂46は表面的に相当軌道に乗った一年だったと言える。ところが、こういうときほど足元を掬われやすいのもまた事実。
調子に乗らない。
櫻坂のメンバーは本当に謙虚だ。
どれだけ自分たちが大きくなっても、おそらくその謙虚さは失わない。自分たちはまだまだだと坂道の先を見上げることを忘れないはずだ。それに対して、真のBuddiesたる所以は、やはりそんな彼女たちの心持ちこそ自らの中に取り込むべきだと痛切に感じている。
私は、比較は必ずしも悪いことではないと思っていて。
例えば集団指導をしていると、そのメリットがどこにあるか考えたときに、世の中に出たら大なり小なり集団に属することになるし、その集団の中で切磋琢磨することになる。誰かを目標にし、その人を上回ろうとすることで努力できる、ということは現実にある。自らをブラッシュアップさせるために必要なこともある、というのが持論である。
もちろんデメリットもあって、自分が上になったときに、周囲を見下す見方をしてしまう危険性。その人の優越感を満たすためにやっているわけではなく、自らの実力の向上に寄与するのが本来の目的であるにもかかわらず、心根が弱い人ほど自らの優越感に流される。
結果が何が起きるかというと、優越感がために努力をしなくなり、周囲に追い抜かれる。抜かれたときに同情する人は少なく、あろうことかそんな周囲に責任転嫁するような人になってさらに浮くという悪循環に嵌る。そんな可能性が出てくる。
…あれだけ謙虚で、尚且つ努力を惜しまない櫻坂46を推す者として、それだけはやってはダメだ。
だからもし比較するなら、他人でも他グループでもなく「過去の自分たち」なのだ。
2023年の櫻坂、まだ11月になろうかというこの時点で、私は勝ったと申し上げた。
いや、本当は「克った」という方が正しい。
「勝つ」と「克つ」は意味が少し違う。
「勝つ」は実に外向きの言葉で、そこには常に相手の存在がある。相手に勝つか負けるか、いつも相手に対する意識がある。
一方で「克つ」の持つ意味は、内向きだ。
己に対して克つ。
そこには誰かが存在はしない。常にいるのは自分という存在だけ。
もし存在するとしたら、それ以外には時間軸か。
過去の自分。
相手がいるとしたら、それだけなのだ。
であるならば、Buddiesである私たちも、何と比較するのが正しいか、自ずと答えは出る。
過去の自分たち。
それは、2015年に結成された最初期の欅坂46を推していた頃の自分。
それは、2016年、「サイレントマジョリティー」でデビューを果たした頃の欅坂を推していた自分。
それは、2017年、1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」が発売された頃の欅坂を推していた自分。
それは、2018年、「ガラスを割れ!」で欅坂が頂点を極めた頃に推していた自分。
それは、2019年、先が見えなくなりつつあった欅坂を推していた自分。
それは、2020年、活動休止となった欅坂を心からの慟哭をもって見送り、どこへ向かうかわからない、そんな不安だらけで船出した櫻坂46のデビューを見つめていた自分。
それは、2021年、櫻坂としての初年度、どうしても欅坂時代と比較して知名度が上がらないことをもどかしく感じながら、健気な彼女たちを真っ直ぐに推していた自分。
それは、2022年、一期生の卒業が相次ぐ寂しさとともに、その一方で二期生の成長を心から感じながら、少しずつグループとして形が見えてきたことに少し安堵していた自分。
そんな自分は、その時々でいろんなことを思い、喜び、悲しみ、不安になりながら日々を過ごしていた。櫻坂の行く末を案じながら、自らの生活を進めていた。
その頃の自分に、克ったのだ。
いや、彼女たちが、その頃の自分に克ったと思わせてくれたのだ。
だからこそ、敢えて。
他のグループと比較して、自分たちの方が上だ、などと、烏滸がましいにも程がある物言いができるはずがない。
不遇などという言葉は好きではないが、たとえどれだけ煌びやかな世界にいるように見えても、裏での苦悩は必ず彼女たちを襲っていたはずで、それを少しでも垣間見ている人であるならば、そんな傲慢甚だしい言葉が出てくるはずはないのである。
そして、この勢いもいつまで続くか、わからない。
たとえ今は順風満帆に見えても、何が起きるかは誰にもわからない。誰にもその原因がわからない事態だって、ないとは言えない。そのときに、そういった傲慢な態度は必ず自分に返ってくる。
周囲をリスペクトしない、唯我独尊な姿勢が褒め称えられるはずがない。古今東西間違いない事実である。
謙虚に、そして冷静に、現実を見つめる。
過大評価も、過小評価も、しない。
彼女たちの力になることだけを探したい。
このところの勢いがあるだけに、強く心に留めておきたい。