もう一つの聖地ー日本武道館と欅坂と日向坂と櫻坂と
東京ドームが大きな節目となるLIVEなのは、櫻坂46だけに限ったことではなく、約束の卵としてずっと目標にしていた日向坂46も含め、全アーティストの共通認識だと考えている。
そんな「聖地」東京ドームに対して、もう一つアーティストにとって重要な意味を持つ場所が日本武道館である。
武道館、という名称から、そもそもここはLIVE会場ではない。おそらくビートルズがコンサートを行ったあの日から、武道の聖地でありつつ、音楽の聖地にもなったのではないだろうか。
欅坂46・日向坂46・櫻坂46と日本武道館は、少なからぬ因縁がある。
今思い返してみても、様々なターニングポイントとなったのがおそらくこの出来事である。
平手友梨奈が出られない、という理由だけで、欅坂の公演が振り替えられてしまう。私がこのとき思ったことは、運営の欅坂に対する評価が容赦なく振り下ろされたということだけだった。
平手がいないと、欅坂のフルのパフォーマンスができない、と判断されたとしか取りようがない。メンバーの悔しさたるやいかほどだったかと。いや、メンバーはもちろんのこと、私だって同じだ。本当に悔しかった。
一方で、当時まだ単独CDデビューすらしてなかったひらがなけやきにとって、こんな千載一遇のチャンスはなかった。そうではあるものの、メンバーの意識がそこへ繋がってなかった。
当初は一日だけだった公演を3daysで、それもデビューしてもいない自分たちが3日間もLIVEして、お客さんが埋まるのか。メンバーはみんなそんな心配をしたはず。
でも結果的に、この3daysは大成功に終わる。そしておそらく、現在の日向坂46に至るサクセスストーリーが本格的に回され始めたのは、実にこの瞬間だっただろうと予想する。
あのとき、もし予定どおりに漢字欅が二日、ひらがなが一日だけの公演になっていたら、今の日向坂はあっただろうか。
何か、違う道があったような気がしてならない。
ちなみに、ひらがなけやきはこの年の年末にも「ひらがなくりすます」で再び武道館3daysに挑戦している。今の、ひなくりの原点だ。
本人たちは気づいていないかもしれないけど、おそらく最初の武道館3daysを成功させたことが、すべての自信につながったのではないかと。それも、無意識の。そのことが、年末のクリライへと結実する。
欅坂46の武道館LIVEは、3rd ANNIVERSARY LIVEまで時を早送りしなければならない。
2019年5月。
一年以上経ってからの出来事であった。
3rdアニラは大阪と東京の2公演。
この頃東京まで行って観ようという発想がそもそもなく、あったとしても間違いなく休みが取れるわけがなかった。たまたま休みだった日も、私は無券だった。
3年以上経って、300以上いいねが減っているけれど、私が初めて1000いいねをいただいたのは、こんな自虐ツイであった笑
その流れからの武道館。
全てが見どころに違いないのだが、クライマックスはここだったと私は思っている。
全員MV衣装での「黒い羊」。
この曲、これも今考えてみるとこのグループの置かれている立ち位置を比喩的に表現したとも取れる。
欅坂にとっての楽曲とは、最初から最後まで誰かに寄り添うことに終始した。それこそが欅坂46が存在する理由であり、欅坂が欅坂であることの所以だったと思っている。その意味でこのときの「黒い羊」が伝説なのだ。
日本武道館。
それは、そんな「黒い羊」が披露された場所でもあった。
改名後の櫻坂46にとって武道館は、まさに先日発売された「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE with graduation ceremony」である。
櫻坂1歳の誕生日とともに、守屋茜・渡辺梨加の卒業。
そして、このときも私は当選しなかった。
欅坂46時代から、アニバーサリーライブに悉く撥ねつけられて来た。そのあおりで、武道館も未経験なのである。
しかし!
節目となる東京ドーム、そして未経験の日本武道館。
この二つを制したことで、2022年の川島のヲタ活は久々の完全勝利となったのである。
残すは、もともと休みをとっていた9日分のチケットを手に入れるのみ。
おかげで、休みにした仕事は、引き継ぎを作らないといけない私も、代わりを探さないといけない現場サイドも、てんやわんやになってはいるけど笑、まぁそういうこともあるわよ。
かつて爆風スランプが、武道館をモチーフにした「大きな玉ねぎの下で」という曲をヒットさせた。当時私も青春真っ只中だったが、まさにあの場所だ。
青春真っ只中…いや、違うか。
もちろんその時もそうだった。
でも、こうやって、自分の信じられるものをずっと追っている今は今で、青春を謳歌していると言えるのかもしれない。
それにしても、まさかたった1ヶ月で東京に戻ることになるとはな笑