Anthem time-誰かの記憶に残るということ 毎日note #25 楽曲深掘りの土曜日 2024年5月25日付
作詞は確かに秋元康なのかもしれないが、秋元康が書いたというか、私たちの心の声が歌詞になったものだということでいいのだろうか。
もしくは、秋元康がこちら側の人間であるか、そのどちらか。
Anthem time
推しメン中嶋優月がセンターのこの楽曲で、まさかこの歌詞が当てられるとはさすがに思ってなかったのだが…。
6thカップリングの三期生曲で、この曲だけ三期生曲の中では唯一MVがない。まぁそれはいいとしても、逆にそのことが何かを目立たせるという気もする。
ヲタクの声を歌詞にする、という発想は、秋元康ならやりかねないけれど、この歌詞のスゴいところはここだと勝手に思っている。
櫻坂は全員に言えることではあるのだけど、とにかく推しメンが決めにくい。
推しメン候補が多すぎるのだ。
全員そうだと言ってもいい。
もちろん、誰か一人を徹底的に応援する、というのも素晴らしい。
けれど、一期生も二期生もそうだけど、特に三期生は誰かを選ぶというのがここまで難しくなるとは。
それでも、推しメンにしたメンバーはいる。
いるけれど、推しメンだけを応援するというのは自分の中で違和感なのだ。
まさに、咲いてる花は選べない。
それぞれの魅力があるんだから。
ドキュメンタリーを観たときから、ああこれは感情移入が半端なくなるなとは思っていた。そして実際にその通りになったわけだけど、それだけでも説明しきれないくらい、推しメンを決めるのが難しかった。
マモリビトの深掘りのところでも書いたけれど、それは活動を彼女たちがしていく中で見えてきた、このグループに対する深い愛情をいつも感じ取っていたからかもしれない。
だから三期生がこの曲の歌詞を歌うことは、やはり尊いのは間違いない。
一方で、少しベクトルの向きは違うかもしれないが、この曲にまつわるあの部分についても触れてみたいのだ。
それは、小林由依卒業コンサートにおける、小林由依の入ったAnthem time披露。
坂道の卒コンでは時に披露される、その日の主役の卒業生が、他の期生曲に混じってパフォーマンスする姿。
彼女が選んだのか、運営の指示なのかはよく知らないが、いずれにせよなぜこの曲だったのかの必然はありそうな気がする。
で、やはりヒントを歌詞に探してみたくなる。
この部分の歌詞、実は少し違和感があって、歌詞の全体像はファンである「僕」が、アイドルである「君」に向けた曲のはずなのだが、「そんなメンバーがいたと記憶に残してくれ」という部分だけは、どちらがどちらに向けて歌っているのかよくわからない。
言い方からすればどう考えても、アイドル側がファン側に訴える内容である。でもそれだと全体からは完全にこの部分だけ浮いてしまう。かといってファン側からアイドルに向けての言葉だとしたら、正直意味不明だ。
この部分はこの曲最大の違和感であるけれど、
もしかすると、これが小林由依アンセムの最大のヒントかもしれないと思った。
ご存知の方も多いとは思うが、小林由依はこの後のセレモニーにおけるスピーチで、Buddiesに向けてこんな言葉を残している。
記憶に、残る。
小林由依を忘れることなどあるものかと思ったりするものだが、それはさておき。
これってもしかすると、アイドルとして、いや芸能人として、最も目指すべきことなのかなと。
ある意味、まさしく承認欲求の一側面とも言えるかもしれないけれど、だからといって見返りらしい見返りを求めているわけでもない。ただ自分のことを覚えていてほしい、というシンプルな欲求。
そして自分という存在が、自分がいなくなった後もずっと誰かの心に残るというのは、アイドル側からすれば完全勝利と言える。
最高に、自分を認めてもらえた状態であるからだ。
これはアイドルの側も当然そうだろうが、推す側も実は同じことが言える。
誰かを推すと、その人に自分のことを覚えてもらいたくなる。他のファンよりも、一段階上のフェーズに進んだ気持ちになるのだろう。文字通り上から目線ができること、それをすることでの満足感。
さらに、これが最も大切な部分だと思うが、画面の向こうの有名人が、無名である自分を覚えてくれているというプレミア感。これを一度達成すると、病みつきになる人が出てきたとしても当然おかしくはない。
ということは、アイドル側も、ファン側も、自分という存在をいかに誰かの心に残すか、ということにおいて根底は同じなのではないか。
もちろんそんなことを求めていないファンもいれば、卒業した後は私のことなんか忘れてほしい、というアイドルだっているかもしれない。ただ、見ている限りは少数派の気がする。
誰かの記憶に残りたい、というのは確かに極めて個人的な欲求であり、承認欲求の一種かもしれない。でもそれ自体が悪いことだとは私は思っていない。
むしろ私にもそういう欲求があることを、自分でも認めたいと思う。
そうやって書いてくると、私自身に昔からある「人と同じことをするのがどうにも好きになれない」という性格の意味が見えてくる。例えば制服なんてのは大嫌いだったし、みんなで同じ時間に同じ教室で同じ授業を受けるというのが、どうにもよくわからなかった。
没個性の象徴なのだ、やはり。
まぁそんな授業というものを、今自分がする側になっているというのは大いなる皮肉ではあるけれど笑
それこそ他の誰でもない、オンリーワンなことを誰かに認めてほしいという思いは、当時からずっとあったと、今になって思うことがある。
欅坂櫻坂のパフォーマンスに脳が刺激されるのは、そういう意味もあるのだろうと。
Anthem time
私も誰かの記憶に残るようなことを成し遂げてみたいとも思うし、彼女たちのことをずっと記憶に留めておける人間でありたいな、とも思うのだ。
そんなことを考えながらこの曲を聴くと、別のものが見えてこないだろうか。