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【一部有料部分あり】櫻坂in東京ドームステバ完売で今だからこそ「欅坂46を超えろ」を科学するー毎日note #33 有料noteの日曜日 2024年6月2日付
櫻坂46 4th ARENA TOUR 2024
— 櫻坂を咲かす会 (@saku_saka46) June 1, 2024
新・櫻前線 -Go on back?- in 東京ドーム
一般発売当日に2日間全席完売!#櫻坂46_4thTOUR東京ドーム pic.twitter.com/X2lZ3H4HBO
櫻坂46「4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?-」追加公演の東京ドーム2DAYSが、今回の一般販売をもって、ステージバック席を含めた全座席が完売となった。
正直、これだけで涙が出そうになった。
いや、泣いていいかな。
私が塾で教えている教科は文系教科全般であるが、専門は社会科である。
歴史を教えていてよく聞かれるのは、「歴史ってなんで勉強せなあかんの?」ということと「歴史なんか丸暗記したらええんと違うの?」ということ。
後者の質問はこの話の趣旨と関係ないが、前者はそうもいかない。
なぜ歴史を学ぶのかー多様な答えがありそうだが、私は
「過去の出来事を現代に生かすため」
というのをひとつの答えとして提示している。
歴史的事実の正誤とか、良し悪しということは私などでは定義できない。できない代わりに、その伝えられる事実を事実として提示することはできる。あとはそれをどう考えるかが、示された側に投げられたボールである。
そして、それをいかに今の世に生かすかが大切であって、それができなければそれこそただの自己満足に終わってしまう。
話を戻そう。
櫻坂46の東京ドーム公演のチケットが、ステージバック席まで含めて全完売した、というひとつの事実がそこにあって。
東京ドームでは過去、欅坂46時代に一度、櫻坂46に改名して一度、その舞台に立っていて。
比較するなら他グループではなく、過去の彼女たちと比較するのがセオリーだと私は信じている。
そこで、過去の彼女たちのドーム公演という「歴史的事実」と比較してみたい。
欅坂46が東京ドームの舞台に立ったのは、2019年9月18日、19日の2DAYS。
欅坂も櫻坂もそうだが、ドームというと槍玉に上がるのが、観客動員数。
もう逃げたくもないので、はっきりと記しておこう。
私が参戦した欅坂ドームDAY2、よく客が入っていなかったのではと言われることがあるが、実際に参戦した一人として、キッパリと否定しておく。
3階席まで人が埋まっていた。客席を確認したので間違いない。
ただし、おそらく間違いないこととして、今回の櫻坂のように、注釈付き指定席やステージバック席が発売されることはなかったと記憶している。それをもって満員と呼ぶのなら、確かに満員ではなかったかもしれない。
櫻坂46に改名後、東京ドーム公演が行われたのは、2022年11月8日、9日の2DAYS。
9日は菅井友香卒業セレモニーが行われた。
あの、本当に夢も希望も一体どこにあるのだろうと、正直暗中模索の中スタートしたのが櫻坂46の駆け登る坂であり。
東京ドームを押さえるなら、少なくとも一年前、早ければ二年前とも言われる中、今考えると櫻坂船出の時期にはおそらく、菅井友香の卒業の時期と場所がすでに設定されていたとも目される時期。
不安の中でNobody's faultを必死にパフォーマンスする櫻坂が、二年後どうなっているかなど誰にも想像できるはずはなく。
菅井友香の卒業へ道のりは着々と整えられ、順調に進んでいった分、グループとしての成長がまだ、東京ドームに追いつかない部分はあった。これは、特にキャプテン松田里奈が認めている。
まぁ正直言えば悔しかった。
ゆっかー推しとしては、確かに360°満員の東京ドームで門出を祝ってあげたい、という気持ちがなかったかと言われると言葉が出ない。
結果彼女たちは、観客が埋まらなかったのは自分たちに何かが足りてなかったからだと自分を顧みる。
そしてそこから、なんなら東京ドーム公演が終わった瞬間から、次のドーム公演へ向けての「戦い」が始まったようなものであった。
その「戦い」も二年が経過して。
櫻坂はいろんな意味で「激変」した。
均した土地に、5th桜月という種を蒔き、その種が6thスタオバという大木となり、7th承認欲求という大輪の花を咲かせた。8th何歳の頃に戻りたいのか?という実までつけた。
その過程で、三期生という天然由来の農薬まで手に入った。これが成長に拍車をかけた。
ツアーを行えば、ステバまで完売。
グッズを販売すれば、売れすぎて早々に欠品。
新曲を出せば、ミーグリの完売速度が前作に比べて速いのなんの。
勢い?もちろんそうだろう。
でもそれだけで片付けられる話なのかどうか。
ここまで来た。
ここまで来た、とはっきり言えるようになった。
そんな今だからこそ、ちゃんと検証しておきたい。
それは、これだ。
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ここまで来ると、最初に述べた「歴史」を知らない人も当然増えてくる。
また、そんな「歴史」に拘らない人も増えてくる。
時の流れというのは、そんなものだ。
そして、そちらが趨勢となってしまえば、私の持っている拘りなど見向きもされないのかもしれない。
時の経過というのは、なぜならメンバーの心も変える可能性があるからだ。
改名当初はもしかしたら、この思いを熱く抱いていたメンバーもいたかもしれない。一方で、小林由依のように、当初から超える超えないということはあまり意識しなかった、というメンバーだっていただろう。
欅坂を超えるとか超えないとかって話を例えばTwitterですると、いつだったか「超えさせない」と言っていた人がいたのはなぜか心に刺さった。
超えさせない、ってなんだろう??
