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図らずも80s90sアイドルの凄まじさを思い知るー2024.9.1深夜そこさくツッチーハピバFES 毎日note neo #01 冠番組感想戦の月曜日 2024年9月2日付

1972年生まれ、昭和でいうと47年生まれ。
第二次ベビーブーム真っ只中であった。
何をするにしても同級生が本当に多く、大学受験も、就活も、本当に狭き門を潜り抜けなければならない大変さ。
高校は10クラスだった。ひとクラス48人いた。
日本中に同級生はたくさんいる。

そんな1972年9月1日、土田晃之は生を受けたそうだ。
その4ヶ月前の5月、私、川島雅隆もこの世に生を受けている。

そんなだから、テレビというと同じものを観て育ってきているのだ。まして、歌番組やバラエティに至っては、京都と埼玉という離れた場所であったとはいえ、全国ネットならば同時間に同じものを観ていたはず。

そんなツッチー生誕祭で、往年のアイドルメドレーをするという。
それも櫻坂が。

幼少期に一気に引き戻される感もあり、それでいてそれをやるのが櫻坂なものだから、不思議極まりないわけだけど笑


ビジュ寄せているのはよくわかるんだけど、それ以上にやはり推しメン松田里奈の歌唱力の安定感。松田聖子さんの曲というのは、結構歌唱力を必要とするものが多いとずっと思っていて。
正直なこと言えば、1972生まれとしては、松田聖子もうちょい後の曲の方がもっと刺さるんだよなぁ…「赤いスイートピー」とか「瞳はダイアモンド」とか。ビールのCMの「SWEET MEMORIES」なんかホント好き。カラオケでも歌う笑
「青い珊瑚礁」って、デビュー曲だか、2曲目だかそんな早さでしょ確か。


BACKS LIVEのセンター曲とか、最近櫻坂で誰に何を充てるかというところにおいては本当に神がかっている笑
中森明菜さんを誰かに歌わせようとなったら、確かに今の櫻坂だったら天ちゃんだよなぁと。

で、明菜さんの場合も、この曲以上に「禁区」とか「北ウイング」とか「1/2の神話」とか「サザンウインド」とか「DESIRE」とか「ミ・アモーレ」とか「ジプシー・クイーン」とかだともっとアガる笑
(ちなみに、私が中森明菜曲で最も好きなのは「愛撫」という曲なんだけど、なぜかベストアルバムでもあまり見た記憶がない…そしてこれもカラオケで歌う笑)

でもその辺、あの頃を生きた世代にダイレクトに届けようと思うなら、最大公約数的に「少女A」なんだろうなとは思う。
逆に言えばそこをつけば、ある程度誰でも知ってるということだから、ここに80sアイドルの凄まじさがある。今のようにインターネットで世界中と繋がって、通信的には比較にならないほど発達しているのに、知名度認識度って足元にも及ばない。それは間違いなく。

それにしてもあの天ちゃんが、このときの中森明菜より年上になったって事実を考えるともう本当に、身震いする笑

工藤静香×守屋麗奈はなかなかの発想笑
でも意外と合っていて。

実は私も野球部ではあったのだけど、今考えるとまともな部じゃなかったなぁ笑
まぁあんまり詳しくは触れないけれど笑 お察しください笑
で、確かに夕ニャン観るために部活に来なくなった先輩はいた笑

80sアイドルは、オタクとかそういうレベルではなく、日常の光景というか、知ってて当たり前のようなものだったので、そこには男性アイドルも女性アイドルも関係なかった。私たちでもジャニーズのアイドルも知っていたし、女子も女性アイドルは何の違和感もなく受け入れていた。

おニャン子クラブは本当に社会現象だったな…活動期間そんなに長くなかったけど。


そういえば思い出した。

工藤静香さんより少し前か。
おニャン子の卒業生がソロコンサートをするというので、同級生に一緒に行ってほしいと誘われた。興味がなくもなかったから、ついていった。

それが

高井麻巳子さんだった。

同級生の彼はたぶんFCにも入っていたのではないだろうか。

場所があの、欅坂のアニラを2700人の席数でやり切った大阪フェスティバルホール笑(欅坂アニラは現在の2代目だが、当時は初代のフェスティバルホール)

