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そろそろこの論争に終止符を打ちたいという難易度に挑戦するー推しメン映せ勢vs楽曲の世界観重視勢の仁義なき戦い 毎日note neo #27 特集の金曜日 2024年9月27日付

#櫻坂46_IWTC のMVが公開されて、先行配信でわかっていたこともあったけれど、やはりこの転調の持つ迫力というのは、映像になるとさらに際立つなとずっと観ていて思ったものだ。

特に私はラストセクション(敢えてあれをラスサビとは呼ばない笑)の曲調が好きすぎて、全編あの曲調での楽曲も、櫻坂に出してもらいたいなと思うほどではある。

さて。

今回のMVでは本当に、かつて欅坂の時代に見られたような、「いつか来た道」がまた再現されていたかのようなTLの反応が見られた。

要するに

推しメンがあまりにも映っていない

というアレだ。


欅坂時代には毎シングルごとにこの話ばかりだった。
センターである平手友梨奈が最も多く映るのは当然として、それ以外のメンバーは全員選抜であるにもかかわらず、秒で数えるほどしか映っていない。そのことがまた、平手への批判の一端にもなったりしたのだが、それは平手の責任でもなんでもない。

もちろん私にも推しメンはいたが、なぜかそんな秒数でしか測れない映り方しかしていなくても、そのことで文句を言おう批判しようなどという考えは微塵もなかった。本当に不思議なくらい、なかった。
でもそれは考えてみれば、私自身が推しメンがどうのということ以上に、楽曲の世界観が好きでこのグループを推し始めたところに起因するのかもしれない。
そういうものだと勝手に認識していたから、或いは誤解していたとも言えるかもしれない。でもそれで不自由を感じたことはなかった。

もちろんそれもあるし、メンバーが平手友梨奈を中心とした楽曲の世界を描き、その楽曲をいかに伝えるかということに心を砕いた結果を見せてもらえていると思っていたから、推しメンがそこにいることもちゃんとわかっていたから、だから推しメンが映ってないことで不満に感じることはなかった。

ただ、やはり当時から「推しメンが映っていない」と不満を吐露する向きはいたように感じる。


本当に、いつか来た道。


もちろん、推しメンが映っていないことを嘆くな、と言うつもりはない。そりゃたくさん観たいだろうというのはよくわかるし、私にそういうところがないかと言われると、ないとは言わない。
では何を危惧しているかというと、推しメンの存在の有無でグループの、楽曲の良し悪しを決めてしまいがちな、そのレベルでの感想に成り下がってしまうこと、逆に言うなら、推しメンがいればなんでもいい、という評価になってしまうことが、結局はグループの評価を下げてしまうことになりはしないか、という点である。

アイドルだから、推しメンが見ていたい。繰り返すけれど、それはわかる。

個人的な感覚だけど、でもそれは櫻坂46というグループを推す推し方なのかな、という想いが消えない。


例えば、「これならBACKSの方がマシだった」と書いている人も目にしたし、でもただ目にしただけで、何も反応しなかったけれど、結構目にした人が多くて、それこそBACKSメンバーを推す方々の相当強い反発を喰らったようだ。

結局、こういうのを危惧しているのだということ。

余計な言い争いにしかならない言葉であり、たくさん映っていさえすればいいという言い方なのであって、そりゃ怒りを買うのは当たり前ではある。

まして、小田倉麗奈推しの皆様(というか私もだけど)に至っては、選抜にもBACKSにもいないのだから、どういう感情になればいいんだという話になる。


こんなことを言うのは反則だとわかっていて言うけれど、あのIWTCの世界に、小田倉麗奈が躍動するところも観たかったよ推しとして。
指標の一つに過ぎないから、もちろん確定的なことは言えないけれど、ミーグリの売上で言えば、表題選抜の可能性も少しはあったのだから。


