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心優しく誰かのために動く雪姫を、小林由依が演じるのは必然であるー「隠し砦の三悪人」観覧記

歌舞伎に縁のない私のような者は、「歌舞伎座」というだけで何か襟を正したくなるものだ。
おそらく、一生縁がないだろうと思っていた場所ではあったが、この場所に連れてきてくれるのが櫻坂メンバーになろうとは予想もしていなかった。

実際昨年、ミュージカル「カーテンズ」が上演された場所でもあり、菅井友香出演ということでどうしてもこれは行くしかないと。その際も〝ミュージカルを新歌舞伎座で???〟というクエスチョンマークはずっとあったけれど、それより来ることがないだろうと思っていた新歌舞伎座に来れたことが嬉しかった。

そもそも新歌舞伎座というと、私の中では

こちらのイメージだった。
まさか閉館して場所を移転していた、とは。そんなことすら知らないくらい無縁だったのだ。

「え?これが…新歌舞伎座???」
って感じで、最初見たときは、まさに目が点になったが笑
まぁでも今回は、2度目なので、慣れたもの。
ついでに言うと、今までずっと縁のなかった場所に、まさか一年で二回も訪れることになろうとは。
それも櫻坂46がきっかけなので、私の文化的な視点を広げてくれてもいる。

主題とは外れるが、欅坂櫻坂日向坂を追うようになって、明らかに私の生活に変化が生じた。出不精だった私が北は仙台から南は博多まで出掛けるようになり、まさかの新歌舞伎座にも出向く。なんなら、条件が許せば櫻坂日向坂関係なく、いろんな場所に旅行に出かけたいと思えるほど、変わった。この変化は凄まじいことである。人生における激変だ。そんな効果さえあるのだ。

そのことを主眼に置いたnoteも企画しているので、詳しくはそちらで。


話を戻して。


1958年に公開された、黒澤明監督作品のリメイクで、初の舞台化となる。
ウィキペディアによると、ジョージ・ルーカス監督が「スターウォーズ エピソード4/新たなる希望」のアイデアは、本作を基にしていると語っているらしい。黒澤作品というのも私はあまり縁がないのだが、世界の名だたる映画監督に影響を与えた人だということは知っている。
だからか、この舞台リメイク版も、錚々たる顔ぶれだ。
上川隆也、宇梶剛士、風間俊介、六角精児、佐藤アツヒロといった、舞台はおろかドラマさえ最近はあまり見なくなった私でも知っている名前ばかりだ。佐藤アツヒロなど、あの光GENJIのメンバー。まさかそんな人を生で観られる日が来るとは微塵も思わなかった。

そして、この面子の中に、小林由依である。

映画版のほうでは、雪姫はオーディションをしたが結局見つからず、最終的に抜擢されたのはほぼ演技経験のない上原美佐という方で、それがために口のきけない役柄になったという話だ。

確かに雪姫にまつわる場面で、話すと正体がバレるので口がきけない、耳も聞こえないという設定にしよう、という場面はあった。しかし、小林由依版の雪姫は、口をきいてからが真骨頂だったように感じた。



小林由依という人は、欅坂46で活動していたときも思っていたが、熱情と冷静さを、自分の中で見事にバランスがとれるとても稀有な存在だった。少なくとも私はそう感じていた。一人の時間も大切にし、仲間との時間も同じくらい大切にする。熱く心を奮い立たせることを厭わないかと思えば、必要最低限の言葉しか口にしない孤高さも兼ね備える。それでいて周囲から浮く、ということもなければ、逆に周囲の羨望の眼差しを浴びる。ダンスが上手いのはもちろん、歌も心を打つ何かを持つ。ドラマを相当観ていると本人も語っているから、演技というものに求めるレベルは高いはず。そのうえストイックでとことん追求する姿勢も間違いなくて。
確かに、それぞれを専門で生業にしている方から比べれば、足りない点は多々あるかもしれないが、それでも彼女の持つ空気感が、彼女を無視できなくさせているその時点で、その場の空気を支配することに成功していると私は断じている。

初の舞台であるこの演技の中にも、そのことを感じる場面は多々あった。

世継ぎの姫であることを隠しての逃亡劇。当然目立つことは許されない。小林由依の凄まじさが最も発揮されるのは、この「目立ってはいけないが、存在感だけは放つ」という、一見矛盾する二つを同居させる場面に出くわしたときだ。
それは、例えば櫻坂におけるMVであったり、歌番組での動きなんかでもそうだ。

