自業自得だけではない!櫻坂東京ドームといえばこの曲を忘れるなー条件反射で泣けて来る 毎日note #39 楽曲深掘りの土曜日 2024年6月8日付
今週は「自業自得」ウィークとも言える形になっていて、週が始まる前からもうそれでいいかなと思っていた。楽曲が発表されるというのは、一つのお祭りみたいなもので、新しいものへの期待が凄まじいところに、その期待を遥かに超えるものがやってきたら、ねえ笑
結局、月曜に音源が発表されて、水曜にMVが解禁になって、気づけば毎日noteというより毎日自業自得みたいになってて笑
まあそれはそれでいいんだけど、他のことも書きたいなと思って、ちょうど楽曲深掘りの土曜日なのでこの曲について書いてみようかなと。
「条件反射で泣けて来る」
楽曲というのは、聴けば聴くほど、知らず知らずのうちに自分の血と肉になっていく。たとえその曲から少し離れたとしても、鬼のように聴いていたときのことは体が覚えていて、何かのきっかけですぐにその時間に引き戻される。逆にいえばそれくらい聴いていた証でもある。
この曲、櫻坂初のナスカ曲というだけで、大優勝なのである。
私は敢えて、欅坂からの流れで櫻坂を見ることにしているけれど、そういう意味で「エキセントリック」「避雷針」「黒い羊」で際立つ、その哀しくも美しいピアノの旋律は、欅坂46というものを音で表したものだとずっと思っていた。
櫻坂1stアルバム「As you know?」に収録されたそんなリード曲が出るまで、心のどこかでずっと櫻坂46×ナスカというコラボを待っていたんだろうな私は、と思うことがある。
櫻坂がリアルを追求するとしたときに、この曲でそのリアルが最も感じ取れるのは、実際の場所の名前が出てくるところだと思っていて。特にその場所を知っている人からすれば、その場所の光景が浮かびやすくなるし、仮に知らない人であったら今度行ってみようか、という発想になる。ある意味で、リアルとファンタジーの架け橋とも言える役割を果たしているとみる。
その手法は結構昔からあったもので、歌謡曲や演歌の世界では実際の土地であったり場所であったり、歌詞に登場することはかなり多い。翻って考えると、アイドル楽曲でそういう歌詞は少ないので実に新鮮だし、本当にその場所で息づく誰かがモデルになっているのではないかと思ったりするものだ。
センターは、山﨑天。
ということは、どうしてもこの曲の主人公のイメージに、彼女の姿を重ね合わせることになる。
昔、とはどれくらい昔なのだろう。
確かに、それこそかつては「十年一昔」なんて言葉もあって、それくらいが「昔」の感覚だったのだけど、最近は「五年一昔」なんてことも言われるくらいなので、例えば3年くらいでも結構前の話だと感じることもあるかもしれない。
センターである天ちゃんの姿を知り、麻布十番の街の姿を知ると、そこを闊歩する男装の山﨑天の姿が見えるようだ。
毎日を忙しなく動くビジネスマンの彼が、ふと昔の自分を振り返る機会があって、何年ぶりかに立ち寄った麻布十番。そこにいたかつての自分の姿を街の様子に投影し、懐かしむ。
今は仕事に仕事の毎日で、仕事に生きるのが自分ではあるけれど、本当はそれでいいのだろうか、という想いもあって。
人として忘れてはいけない大切な感情が他にあるのでは…
仕事に生きるのもいいけれど、人間らしい感情は忘れちゃいけないんじゃないか。
懐かしき街にやって来て、ふとあの頃の体温を思い出す。
そんな思いは、体の変化となって現れる。
条件反射というのは、無意識の顕在化である、と私は思っている。
心の奥底で自分が実は何を望んでいるか、自分でも気づかない、或いは薄々気づいてはいるけれど見ないようにしている何かが、表に出てきた結果。
特に、条件反射で涙を流すなど、本当は抑え込んでいた何かが溢れた瞬間なのではないか。
何らかの理由で、彼は彼女と別れた。
もしかしたら、あまりいい別れ方ではなかったのかもしれない。少なくとも、彼の側には未練があるような言葉たち。
そんな彼女との思い出が詰まりまくっている麻布十番からは、足が遠のいてしまった。
で、そんな現実から逃れるために、さらに仕事に邁進した___
仕事に追われる毎日は、自分が望んで身を置いた環境だった。
でもそこに、本当にふとした瞬間に小さな小さな疑問が湧いた。
僕は、これでいいのだろうか。
本当に自分がしたかったことは、こんなことだったのだろうか。
小さな疑問は、一つでも引っかかるといくらでも大きくなる。
彼を麻布十番に向かわせたものは、おそらく、その疑問の答えを見つけるためでもあり、過去の清算の意味でもあり。別れ方によっては、その理由を探す道のりでもあったかもしれない。