もちろん彼女の場合は、そんなことは言っていられない。
腰は何よりも優先すべきことなのだから。


…などと、いつか来た道をじっと見守りながらではあったけれど、一方でそんなTLを「雰囲気が悪い」と評されている方もいらっしゃった。

悪いというか、このTLの景色はよくあることではある。
どちらかというと、Buddiesが一枚岩になっていることを目にする方が少ない。AAAの投票とか、9thの団結したCD購入とか、あちらの方が逆に驚いたくらいだ。
要は、当然同じグループを推す者同士なので、協力できる余地は当然ある。けれど、やはり多種多様な考え方の皆様が集まっているので、一つの方向を全員で見ながら進む、という方が難しいに決まっている。

雰囲気が悪いということは対極に、雰囲気がいい状態というのがあることになるが、これは個人的な想像だけど、おそらくそんないい雰囲気のTLというのは、「この曲ヤバい!」「曲調めっちゃ好き!」「⚪︎⚪︎の表情泣ける!」などで埋め尽くされるTLのことを指しているのではないかと思われる。

ただねえ…それは、理想論だよねと。

どんなフォメであっても、どんな楽曲であっても、どんなMVであっても。
不満に思う方は間違いなくいいらっしゃる。


だから気をつけるべきことは、持論と異なる方のご意見を見かけたとき、全否定することをわざわざ書かない、ということに尽きる。結局、ネットリテラシーの話になるんだけど。

そして、これもここで何度か述べたことがあるけれど。
間違いなくメンバーはSNSを見ている。

決して見てますとは言わないだろうけれど。


それは当然の話と言えば当然で、リアルタイムに今行われていることについて、ダイレクトに反応が見られるのはSNSしかない。それが気にならない方が変なのであって。

ということは、MVが公開された瞬間も、彼女たちがどこにいたかは知らないけれど、きっとBuddiesと同じようにプレミア公開を見て、そのままSNSの反応をチェックしに行くのが、行動として自然だろう。


ということは、その「推しメンが映ってないから」云々、という評価も目にしている可能性が十分ある。では、それを見たとき、彼女たちは一体何を思うのか。

SNSの使い方として、自分の感想を何でもかんでも書いてOK、というのは些か間違っている気がする。なぜか。

公開だからである。

少なくともどぎつい意見を目にしたら傷つく人もいるだろう、というその発想にならないといけない。そんなの知るか、という人はSNSは向いてない。

ましてそれをメンバーが見たら、どう思うか。
それが想像できない人が向いているわけがない。
自分の言いたいことが何よりも優先される、という人なのだろうから。

私もTwitterをやり、noteもやり、他にもSNSをいくつか開設しているが、言いたいことの1/3も言ってないと思う。


話が逸れたけど。

推しメンが「推しメンをもっと映せ」という書き込みを見たとき、喜んでくれるかどうかだと思うのだ。
もちろん悪い気はしないかもしれない。
でも、櫻坂として一体となって、メッセージを、楽曲を届けようとして制作したものであればあるほど、映る映らないで評価されてしまうことがどれだけ寂しく感じることか。

だからと言って、推しメン映せを言うな、とまでは言わない。だって気持ちはよくわかるから。
そうではなく、少し楽曲の見方を変えてみませんか、という提案である。

推しメン中心ではなく、楽曲を中心に、軸でご覧になれば。

また何か違った見方ができませんかと申し上げたいのである。


意見が同じ人と一緒にいるのは、実に心地いい。
でも、自分の意見を研ぎ澄ませるには、反対意見や異なった意見の人を大切にしなさい、とよく言われたことを思い出す。
確かにムカつくこともあるかもしれないけれど、でも自分の意見って主観だから、自分では正しいと思いつつ、本当にそうなのかと振り返ることをするかどうか。
自分で振り返れないのならば、それを指摘してくれる人をそばに置いておく方がいいと。


推しメンがもっと多く映っているMVがよかった!というオタクとしてあまりに真っ当な意見と、
櫻坂の世界観のためには仕方ない!映っていないとしても、彼女たちが届けたい楽曲に浸るべき!という意見。

どちらが正しい?

どちらも正しいでしょうそれは。

納得できるまで戦わせてみたらいいんだよ。

そういうことでしか生まれないものだってあるはずだから。



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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。