どっちもよしじゃダメなのかと言っている人もいて、まだそっちの方が理屈はわかる。
でも私の中では、結論から言うとダメだ。
超えなきゃいけないんだ。
親は子に簡単に超えさせてはならない。それは子にとっての最後の砦だからだ。子が本当に成長し、最後は親と対峙する。
そして親を超える。
その瞬間、親は感激の涙に暮れるのだ。
本当は、親が最も望むことは、子が自分を超えてくれることなのだ。
それが、命を繋ぐ、ということだと私は思っている。
欅坂46は、志半ばで、翼折れた。
やり切ったわけではない。
未練もイヤというほどあった。
まだまだ欅坂で成し遂げたいことは、メンバーもファンも両方あった。
でもそれが叶わなかった。
そうであるならば、後継の櫻坂46に託すしかなかった。
はっきり言ってしまえば
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あの改名のとき、ここにしか櫻坂の生きる道はない、とさえ思ったものだ。
当時の私はそのことをブログに書いていた。今でもそう思っている。
だがしかし、「超える」とは何なのか。
どうなったら、超えたことになるのか。
おそらくだが、当時の運営がそんな具体的なことを考えていたとは到底思えない。
むしろ観念的でありながら、それでいてキャッチーさがある、それ以外の何物でもなかったと思われる。
観念的、というフワッとした感覚で捉えたとしても、2022年まではおよそ超えたとは誰も考えていなかったと思う。
そんな風向きが変わったのは、2023年。前述のとおりだ。
その結果。
そもそも欅坂櫻坂ドーム公演で初めて、注釈付き指定席やステージバック席が発売された、それだけでも「超えた」と言ってもいいかもしれない。
でも。
やはり。
完売でちゃんと超えたかった。
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…見事だ。
櫻坂として、櫻坂の魅力だけで、東京ドームを全座席売り切った!
誰かが卒業するわけでもない。本当に、櫻坂としての魅力だけで。
欅坂46が達成できなかったことを、成し遂げたんだ。
欅坂46を、超えた。
少なくとも、ある一側面では、超えたのだ。
誤解のないように言っておくが、私は自他ともに認める重度のケヤヲタである(ケヤカスではない)。欅坂46が私の心の中にずっと棲んでいて離れない、それはもう一生モノだろうなと思っている。そしてもちろん、それを誇りにさえ思っている。
また同じくらい、その後継の櫻坂46というグループを、心から愛している。メンバーはもちろん、スタッフの皆さん、彼女たちの周囲で甲斐甲斐しく動いていただいているチーム櫻坂の方々、大道具さん小道具さんに至るまで、さらにはなんと言っても彼女たちの魅力に取り憑かれたBuddiesの皆さん、中でもTwitterで繋がっていただいた皆さんと、これからも彼女たちがある限りずっと繋がっていたいと思うくらいである。
どちらかを選べと言われても、選べない。それが本音。
でも、だからこそと言うべきか、櫻坂は欅坂を超えてこそ初めて、櫻坂としての独自の道を歩むことできるのではないかと本気でずっと思っていたのだ。
とはいえ、そんな考え方をメンバーに強いたことも、押し付けたこともない。伝えたことすらない。彼女たちには彼女たちの考え方があるだろうし、もちろんそれを尊重したいので。
だから、望むと望まざるにかかわらず、そういう現実だけが現れてくれればいいとさえ思っていた。
時は来た。
まさにここで使うべき言葉だ。
無料編でも書いたけれど、客席が埋まらない、ガラガラと揶揄されたときはやはり悔しかったのは事実だ。でもその一方で、それを言っている人たちがどういう人なのかとても興味があった。
逆に言えば、観客動員でしかグループの上下を測れない人なのだ。いや、そもそもグループに上下などつける必要などないのだけれど。
そして、そのときの「勢い」というものから、その先を占うことしかできない人であった。ここから上がり目はない、と勝手に判断していた。どうしてそんなことがわかるのか、そのエビデンスもなく。
