欅坂46が櫻坂46に改名しても私が離れなかった最も大きな理由
櫻坂46、いよいよ次なる地である広島公演が初日を終えた。
ツアースタートを観た、というのはとても精神衛生上良いことが今回本当によくわかる。場所が変われど、同じクオリティのものを広島でも見せてくれているはずなので、広島で初めて見た人は必ず虜になる自信がある。こういう自信はあまり持たないけれど、今回は心の底から自信がある。
驚いたのは、今回からセットの撮影がOKになったこと。
ツアー初日からやろうよ、こういうのはさ…
まぁ、それはともかくとして。
欅坂46があれだけのムーヴメントになり、ある意味の社会現象にまでなって、その後紆余曲折あって改名に至ったわけだけど、その過程で残念ながら離れていったファンもたくさんいたと思われる。
いい意味でも、悪い意味でも、改名はグループの大きな区切りになったので、そのタイミングで離れる、というのも理由としてはわからないでもない。
それに、やはり掛け値なしで思うのは、平手友梨奈の人気である。
彼女一人で、かなりのファンを獲得していたのも、事実である。彼女が脱退をしたときから、もしかすると改名は既定路線だったのかもしれない。
欅坂は、彼女のイメージがどうしても強かった。強すぎた。
でもそれは、私なんかに言わせれば全く悪いことではなく、一人の象徴的な存在がグループを牽引していたとしたら、それはそれでグループの在り方として間違いではないと今でも思っている。
実はこの「なぜ改名が必要だったのか」という明確な答えは、未だ示されたようには考えていない。
そしてそれを詮索することは、ここでの主旨と離れるので差し控えるけれど。
結果として、櫻坂46と改名して、再出発して。
キャプテン菅井友香が改名することを発表したメッセージでも述べていたとおり、相当な茨の道は、全員覚悟の上だった。
正直なことを言う。
2年経った今でも、その茨の道は続いている。私はそう思っている。
もちろん、欅坂の頃からはいろんなものが変わった。変化ではなく進化、そう言って間違いない部分はたくさんある。外仕事も以前では考えられないくらい増えた。クイズにもバラエティにも呼ばれるようになった。
それでも、道は半ばなのである。
でもそれでいい。
改名のとき、私自身が思っていたことは、櫻坂の最大のライバルは欅坂46であり、見ている人に欅坂を彷彿とさせるものをなくさなければ、櫻坂の進む道はない、ということだった。
だから、当時拒否反応がとても強かった「欅坂46を超えろ。」を肯定した。その気持ちは今でも同じ。
でも、簡単に超えられるような存在でない、というのも欅坂46の存在価値である。
そもそも超える、というのはどういう状態か。
細かいことではない。
CDの売上だとか、ミーグリの売上だとか、LIVEの観客動員数だとか、そんなことより遥か以前の問題。
人々の心に、欅坂ではなく櫻坂が棲むかどうかだと思うのだ。
欅坂と同じ面子で、別のグループを名乗る。でも欅坂の時代のインパクトが残っていればいるほど、櫻坂は浸透しない。だから、あまりにも高すぎる壁なのだ。自分たちが打ち克たなければならないのは、過去の自分たちなのだ。
その「強さ」を、誰よりも知るメンバーたち。
ここに挑むことこそ、まさに茨の道なのだ。
そして、彼女たちはそれに挑むと言った。
欅坂から変わった櫻坂な彼女たちを、推し続ける理由はまさにここにある。
過去の自分たちに挑み、それを越えようとする姿。
例えば、翻って自分に投影したとき、そんなことが可能なのだろうか。
人間は年齢を重ねれば、人生に深みを出すことは可能だ。
人としての年輪が刻まれれば、確かにその人の存在価値は上がる。
でも。
明らかに若いときより体力は落ちる。
深みが出た分だけ、どうしてもパフォーマンス力は落ちる。
自分の思うとおりに体が動かない苛立ちも出る。
そんな状態で、過去の自分に挑んで勝つことができるだろうか。
打ち克ってほしい。
欅坂46を超える、大きなムーヴメントになってほしい。
そのポテンシャルは、間違いなくある。
今回のLIVEをご覧になれば、そのことがよくお分かりいただけるはず。
誰かが、何かを見て心を動かされる。
それは本人にすら予測できない、偶然のような、それでもどこかで必然のような出会い。
でもその「何か」が櫻坂46だったとしたら、推している人間としても嬉しい。
私の琴線に触れたからといって、誰もにそれが当てはまるかと言われれば、もちろんそうでないかもしれない。
でも、あれだけのものを見たら、何か心にくるものがあってもおかしくはない。
一度でいいから観てみて。
何も感じなければ、残念ではあるけれど、確かにご縁がなかったということなのだろう。
でももしも。
少しでも心の奥底にキラリと光るものがあったら。それを認識できたとしたら。
過去の自分たちを超えようとして、日々を駆け抜ける彼女たちから
私が離れるという選択肢そのものが存在しないのだ。