豪胆と繊細の間を旅するひとー大沼晶保生誕祭
彼女が櫻坂に在籍してくれているのは、極めて大きな財産であると私は思っている。
「豪胆と繊細の間を旅するひと」ーその両方を兼ね備え、そして自分の中にとても良いバランスで棲まわせている、そして出来上がるのが大沼晶保という人ではないかと。
あきぽの魅力はその才能もさることながら、何をするにしても全く飾りっ気のない、素の彼女なのだろうと思えるところが大きい。
何事も全力で取り組もうとする姿勢も彼女の素なのだろう。力の加減ができないところなど決して短所ではない。少なくとも、手を抜こうとする人よりも信頼を生む。結果がどうなろうと、自分の持てる全てをぶつけて取り組む姿勢には感動があるし、その感動はその人を信じさせるのだ。
この人は嘘をつかない、そう思わせる何かがある。
豪胆と、繊細。
思えば、彼女が新二期生として加入した欅坂46は、まさにその二つが共存する、そんなグループだった。メンバーはもちろん、世界観もそう、そして訴えかける楽曲も間違いなくそうだった。
自分の中にあるパワーを爆発させる豪胆さで惹きつけ、それでいて誰かが人生に思い悩み立ち止まる姿を見ては、隣で寄り添う。
欅坂とはそんなグループだった。
楽曲を届ける、というのが欅坂の、さらに今の櫻坂の最大のテーマである。それは、生半可でできるものではない。それこそ手を抜くような人に体現できるわけがないのである。自らの心身への負担はとても大きい。でも、たとえそうであったとしても、これを見てくれる人の心に何かを残したい。その気持ちがあって初めて立てる0番という位置なのではないかなと。
そういう意味では、合同オーデであるとはいえ、そして研修生を経て、であるとはいえ、欅坂46が彼女に最もピタリと当てはまるグループだったのだろう。今になってそれを強く感じる。
2回のBACKS LIVE、いろんな見どころはあったものの、やはり大沼晶保がどの曲のセンターを務めるか、もっと正しく言えば、どの曲のセンターに立候補したのか、というのはとても注目ポイントであった。
2nd BACKS LIVEは「BAN」。
そして3rd BACKS LIVEは「流れ弾」であった。
これぞ、彼女の中の豪胆の極み。
グループの方向性なり、カラーなり、ある意味一人でその全てを体現していると言っても過言ではないかもしれない彼女が表題曲にいないことは、どう考えても矛盾しか生まないのである。
そこまでして、わざわざ歌唱メンバーと非歌唱メンバーを分けないといけないのか、と言いたくなるけれど、それは趣旨に外れるのでまたいずれ。
3rd BACKS LIVEは、二日間とも生で観た。
その場にいるからこそわかることとして、まず彼女の伝えたいことがとても明確で、この曲のメッセージをしっかりと理解して臨んでいることはよくわかった。
これも趣旨とは少し外れるが、笑顔には本当に数えきれないくらい種類があるのだなと思わされる。
この曲の、そもそものセンターである田村保乃の「流れ弾」における笑顔は、狂気、というよりも、彼女の中にある恐怖が前面に出てきての笑みだったように思うけれど、大沼晶保のそれはまた違う。
余裕。
いやもちろん本人に余裕など一切ないだろうけれど、立ち向かって来る者がいるとしても、そんなんで私に勝てるの?という笑顔のように見える。他を圧倒する強さを身に纏うが故の。
3期生加入が、すぐそこに迫る。
つまりそれは、櫻坂46第二章の幕開けを意味する。
1期生の卒業が相次ぎ、否が応でも彼女の存在感が増すことになる。
ここまで培ったものは並ではないだろう。そしてここからは、その培ったものを熟成させつつ、継承させていく役割も加わる。
大沼晶保さん。
あなただからできること
あなただから担える役割がきっとある。
今以上に、グループに必要不可欠な存在になっていけるよう。
誕生日おめでとう。
あなたの豪胆と繊細を、これからもずっと見させてください。