逆に、今伸びているグループは、これからもずっと伸びていくと思っているフシもあった。結局見ているのは今そこにある「現実」のみで、たったそれだけで未来を予想している底の浅さ、薄っぺらさしかないのによくそこまで語れるものだと感心する。「成長」や「衰退」ということが全く考慮に入っていないとは恐れ入る。
この記事を書くにあたって、2022櫻坂東京ドームの件を少し調べたりしてみたのだが、客席が埋まってない、だから櫻坂はダメなんだ、もう終わりだと言わんばかりのことを平気で書いている人が散見された。
私自身は、もちろん心穏やかではなかったけれど、櫻坂のメンバーが持つポテンシャルは絶対に間違いない、もしそれがわからないようだったら世間の方がおかしいとさえ思っていたし、焦る必要はないと自分に言い聞かせていた。
彼女たちの持つものが、本物だと信じていたから。
だから改めて、思うことがあって。
人間というのは、今そこにある現実からでしかものが考えられない人が非常に多い。
上昇機運の現実を見せられれば、これからも未来永劫上昇すると信じ
下降しているように見えれば、ずっと下降していくように考える。
私たちだって、生徒の模試の結果を見て、偏差値が上昇してるから次も上昇すると信じるなんて危なくてできないし、下がっているからといって次も下がるだろう、なんて予測するだけじゃ塾講師なんか務まるか。
上げるためにはどうすればいいかを、本人や、場合によってはご家族交えて話し合うし。
確かに、櫻坂の2022ドーム公演は、全部埋まらなかった。それは事実だ。完売はしたかもしれないけれど、そもそも売りに出していなかった座席もあるので、それで満員とは言い難かった。
でも。
それをもって、このグループは終わりだとはどういうことだ。
なぜもう上がり目がないと感じたのだ。
そこが本当に聞きたかった。
理由はわかっている。おそらくそうじゃないんだ。
終わってほしかっただけなのだ。
理由は、嫌いだから。
櫻坂なんてグループは、終わってほしかった。
それが本当のその連中の本音なのだ。
証拠はないが、おそらく間違いない。
その、嫌いの理由まではわからない。
他グループを推している人が脅威に感じていたからなのか、そもそも欅坂にいい印象を抱いていなかったから、後継の櫻坂も嫌い、ということなのか。
いずれにせよ、良き印象を抱いていたとするなら、下がり目になっていたらどうやったら上がるかを考えるはずなのだ。
それがない。
ということは、上がらなくていい。
いや、上がってほしくない。
そのまま下がり続けてしまえ、という発想だ。
だが。
そこから2年。
どうだそのときの連中。
終わってほしい?
誰が終わらせるかよそんなもん。
注釈付き、ステバ席まで全完売。
これを聞いてもまだ、櫻坂はオワコンだと言えるエビデンスがあるなら出してみろと言いたい。
ただね。
勝って兜の緒を締めよじゃないけど、心しておくこともあると思うんだ。
それは、二年でここまで上がってきたことと、これからも上がり続けるということとは別だ、という話。
油断すれば、どうなるかわからない。
それこそ、ここからさらに上昇させるには、もっといろんな経験も、もしかしたら苦難もあるかもしれない。
上がってきたから、これからも上がる、と単に予測してしまったら、「下がっているからこれからも下がる」と予測していたその連中と大差ないんだ。
2024年、いや正確には2023年後半か。私は「ファンダム」という言葉を知った。
もちろん櫻坂界隈にも、熱狂的なBuddiesはたくさんいるので、その人たちの集団を「ファンダム」と呼ぶことには抵抗ない。
でもそれで終わっちゃダメだし、その範囲で終わるようなグループでもないと思うんだ。
ファンダムもいい。でも私はムーブメントにしたい。
欅坂を超えた、と書いたが、全てにおいて超えたとは、まだ思っていない。
心の底から私が、欅坂を超えたと言えるとすれば、それは…
欅坂を超える世の中のムーブメントを起こしたとき
ではないかなと。
ハードルは、相当高い。
でも、きっと彼女たちなら。
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