彼女は、坂を上ったのか、それとも下りたのか。
いずれにしても彼の視界から消えていって。
条件反射とは言いながら、実は気づいているんだ。
なぜ自分がここにいて
なぜ景色が滲んでくるのか。
本当は、自分がどうやって生きたいのかわかっているのに、それができないもどかしさで自分を騙し続けてきた。
それが限界点になっただけの話。
…とまあ、わかりやすいといえばわかりやすい、歌詞だけを抽出するとシンプルな世界観でもある。
ただ。
今回の9th自業自得でもそうだけど、「欅坂としての系譜」としてこの曲を捉えると、別の見方が生まれる。
もう一度、1番の歌詞。
この当時、櫻坂に改名して、二年が経ち。
冒頭述べた感覚で言えば「昔」と表現してもいい、欅坂時代。
「どうだっていい」は明らかに強がりで、それこそ本当にどうだってよかったら「やけに最近思い出すように」なるわけがない。
櫻坂は好きだ。
櫻坂はそこに今しっかりあるし、それを応援したい気持ちももちろん強くある。
でもそのために、欅坂がずっと心の内にあるというのは、果たしてそれでいいのだろうか。
このnoteでは何度も何度も触れたし、おそらくこれからも触れるだろうが、欅坂46時代は、本当にいろいろあった。
メンバーはもちろん、ファンの側もおよそアイドルを推すのに必要ではないはずの感情にもなった。
いや、私だけではないと思うが、グループアイドルにそもそもさほど興味がなかったものの、欅坂には嵌ったという層が、アイドルを推すってこんな感情になるのか、とさえ思った可能性がある。
少なくとも私はそう思った。
でも、時間の経過は感情の濃淡を変える。
記憶は、いい方が残る。
自分にとってネガティブな思いというのは、遠ざけようという意識が働くのか。
大変は大変だった。
でも、、、
あれはあれで楽しかった。
心からそう思う。
黄昏の坂の途中。
麻布十番で坂といえば。
そして、徒歩圏内に
この曲が私の中から離れないのは、曲調もさることながら、息づく物語の鮮明さなのだ。
そしてその曲を作ったのが
ナスカのお二人だからだ。
欅坂は、確かに地平線の向こうかもしれない。
でも消えたわけではない。
消そうとしても消えるものではない。
とはいえ、やはり姿がそこにないのは、当然寂しさが募る。
会いたい。
でも、愛なんてほんの一瞬だ。
永遠のしあわせは、ないんだ。
会えるときに、思いをぶつけないと、いつ会えなくなるかわからない。
推しメンの卒業はもちろんだが、グループ自体が活動休止になる推す側の思いを経験したことがある人って、欅坂界隈以外でどれくらいいるのだろう。
櫻坂46は、欅坂46から転生したグループ。
改名して3年半経って、欅坂時代を知らない人も当然増えてきて。
そんな人たちの中には、歴史を真摯に受け止めようとしてくださる方たちばかりではなく、欅坂欅坂と言われることに嫌悪感を示す人もいるのではないか、とも思う。
でもね。
そんな人たちにこそわかってほしい。
あなたの歴史は、
あなたが生まれてから今日までの歴史は、
否定できるものですか。
今現在のあなたにだけ価値があって
昨日までのあなたには価値がないんですか。
あなた自身にも過去があって
その過去の蓄積で今があるのではないですか。
否定できるはずがない。
あなたの現在は、過去によって作られたものなのだから。
櫻坂46というグループは、欅坂46の5年の歴史と血を受け継いで誕生したものである。
ならば、欅坂の名前が出ることは当たり前なのだ。
ただその上で、現在の彼女たちを見ていたい。
そんなベースがあって彼女たちを見るのと、そうでないのとでは、雲泥の差があると思うのだ。
2年ぶりの東京ドーム公演が、まもなく。
私は、今回の東京ドームは、まさに櫻坂が櫻坂として勝ち取った公演だと思っている。
そこに、欅坂の影は全く感じない。
正直、欅坂時代の楽曲披露がなくてもいいとさえ思っている。
櫻坂の楽曲だけで、十二分に勝負できる。
でも私たち欅坂からのファンの心を満たすものがあるとすると…
強く強く欅坂を感じさせる、櫻坂楽曲。
この曲などまさにふさわしい。
前回の東京ドームで披露された「条件反射で泣けて来る」。
櫻坂としては珍しく、YouTubeで公開されている数少ない公式によるパフォーマンス動画だが、再生回数が約995000回。
本日は櫻坂東京ドーム公演、ちょうど一週間前。
この曲の披露が今回あるかどうかはわからないけれど、この曲を100万再生にしてドームの日を迎えれば、まさに凱旋という感じでとてもエモいのだが、どうだろう…?
よければ、「自業自得」を回した後にでもお願いできませんかね。