乃木坂櫻坂の新曲リリース前の、覚書のようなもの

櫻坂46の4thシングル「五月雨よ」のジャケ写
乃木坂46の29thシングル「Actually…」ジャケ写

私、川島雅隆のブログは主戦場がはてなブログである。櫻坂日向坂について書くのはあちらがメインではあるけれど、せっかくこのnoteを開設したからには、どうにか有効活用できないかいろいろ考えていた。
1本記事を書いただけで、そのままになっているのも勿体無い。


広い世界の中では、この時期戦争が起きている箇所もある。

戦争なんて最初に始めた者が、その批判を免れないのは間違いない。こうして呑気に安全な場所で自分の考えを発信できる状況にあることを、心から感謝しつつ、一方で命の危険に晒されている多くのウクライナ国民の無事を心から願い、そして我々としてできることを探し行動しなければならない。

その上で見えてくること。
歴史上の戦争もそうだし、街中の小さな言い争いに至るまで、揉め事というのは往々にして、双方が自分が正しいと思い込んでいる。自分が正しくて、相手が間違っている。だから自分の正しさを強く訴えて相手に間違いを認めさせたい。そんなところから事が発している場合がほとんどではないだろうか。

何故こんな話をしているかというと、乃木坂5期生・中西アルノを巡る一連の騒動が、欅坂へ流れ弾として飛んできたことを一つの側面として、乃木坂ファンが乃木坂を見る眼と、欅坂櫻坂ファンである現Buddiesがメンバーを見る眼のちょっとした違いに気付かされたことが自分の中でも特筆すべきことだからである。

中西アルノを巡る騒動は、実に複雑な重層構造になっている。
もちろんその騒動自体に触れることは、ここでの主旨に外れるが、彼女がいきなりセンターに抜擢されたことに違和感はあろうものの、そのことがメインの理由ではない。それ以外の部分の要素が強いのは知っている。
もはや事実かどうか、ということより、その類の疑惑を持たれてしまっていることそのものが乃木坂ファンに受け入れ難い、という段階になってしまっている。

それはともかく。

私として言及しておきたいのはどちらかといえば、29th「Actually…」が披露されたときに、欅坂の名前が持ち出されたことにある。
乃木坂界隈では、あの曲のパフォーマンスが、欅坂46と被ったのだろう。
乃木坂と欅坂では、そのスタイルが両極ほど違う。乃木坂を推す人たちが、欅坂のスタイルを極度に避けようとするのはわからないでもない。スタイルが違いすぎて、乃木坂単推しの人たちにとっての欅坂なんてアイドルらしくないどころか、もはやモンスターのような扱いかもしれない。
一方で、欅坂を推す人は、乃木坂を坂道の先輩としてリスペクトはするものの、じゃあなぜ乃木坂でなく欅坂なのですか、と言われれば、やはり乃木坂のどこかに物足りなさを感じていて、それがのめり込めない理由だったりする、というのを聞いたことがある。
そしてもちろん、それも「一部の意見」であることは付け加えさせていただく。

欅坂櫻坂界隈であの「Actually…」を見て、欅坂を想起した人はあまり多くなかった印象。実際振り付けで似てた部分はあったな、くらいでしかない。一方で、乃木坂界隈のほうが欅坂を感じた人が多かった、というのは結構興味深い事実である。

その原因を探ってみると、確かにセンター中西アルノを中心にした振り付けで、他のメンバーはなかなか画面に顔が映り込んでくることすらあまりない。これが、平手友梨奈を中心としたあの欅坂の空気とオーバーラップしてしまったのだろう。乃木坂界隈から聞こえてきたのは、「今更失敗した欅坂の後追いをするのか」というディスだった。自分たちの推しグループを心配するのは当然わかるとして、そういう言い方をすれば欅坂界隈の人がどう思うかという発想すらないくらい追い詰められていたというのだろうか。

