櫻坂46でよかったと思えるときー満を持してのMUSIC BLOOD出演
「MUSIC BLOOD」が坂道シリーズで最初に呼んだのは、確か日向坂46だったと記憶する。
この番組の、ゲストの打診順というのは、偶然なのかそれとも計算なのか、実にものの見事だ。
日向坂がこの話をしたときには、まだ欅坂から転生した櫻坂は出演していない。
にもかかわらず、日向坂の欅坂への想いを放送することで、欅坂46を知らない人が観たとしても興味を持つ「仕掛け」となる。
だからこそ、満を持して、という意味合いなのだろう。
櫻坂46、本当に外番組に出てもとても雰囲気はいい。
トークパートなど、冠番組の空気そのままだった気がする。そしてこれができるようになったことが、どれだけ彼女たちの成長か。
BLOOD SONGは、「Nobody's fault」だった。
今でも思い出すのは、THE LAST LIVEで欅坂との別れを噛み締めながら、刻一刻と終わりに近づくその時間が実に苦しくて、どれだけ終わってくれるなと願ったか。そしてそれが叶わぬ願いであることももちろん心のどこかで悟りながら、それでも時間の流れに抗いたい、そんな居た堪れない空間がそこにあったことだ。
そして、最後の「サイレントマジョリティー」が終わると、ついにその時がやってきて。
心の中が本当に、大袈裟でもなくこの生涯で感じたことのないくらいの空虚感が生まれて。
茫然自失とはあのときのことだと今でも思う。
辞典を執筆することがあったら、茫然自失の項目に書き留めたいくらいだ。
「欅坂46が活動休止に入ったその瞬間の、ファンの状態」と。
そんな言葉にできない感覚の中、まだ全てが終わってないと悟るのには少し時間がかかった。
まだ何かがある、と感じたそのとき、私たちの前に現れたのが…
櫻坂46だったのだ。
今でもこのときの感情は、自分で説明できない。
どんな言葉で表そうとしても、違和感しかない。
そんなときに披露されたこの曲を、このときに正しく評価することなどできなかった。
それはおそらく、あのときラスライを視聴していたファン全員がそうだっただろう。どう受け止めればいいのか、戸惑いしかなかった。
でも、よくよく後で考えてみれば。
欅坂に前向きなお別れをし、私たちなんかと比べ物にならないくらいぐちゃぐちゃな感情になっていたはずなのに、その場で櫻坂46としての1stシングルを披露しなければならなかったメンバーたち。
彼女たちのことを想うと、胸が張り裂けそうになる。
本当によく、あの場面を切り抜けてくれたと心から感謝したい。
もうすぐ2年経つ今でも、それは同じ気持ち。
いや、今の方がその気持ちは強いかもしれない。
正直な話を言えば、だ。
未だに私にとっては、欅坂46が何故改名しなければならなかったのかは、説明ができない。謎のままだ。
風潮、というのは怖いもので、どうも関わる人全員が「改名しか道はない」と思い込まされていたのではないか、という気さえする。もちろん、その「理由」は説明されていたはずだけど、心から納得したメンバーなど本当にいるのだろうか。今でも本音の本音では、納得していないメンバーだっているのではないだろうか。
…そんなことを思うこともある。
少なくとも、メンバーが自分たちの方から改名したい、などと言うとはとても思えない。つまり、この改名劇を主導したのは間違いなく運営を中心とする「大人」たちだ。どんな背景があったかは知らないが、そうなってしまったことに対して、秋元康が書いたこの歌詞には当時怒りを覚えたことを初めて告白する。
他人のせいにするな、とは何事だと。
じゃあ、まさかメンバーたちのせいで改名に至ったとでも言いたいのか、と。いくらなんでもそれはないだろうと。しかもそれを本人たちに歌わせるなど…
彼女たちにはとても申し訳ないのだけれど、そういう意味でこの曲はしばらく好きになれなかった。それこそ彼女たちのせいではない。その後ろにいる人間どもの考えていることが本当によくわからなかったからだ。
この考え方に変化をもたらしたのは、有観客ライブが再開され、実際に「櫻坂46」となった彼女たちのパフォーマンスを生で観てからだった。
欅坂のベースがあり、その上に櫻坂という新しい魅力を纏うことによって、さらに何倍も説得力が増している。そう思ってこの曲を聴いたとき、初めてこれでよかったと思えた。
今では、この曲がデビュー曲、1stシングルで本当に良かったと思っている。
今の方が、身に沁みる曲となっている。
だから、結局、メンバーも私たちも、これなんだろうなと思う。
確かに、地獄は見た。
もちろん、地獄など見ない方がいいに決まっている。
でも。
地獄を見たからこそ、誰かに対して心から優しくなれる、ということも知った。
この世に起きる嫌なことなど、実は大したことがないのだということも知った。
自らの存在意義が失われるかもしれない、ということほど、耐え難いことがこの世にそんなにあるはずがない。
私たちは、それを耐えてきたんだ。
「櫻坂46で、よかった」
心からそう言える日は、おそらくそんなに遠い未来ではない。