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闘い続けることの意味を今一度ー平手友梨奈事務所移籍報道 毎日note EX 2024年7月28日付

予想どおりというかなんというか。
やはり夏期講習が始まってしまうと、書くという動きはなかなか時間が取れないですね。当たり前か笑

そもそも、ほぼ一日中仕事してるとSNSその他の情報に触れる時間もないので、触れたとしてもそこから何か発信する時間があるわけはないので、仕事が終わってから見てみると既に祭りのあと、なんてこともあって寂しい想いをするというのも季節の風物詩でして笑


そんな中。

敢えて貼りはしませんが、ちょうど平手友梨奈の事務所契約解除、報道によっては移籍かという情報が流れたタイミングで、まず偶然でしょうが、欅坂46 8thシングル「黒い羊」の再生回数が3000万回を達成しました。

2015年からずっと欅坂46を追ってきて、櫻坂46となってからも変わらず今に至る川島ですが、前身のはてなブログ時代から平手友梨奈を取り上げることは、そういう意味で極めて自然でした。


当時からそうですが、平手の報道というと、決まって、やれドタキャンだとかわがままだとか、ネガティブな情報をマスコミがこぞって流していて、そもそも今回の話も事実かどうかわからないのに、彼女の「素行」のせいにして記事を書いています。
例えば週刊文春の悪辣さなんていうのは今更言うまでもないし、欅坂を活動休止に追い込んだ一翼だったと私は今でも思っていますが、それ以外の週刊誌も結局似たり寄ったり。平手友梨奈に関することなんて本当に、誰かに指示されたのかというくらい同じような論調になっているのはいったい何故なんでしょう。

確かに、クリエイティブなものに対して、彼女のこだわりは極めて強い。それはそのとおりなのだろうと思います。欅坂時代の作品への接し方を見ていたらよくわかる。ただそのこと一つをとって「問題児」「わがまま」などとマイナスに評するのは、結局そういう見方しかできない周囲の人間への取材しかしていないか、もしくはそういう言葉で彩った方がセンセーショナルで記事の目を引くからではないですか。

平手友梨奈を高く評価する人は、極めて多い。それこそSNSを見てもそういう声がたくさんあるのに、敢えてそれはスルーして、ネガティブな情報や声だけを取り上げる。すると平手友梨奈へのマイナスな印象が強く植え付けられる。

昨今のマスコミが眉を顰め続けられている原因は、まさにそれなのではないですか。


平手友梨奈という人が、ひいては欅坂46が世間であれだけのムーブメントになった理由は、平手友梨奈を受け入れられないという人が持つ感情とそっくり裏返しだったんじゃないか、と思うことがあります。

アイドルは、ニコニコして踊っていればいい。
可愛いこそ正義。
そういうアイドルが好きな人が一定数いるのは、もちろん知っています。
そんなアイドルの中で、欅坂は私たちの知らない間に「笑わないアイドル」として定着していった。
一応誤解なきように申し上げておくと、最初は決してそんなアイドルではなかったのです。本当にいつの頃からか、たぶん4th「不協和音」の頃からだったように思いますが、笑わないアイドルとしてのポジションを確立していった。そうなると今度は、愛想を振り撒くアイドルしか受け入れない人たちから嫌悪の目を向けられる。
ところが、その逆に、笑いはしないけれど、成長過程において必ずと言っていいほど経験する心の機微を、ここまで的確に表してくれるグループがあるのかと、およそアイドルとは接してこなかった層の人気を獲得しました。

アイドル好きにはあまり受け入れられず、アイドルを知らなかった層には刺さる。
もちろんそれだけではないにせよ、乃木坂46の妹分ということで坂道でも後発のグループが、あれだけの知名度を誇るようになったのは、間違いなくそういう一面があったことが要因だと私は思っています。