繰り返しになるが、欅坂界隈では「どこが欅坂なの?」という声がほとんどだった。
乃木坂界隈、これをどう見るのか。




そうか、どうでもいいか。





でもこれだけは言っておきたいことがある。

あのパフォーマンスの後、こんな書き込みを目にした。

アルノ以外、ほとんど顔すら映らない。欅坂で平手以外を推してた人たち、よくこんな状態で握手券買おうと思えたな。尊敬するよ。

5chより

もちろん、これは乃木坂を推す、ほんのごくごく一部の意見だろう。それはもちろんわかった上でだ。
乃木坂を推す人たちは、グループ愛ももちろんあるだろうが、やはりどちらかというと個人推しの傾向の方が強いんじゃないか。
もしそうではない、と言うのなら、メンバーがあの曲で伝えたかったものに、気持ちを馳せる声が何故そんなに少ないのか。

欅坂も櫻坂もそうだが、たとえその人が画面に映ろうが映るまいが(もちろん映ってくれた方が嬉しいに決まってるが)、グループとして楽曲を届けたい、という気持ちでパフォーマンスしていると私たちは知っている。曲を届ける一心の方が前面に出るので、全体の見せ方の方が、個人が映る映らないよりも大切にしたいのである。少なくとも私としては。
だから極端な話、誰がセンターであってもそれはできるし、たとえ顔が映らなくてもそこにいることで楽曲を届けたい意志は感じられる。3列目だろうがどこだろうが、決して手抜きなんかしない。自分の推しメンを信じるから、たとえ映ってなくてもきっとそれを体現してくれているだろうと。
楽曲を届けたい、というのは私たちが届けて欲しいと望んでいる、というよりは、当のメンバーたちが望んでいることであり、私たちとしてはその望みに応えてあげたいという心である。

Buddies全てがそうだとは言わない。もちろん箱よりも推しメンの方が大切だ、推しメンを表題選抜に入れろ、推しメンをTVで映せ、という人だってたくさんいてもおかしくない。でも少なくとも、私の周囲にいる欅坂櫻坂を推す人で、それを前面に出している人にはあまりお目にかかったことがない。

正直言うと、私は乃木坂界隈もそうなんじゃないかと思っていた。確かに「Actually…」で、ああそうか、欅坂を表面でしか知らない人たちだったら、あれを見て欅坂を思い起こすのか、とは思ったけど、そこから「バックダンサーみたいになってるのは耐えられない」という言葉になるということは、この人たちは乃木坂のメンバーが伝えようとする曲の世界は二の次なのかな、という印象だということだ。

「Actually…」にも必ずそれがあるはずだ。新しい境地、と彼女たちが言うからには当然気合も入るだろうし、どこまで自分達の想いが伝わるかを最も気にしているはず。にもかかわらず、「欅坂の後追い」「バックダンサー」「顔が映ってない」ばかりで、曲のことに触れてる感想が本当に見当たらなかったことが、最も乃木坂のメンバーを傷つけることになりはしないのだろうか。

曲の世界観。楽曲を届けたいという強い強い想い。その一部としてそこにいるメンバー。その強い気持ちを知っているから、欅坂46はどのメンバーも推せたのであって、顔が映ってないから握手券を買う気にならないなんて、そもそも発想にすらない。それは櫻坂となった今でも同じだし、その想いで結束してるからこそ情念が乗り移るし、それがさらに形となるし。

おそらくだが、乃木坂界隈が感じた「Actually…」の欅坂感はまさに表面上であって、私たちがそれを感じなかったのはそこに欅坂と同じ情念を感じなかったからではないかと思っている。
もちろんそれがないからダメだ、という話ではない。
似て非なるもの、ということだ。
欅坂の情念は、欅坂でしか出せない。
乃木坂があのパフォーマンスで出したかったものは、それではなく、別に必ずあったはずだ。
そしてそれは、乃木坂界隈が最も理解してあげなければいけないことなのではないか。

そんなふうに思ったりする。

…そうは言っても、色んな意味で納得できない人が多いのももちろんわかっている。だから重層構造なのだ。単純な話ではないだろう。

でもあの場面で欅坂という名前が出てきた以上、そして勝手に失敗扱いされた以上、どうしてもそれだけは言っておかないとと思ったのは、欅坂46として活動してきた全メンバー、彼女たちをサポートしてくれたスタッフの皆様に対してこんな失礼な話はないだろうと、数日経った今でも思っているからだ。


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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。