「Buddies」という言葉の真の意味を知るー櫻坂46初の海外公演が繋がる先
櫻坂46がJapan Expoに参加する、と聞いたときは、正直鳥肌が立った。
推している自分が言うと手前味噌ではあるけれど、欅坂時代から実は海外での人気も一定数あって、ある程度欅坂の人気を裏支えしていた部分もあったように感じている。当時は握手会とLIVEだけだったので、来日しないと直に彼女たちを見ることができなかったのに、改名してもずっと推してくれていた海外のファンには頭が上がらない。
コロナ禍になって、日本に住んでいても、握手会がなくなってオンラインで会うことしかできなくなった。私はずっと知らなかったのだけれど、ミーグリは海外在住だと参加できなかったらしい。諸問題が絡むのだろうからなんともいえないけれど、来日しないと会えないという状況は結局同じままなのかと、そのことを知って暗澹たる気持ちになったことを思い出す。
考えてみればわかる。
言葉もわからない海外のアーティスト。LIVEにおいそれと参加もできない。会えもしない。その状態でもずっと応援していくには、逆境すら跳ね返すくらいの熱い想いが必要だ。裏を返せば、それだけ彼女たちが提供するコンテンツに力があったということでもあるけれど、それにしてもモチベーションがそこまで続くのかどうか。
自分たちに同じことができるかどうか。
日本で彼女たちとミーグリができ、彼女たちのLIVEに参戦できる環境にある私たちが、いかに恵まれているかを再認識する。
それとともに、そもそも欅坂も櫻坂も、どちらかといえば海外の方々にハマりそうだというのはよく言われていたことだ。
日本人は、いいところはもちろんたくさんあるけれど、悪い点も嫌というほど知っている。
とにかく、何かと比較して自分がそれより上であることを認識できないとずっと不安でいる厄介さがある。
これは、個がとても確立している、特に欧米の方々にとってはおそらく意味不明な内容であろう。
常に周りを気にしていて、自分が出せずにいる。なまじ自分を出そうものなら、周囲に奇異な目で見られる。だから安心するために平均の部分で収まろうとする。個性の喪失はそういう面からも生まれる。
似たようなものがあると、どうしても比較してしまうのは、そういう生来の部分を考えると仕方ないのかもしれないが、これがくだらないディスを生む。
乃木坂と比べてどうこう。
日向坂と比べてどうのこうの。
マウント取ったとしてなんなんだろうと心から思う。
それに、今どちらかが仮に上だったとしても、未来永劫そうであるとはもちろん限らない。だとすれば、今どちらが上とか下とか、そういうことになんの意味もないのは明々白々だ。
でも、それがわかっていても、上に立ちたがる。
例えば、欅坂や櫻坂から離れて乃木坂日向坂に流れた人の中には、いわゆるアイドルのステレオタイプを愛する人がいるのは間違いない。
アイドルといえば、で誰もが思い起こせる、そんなアイドル。
確かに、欅坂櫻坂の世界観は、そんなアイドルとは真逆だ。
アイドルらしいアイドルを求める人は、離れてもらってもいいとは思う。
ただ問題なのは、離れて行ったあとにわざわざディスるというところがどうにも解せない。
話が逸れてしまったので、戻すと。
いわゆるアイドルらしいアイドルでなかった欅坂櫻坂ではあるけれど、海外での評価は本当に高かった。MVを出せばYouTubeに英語のコメントが溢れるというのは日常茶飯事。でも考えてみれば、確かにメンバーの個々にスポットを当てるよりも、曲の世界観を構成するメンバーという視点で楽曲が作られているというのは、どちらかというと日本の音楽の作り方とは少し違う気もする。少なくとも、アイドルでそれをやっている、というのはあまり聞いたことがない。
誰かも言っていたことだが、アイドルでMVというとどうしても個々にクローズアップしたくなる。顔がしっかり映って、メンバーがその存在感をアピールするのが一般的なのかもしれない(私自身は他のアイドルは知らないので予想でしかないけれど)。とすると欅坂櫻坂の楽曲制作は、明らかに逆のベクトルだ。
その意味で、海外のファンが多いのも、当然といえば当然だ。
欅坂時代は、海外での公演がなかなか実現せず、コロナ禍の真っ只中に櫻坂に改名し、そんなコロナ禍の世界とともに歴史を刻んできた。日本国内ですら行動が制限されていた時代、海外公演など夢の世界だった。海外でこそ跳ねると踏んでいた私からすると、ここまでが本当にもどかしい日々だった。
だからこそ、鳥肌が立ったのだ。
パリ公演。
もちろん、単独LIVEではなく、Japan Expoという催し物の中での披露、ではあるけれど、逆に言えば海外単独公演への十分すぎるくらいのきっかけである。
櫻坂46のファンを総称して「Buddies」と呼ぶ。
意味は「仲間」。
そもそもは、櫻坂の楽曲の中に「Buddies」という曲があったところが発端なのだが、「W-KEYAKI FES.2021」で、この曲のセンターである山﨑天が「今日から皆さんはBuddiesです!」とこちらに語りかけた瞬間が、その誕生の瞬間とされる。
ある何かの魅力を知り、その何かの支えになりたいと思い、応援することに喜びを感じている状態。自分だけで熱中してももちろん楽しいのだけれど、できれば、多くの人に同じ感情になってもらいたい。そのことで喜んでくれればなお嬉しい。
…推すというのは、そういう感覚なのである。
その対象が、櫻坂46であって。
それをBuddiesと呼ぶのであって。
国籍も
民族も
性別も
年齢も
何もかも関係ない。
彼女たちを推したい。応援したい。
その気持ちがあればBuddiesなのであって。
全世界にいるBuddiesが、一人たりとも漏れることなく、その快挙を喜んだのが、このパリ公演の日だったのではないだろうか。
結構多くの日本人が、パリに向かったと聞く。
海外Buddiesも、地元パリ在住の方をはじめ、たくさんの方が来られたとか。