そしてなんといっても。

平手友梨奈。

彼女の存在が本当に大きかった。

笑わないアイドルとしての象徴は、もちろん彼女でした。




櫻坂46の9thシングル「自業自得」には

理屈よりも感情で生きろ

という歌詞がありますが、実はいくら理屈でガチガチに固めようと、世の中の多くのことは、中心にあるのは実は感情なのではないか、と思っています。
玉ねぎのような表面をめくってめくって、中心に辿り着いたとしたら、そこにあるのは感情。
好きか嫌いか。
その感情を、変に語彙力だけはある物書きの連中が肉付けをしていって、いかにも理論的に見せているだけのような気がしています。

好きだから、持ち上げる。
嫌いだから、叩く。

それだけ。



あのときの平手友梨奈は、笑わずにそこにいるだけで相当な存在感がありました。

あの目に惹きつけられた人が多い一方で
あの目に嫌悪感を抱いた人がたくさんいたのもまた、事実だったんだろうと思います。

そこに乗っかるのは、

「アイドルのくせに、なんだその目は」

という感情。


気に入らない。


叩け。


あとはコタツ記事だろうが、妄想による作文だろうが、それを読んだ人が勝手に共感して広げていく。
事実か虚構かは関係ない。
「平手友梨奈はわがままだ」という記事を読んで「やっぱりそうだったのか」と思い込む。
それが事実かどうかなんて調べもしないし、もっと言えばどうでもよくて。
自分の嫌いな人間が叩かれていればそれでいい。
自分の感情に合わせた方を事実だと思い込んで拡散していく。


結局のところ、そういうのが本当のところじゃないのでしょうか。


平手友梨奈は、かつてレギュラーのラジオを卒業する際、そのラジオを聴いている人に語りかけたことがあります。
この話でよく話題に上がるのは、「言葉の暴力はしないでほしい」ということと「SNSの使い方を間違えないでほしい」ということではあるし、全くもってそれはそのとおりですが、私はその後に語った言葉が強く印象に残っています。

それは

どれだけ嫌なことがあっても、逃げずに闘ってほしい

という言葉。

全く事実と違うことが、かつてと同じようにネガティブキャンペーンで世に広められて、そのことで何かを発信したとしても、曲解して受け取られる可能性がある以上は、発信もしない。

けれど、闘いは、やめない。

平手友梨奈はどこかで闘っているんだと思うんです。今この瞬間も。


逃げずに闘ってほしい。

私は…

その言葉があったので、実は欅坂46の改名、そして櫻坂46をずっと追うことを決めたところがあります。
欅坂を一旦リセットして、櫻坂という名前で再出発するということは、紛うことなき闘いです。
その闘いを選んだ彼女たちをずっと支えようと決心することも、また闘う覚悟の要ることでした。

そしてその闘いは、今も続いています。



存在そのものが「黒い羊」になろうが、どうなろうが
闘いはやめない。





そしてこれだけはどうしても言っておきたいのは

自分よりも魅力あるメンバーがあれだけたくさんいる
そんな子たちにも、ちゃんと光を当ててあげてほしい
自分よりも光を当ててあげてほしい

もし自分がいることで、それが叶わないというのなら
自分はいなくなってもいい

そこまで思い詰めた人間を、どうしてまたさらに叩こうとするのか

その想いのどこに「わがまま」の要素があるのか

敢えて言うなら、周囲の大人がそれに対応できなかったという、己の力不足を、彼女の責任に転嫁しているだけじゃないのか


と、本当によく思うのです。



睨んでいる
なんだあいつ
不快だ
叩け

そんな感情で人を貶めるような連中に、絶対負けてなるものか。



平手友梨奈は、自分の言葉に責任を持てる人です。
だからあの言葉どおり、間違いなく今も闘っているはず。

彼女が愛した欅坂46も、櫻坂46に改名して、闘いを続けている最中です。
世間の知名度との闘い。
そして、皮肉なことに、欅坂46を超えるという闘い。


そして、推している側。
全員がそうだ、などと大きな主語で語る気はありません。
ただ少なくとも、2015年の欅坂46結成時から見てきている私は…


間違いなく闘っています。


そしてもちろん。



これからも闘い続けます。





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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。