果たして川島の推しメンはもう一人増えるのか笑ー9thBACKS曲への様々な声に対するカウンターnote 毎日note #53 楽曲深掘りの土曜日 2024年6月22日付
もしかすると、楽曲深掘りというよりは、石森璃花について語るnoteになるかもしれない。なんとなく書く前からわかる笑
ドーム公演で発表された、9th BACKS LIVE開催。そんな9thBACKS曲のセンターは、石森璃花である。
楽曲とは関係のないところから入ると。
実際三期生の推しメンを決めるのは本当に大変だった。その大変さは過去のnoteにも書いたとおりなので、ご興味があれば目を通していただければ。
グループに魅力があって、そのグループで輝きたいとオーデを受けて、そして合格できる、そんな子に惹かれないはずがない。選ばれし人というのは必ず何かを持っているわけだし、しかも同じグループを元々推しているという共通点はシンパシーとなるし。
一方で、中嶋優月や村井優といった、グループのことをさほど知らないところから始まって、でもそれぞれのきっかけでもってオーデを受けるに至ったメンバーもいる。それはそれで運命を感じるし、運命だとすれば必要があったからこその巡り合わせだろうとも思う。
私が最初に推しメンにしたのは、そんな中嶋優月と山下瞳月、そして気になったのは小田倉麗奈だった。
選べなかった。
Anthem timeではないけれど、まさに「咲いてる花を選べるものか」だった。それぞれの推し理由をここで書くのは趣旨に外れるから他に譲るとして。
例えば日向坂46四期生・正源司陽子や山下葉留花を推す理由は、自分と同じ欅坂46との関わりが深いという理由だった。にもかかわらず、欅坂の系譜である櫻坂の推しメンは、その色が薄いことがどうも自己矛盾で仕方なかった。
山下瞳月は確かに以前から坂道のファンではあったものの、彼女を推す理由はそのこととはあまり強い関係性がないし。
その流れを重視するなら、もう一人推しメンにしなければこの自己矛盾はおさまらない。
それが石森璃花である。
彼女の場合は、村井優とは対極で、筋金入りのケヤヲタからスタートしている。おそらく私と同じで初期も初期。だから欅坂楽曲への思い入れは相当に深いはず。
その一端が垣間見えたのは、新参者公演のラストで「語るなら未来を…」を披露したあとの号泣だった。
外野が、その周辺情報だけであのときの彼女の感情を紐解こうとするのは、あまりにも不粋だとは思う。
でもそこに、伝説となった欅の木が関わっているとしたら、それを無視することなどできるわけがない。
実はそこで気づいてしまった。
石森璃花が私と同じ生粋のケヤヲタであることは、知っていたはずなのだ。知っていて推しメンにしていなかったのはなぜなのか。
ところがその時点で、すでにたくさんの三期生推しメンがいたし、これ以上増やすわけにもいかない…と思いつつ、8thシングル発売のときは、運命に導かれて村井優を推しメンに加えて。そうなるとますます整合性がとれない。
よし。
彼女がセンターのこの曲を、しっかり見て判断しよう。
そう思った。
9thのBACKSに限らず、櫻坂のBACKSはいつもいつもメンバーが強すぎる。
箱推しがベースだから、一人一人の強さを知っているのでそりゃ当然の意見でもあるかもしれないが、一期生が三人ともいて、選抜組でもおかしくないメンバーがたくさんいて、これでカップリングですって言われても、どう反応していいかわからなくなるのが実際のところだ。
そして、ここでも小池美波だ。
強い。
というか、一期生三人には全員言えることだけど、やはりその存在感の強さはまた特別だ。
歴史を背負う、というのはそういうことなのだろうか。
みいちゃんの凄まじいところは、休養明けで、おそらく自分でできるフルスロットルで目の前の課題に向き合っているところであり、それは私たちに翻って考えたときに、果たしてできていることだろうかと自問自答する。
みいちゃんがあの状態であそこまで頑張ろうとしているのに、自分はできているのだろうか。
楽曲がレトロ調なのもあるけれど、だからといってシリアスになりすぎず、しかも彼女たちの強さだけは伝えるという意味では、調合の具合の非常に難しい味付けだったとは思うけど、見事すぎる。
さて、肝心の歌詞だけど。
結局のところ話題に上がっていたのはこの部分だろう。
それにしても、この歌詞を聞いて、キモいと思うまではまだわかるにしても笑、差別だ云々というのは本当に意味不明の批判である。
なぜなら客観性がないからだ。
誰かが差別だと思った。
こことここが差別にあたる!と
でもそれはあなただけかもしれないですよね?
それこそあなたの感想ですよね?って話で。
もっと直接的な言葉で差別を助長しているなら、それは客観性がある。当然アウトだ。でもこの歌詞を差別云々と批判するには、あまりに客観性が足りない。
主観で何かを批判しても是だというなら、今以上に争いの絶えない世になる。その上収拾もつかない。
櫻坂だから言ってるわけでもなく、昨今何かにつけてすぐ炎上してる案件を見ると、じゃあ全方位に全て気を遣いつつ何かを表現しなきゃいけない、ということなのか、それって可能なのか、という思いに駆られる。
どんなものを世に出したところで、気に触る人はいるかもしれない。でもそんなことを考えていたら、何も表現できなくなってしまう。
己の主観で気に入らないものは徹底的に潰そうという風潮がいつも見えてしまって、辟易する。
キモい歌詞なのはそうかもしれないけれど、それでいいじゃん。
嫌なら近づかなきゃいい話で。
ついでに言うと、そういう声に企業側も負けすぎ。
何か芯が真っ直ぐあっての表現なら、臆することなく突っぱねろといつも思う。
批判してる連中がいつも正しいとは限らない。
むしろ声を上げることが目的になってしまっている人もいるのに、いちいち取り合ってたらキリがない。
そんな意味不明の差別論よりも、私が気になったのは実はこの部分。
再び歌詞を紐解く。
この詞のテイストは、やはり欅坂の「僕」ではないのか。
ただ欅坂の主人公なら、このままの世界を構築し、メンバーをその世界の登場人物にして進んでいくのだろう。
ところが、この曲は櫻坂の楽曲だ。
ここで急に主語が変わったかのように前向きになる。
でもこれがまさに櫻坂で、欅坂との違いなのだろうと。
今の立ち位置から、欅坂の主人公に問いかけているように見えたのは、まさにここだ。
そしてそれができるとすれば…
ケヤヲタからスタートして、欅坂の世界観に首まで浸かっていた人が、そんな欅坂の主人公の手を引いて、前向きな道を進んでいく。
石森璃花が最もふさわしいじゃないか。
欅坂の世界を外から見て、櫻坂は中から見て、憧れと現実の両方を知る人。
彼女だからこそ描けるカタチ。
…よし、決めた
推す。
石森璃花さん、ごめんなさい。
私の推し活の基本から言えば、あなたを推さないと筋が通らない。
欅坂をずっと見てきた人。
思い入れの深さは間違いない。
その発展型である櫻坂は、あなたの雰囲気にぴったりだ。
桜のように可憐でありながら、内には欅の葉をなびかせる。
一年以上経って、やっと決心がついた。
あなたのことも推しメンと呼ばせてください。