つっちーのくだりでも出てきたけど、当時は親衛隊というシステムの時代で。まあ今考えたら凄まじいの一言だけど。
終演後、会場の外を京都に帰るために歩いていたら、彼だけがある人に呼び止められる。

そこから一人連れて行かれて。逆になぜか私は全く声もかけられず笑
そこでしばらく待つしかなかった。当時は携帯という存在がないし。
かなりの時間がかかって彼が戻ってきたのだが、何があったかというと…

親衛隊の勧誘だった笑

たぶん彼は入らなかったと思うし…その後あのプロデューサーと結婚したときにもその話をした記憶は、ない笑


その他にも、少し年代は上がるけど、高校のとき全盛だったのがWink。


みうみおのWink
「笑わないアイドル」っていうならこちらは徹底していた

普段から激しい振り付けで踊っている印象しかない櫻坂のメンバーが、この時代の振り付けで踊っているのを観るのが本当に新鮮で笑
逆に言えば、今いかに難しいことをしているかというのがよくわかる。

Winkで思い出すのは、高校の音楽の授業。
何人かでチームを作って、アンサンブルで曲を披露するって授業があって。
選んだのが「淋しい熱帯魚」だった。
楽器なんか全く触ったこともない私が、なんとキーボードで主旋律を担当することになった。なんならこの曲聞くとめちゃくちゃ練習したことを一瞬で思い出してしまう。





これはもう、推しメン石森璃花の歌唱力が光ったなと。
実際この曲は知ってるんだけど、私がさほどガンダムにハマらなかったというのもあって、そこまでの思い入れがなくて笑
不思議だよねぇ…駄菓子屋で引くガンダムのシールは集めてたのよ。だけど本編一度も見たことがないという笑
あれはなんでだったんだろう??

あと、ふーちゃんの阿波踊り最高だった笑
ちょうど一年前だよね、大雨の中、徳島の本家の阿波踊り参加したの。


ちゅけいのりのピンクレディーは、もう絶対このことに触れなければならない。

「UFO」はここがハモるんだけど、このハモりが完璧だった。
そしてこれはまさしく、井上梨名の音感がなせる業だった。
この部分、あまり触れている人がいない気がするので、ぜひ言及しておきたい。

ピンクレディーそのものは、つっちーも言ってたとおり5歳だったのでね笑
もちろん記憶はあるけれど。

ちょこさくの方だったかな、ちゅけはなんかピンクレディーやったことあるって言ってた。もちろんなんでも踊れる人だから問題ないだろうけど、なるほど経験者っぽい感じしたわ笑


あと、チェッカーズね

これだけ見たら、チェッカーズって三人だったのかと思われてしまうぞ笑
確か7人くらいいたよね。

で、これも記憶が曖昧だけど、チェッカーズがチェック三昧の衣装着てたの、いちばん印象強いのは「涙のリクエスト」のときかな。

福岡出身のゆづが、チェッカーズをやってるのも感慨深い笑


本当に刺さりまくった今回だったんだけど、やはり翻って冷静に考えたとき、繰り返しになるけれど、本物の知名度というのはこういうことなんだと。
それこそ老若男女誰でも知っている、誰もが口ずさめる曲を持っているというのが国民的なんだと。
時を経て隔世しても、親世代から子世代、孫世代へと受け継がれてその存在が生き続けるというのが、本物中の本物だと。

本当はね。
櫻坂も日向坂も、そんな存在になってほしいんだ。

わかってる。
当時と何もかもが違うし、それこそ楽しめるコンテンツの数も比べ物にならないし、新しく目を引くものは次から次へと生まれるし。テレビが弱くなって、ネット社会になって。趣味嗜好がバラバラになって。厳しいんだよ。間違いない。当時も当時でそりゃ大変だったとは思うけど、当時とは全く違った厳しさがある。

だから彼女たちがそんなアイドルに扮してくれたことで、改めてその凄まじさというものを思い出させてくれた気がする。


上には上がいるぞ。





noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。