もちろんそれができるのは、限られた方々だ。誰もができるわけではない。
苦楽を共にしたメンバーと一緒に日本を発ったとはいえ、彼女たちから不安な気持ちが消えたわけではなかっただろう。初めて降り立った土地に日本人Buddiesがいれば、向こうから近づいてくるという心境も理解できる。Buddiesの側が逆に面食らうというか、慌ててしまうのも頷ける笑
日本で同じことが許されるはずもないのだが、これをどうこう言うのはお門違いも甚だしいと思う。
先述のとおり、海外Buddiesはずっとずっと遠い存在であったグループをここまで推してきてくれたのだ。ミーグリすらできなかった。LIVEもようやく先日の3rdTOURファイナルで海外配信がなされたほどだ。
至近距離で見ることができるくらいの特権をあげてもいいじゃないか。
また渡仏Buddiesはなんと言っても選ばれし人々だ。経済力行動力精神力がやはり違う。もちろん無理した人もいただろう。でも無理したらそれが可能である経済力は否定しようがないし、その行動力はやはり称賛されるべきである。そして何より、国内にとどまった私たちとは違って、彼女たちに安心感を与えたのは間違いなく彼らである。
「スペイベ」を享受する権利は、当然あるのだ。
それにしても、本当に強いグループになった。
強い、というのは見た目ではない。
芯を、幹を、しっかりと立て、大地に根を張る強さもあれば
その環境に合わせることで生き延びる柔軟さも強さである。
切ないときも、苦しいときも、誰彼構わず当たり散らして慟哭を世間に晒したいときでさえ、じっと耐えて笑顔を見せる、そんな強さもある。
周囲を心から信じ、そんな心の支えがあるからこそ自分が安心して自らのスキルを磨くことができる。そして二重三重に強さを纏い続ける。
メンバー然り、スタッフの皆さん然り。
周囲を信じられる、安心できることこそ、強さの証だ。
そしてできれば、その周囲の中に私たちBuddiesも入っていたいと願う。
願う、というのは、彼女たちが信頼するに足る存在になりきれているかと言われたとき、正直疑問符をつけざるを得ないからだ。
彼女たちは、Buddiesの皆さんの支えがあるからこそ、私たちはここに立っていられると異口同音に言う。
私たちも、彼女たちから抱えきれないほどのたくさんの贈り物をもらっているはず。
でも、私たちの側は、本当に彼女たちに与えられているのかどうか。
私たちは、本物の「Buddies」にならなければならない。
折しも、7月16日は、欅坂46が改名を発表した無観客配信LIVEから、3年目だった。
このとき、欅坂を推していたファンが、どれくらいBuddiesになったのかはわからない。
確かに、この時点で改名となって、先行きがこれほど不透明な時期もなかった。
ただ私は、このグループのポテンシャルを信じた。
信じたからこそ、私は今ここにいる。
3年経って、彼女たちはパリに降り立った。
パリで自分たちのLIVEを観てもらえる存在になった。
信じて、よかった。
欅坂も櫻坂も、どちらも大好きでたまらない私としては。
パリ公演、大成功裏に終わったことはもちろん高く評価されるべきことである。
でも、これはあくまできっかけに過ぎない。
人間の内面をダイレクトに映し出し、綺麗事ではないにせよ、それでいて尚且つ夢や希望を全身から湧き立たせる。
ストレートである分、見る方にもまっすぐ刺さる。
どこの人であろうが関係なく、刺さる。
そのグループに魅力を感じてもらえる人々が、もっともっと海外で増えてくれば、さらに海外での公演ができる可能性もある。
海外に頻繁に招待されるようなグループ。
海外で火をつけて、そのまま日本に逆輸入されるようなグループ。
コロナ禍は終わっていないものの、世界的に3年間できなかったことができるようになった今、私が櫻坂46に本当に目指してほしいのは、そういうワールドワイドな展開がなされるグループである。
「Buddies」の本当の意味。
私たち日本人だけでなく、世界中で櫻坂46を推す人たちと、同じ想いを共有すること。
それこそ言語も、育ってきた環境も、人種も、文化も、思想も、関係ない。
彼女たちに魅了され
彼女たちを応援したいと思い
彼女たちの感情に触れ、ふと涙を流していることに気づく
そんな想いを分かち合いさえすれば
そこに「Buddies」が生まれるのだと
そう悟った。
Sakurazaka46 is finally about to leave Japan and travel to people around the world.
It's been a really long time.
However, it is a content that I would like people not only in Japan but also around the world to see, as it sometimes directly reflects human emotions and reflects a view of the world that everyone can sympathize with.
I would like to say to all the Buddies around the world who have always supported Sakurazaka as one of Japan's Buddies.
The time has come.
I believe that with everyone's help, Sakurazaka will grow into a group with unprecedented size and strength.
Thank you so much for everything.
I look forward to working with you.