偶然かもしれないが、目立ちはせずに存在感だけは放つという、このきわめて難しい演技は、小林由依ならではでなかったかと。まさに真骨頂とはこのことである。

そして雪姫の性格。
まさに小林由依ならでは、というか、本当に彼女のために作られた役ではないかと錯覚するほどだった。

普通に考えれば、先ほどの錚々たる顔ぶれの中で、ヒロインにアイドルグループのメンバーを起用しようという発想が起きるとは思えないわけだ。私たちはもちろん彼女のことを最大限に評価しているけれど、業界内ではいったいどういう評価なのかわからない。客観的な視点が私たちの側になかなか存在しないからだ。
ただ、雪姫という役が以前から既に存在していて、この役に小林由依を抜擢しようという判断がどこかにあったとすれば、彼女だけでなく櫻坂のメンバーのことを関係者の皆様がじっと評価してくださった、それは間違いのないところである。

そして、結果彼女が選ばれた。

やはり、本物なのだ。

黒澤作品に、力のない俳優をあてがうことなどありうるはずがない。





彼女にとっては緊張感満点の舞台であっただろうが、おそらくそれでも、回を重ねるごとに彼女なりの楽しさを見つけていったのではないかと感じる。

新歌舞伎座、注釈付きS席。

舞台から向かって、花道より右側。
花道を通る演者の方の息遣いまで聞こえる位置だ。
小林由依がこの場所まで来たのは、確か二回。

そのうち印象的だったのは、火祭りに参加することになった一行が、その火の周りで歌い踊るシーン。
芝居の流れ的には、それまでの姫という生活から一転、世継ぎの姫として逃走するに身を置くことになる雪姫が、祭りの楽しさを知って歌い踊るわけだが、ちょうど花道の中でも私のすぐ横で彼女がそれを演じていた。


その姿。
雪姫であると同時に、小林由依そのものの姿に映る。


W-KEYAKI FES 2021.
結局唯一の参戦となってしまったケヤフェスは、それこそ花道から数列後ろというとてつもない近さで、あのときも、ある曲のときに私の目の前で歌い踊っていたのが小林由依だった。
本当に、歌やダンスが心から好きなのだなと思った。
そのときの笑顔が本当に印象的だった。
コロナ禍初期は無観客でのLIVE、その後も観客が声出しのできないLIVEが続いてはいたが、その中でも少しずつ弾け出せていた頃の、ケヤフェス。その有り難みを知ったからか、客前で歌い踊れることに心から身を委ねている姿。

あのときと同じだ。

演者に向かってこのようなことを言うのは大変失礼である、とは思うのだが、、、

あの花道の上にいたのは、雪姫でありながら、小林由依そのものでもあった。

雪姫は、この脱出劇に際して、誰も死ぬことは罷りならないと言った。全員生きて再び会おうと。武士のプライドよりも、命を最優先にせよと言った。結局それは叶わず、自分の身代わりになった幼馴染が命を落とすことになるが、それでも命を大切にせよというのが一貫した言葉だった。
本当は人のことを心から考えられる真の優しさがあった。

強さとは、優しさであるということ。

小林由依は、前述のとおり、熱情を冷静さで包む人だと私は思っている。クールに見えながら、もしかしたら最もグループのことを考えていたかもしれない欅坂時代。自らの考えと方向性が合ってなさそうな空気を感じながらも、どうすれば、自分も含めて、メンバーが、グループが最善の方向へ向かうのか。誰一人不幸にしたくないという気持ちはきっとあったはずだ。

重なる。

雪姫を、彼女が演じるのは必定だったとさえ思える。


雪姫が独唱する場面があるのだが、このあたりは小林由依の独壇場、この舞台の究極の見せ場だった。この8年間で鍛えられたものがすべて出ていた気がした。歌唱力、演技力、表現力。自然と涙が流れたのは、私だけではなかったかもしれない。

こんなことを言うのは反則かもしれないが、初期の小林由依はとても弱そうなキャラだった。今ではなかなか想像もしにくいかもしれないが、逆に言えば当時の彼女を見て、今のようになると想像するのも難しかった。
ただ、一つだけ言えるのは、おそらく彼女は本質的な部分では変わっていないだろう、ということ。内側に熱さをずっと持ちながら、頭は冷静に物事を判断し、最善の方向性を模索する。自分だけではなく、全体が良しとする方向性のために自らを動かせる、そんな人。


雪姫のような勇気と行動力は、まさに小林由依そのものだ。




舞台の稽古や公演の合間を縫って、原点であるグループが海外公演をする、それを欠席することなく、泣き言を一言も言わずに両方をこなしきった彼女のことを、私はずっと尊敬する。


櫻坂パリ公演に、後から合流し…
先に帰国する 全てはこの舞台のため



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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。