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推し活をするうえで一度、ちゃんと「卒業」という言葉と向き合う時間を作るべきだと思うー日向坂46、4人同時卒業発表の衝撃 毎日note EX 2024年8月8日付

時は8月6日火曜日。

夜の授業のためだけに仕事に向かい電車に乗ったのが18時前で。
この日の18時に、櫻坂で唯一振替券を持っている森田ひかるミーグリの応募が始まることになっており、以前はまるでLIVEの一般発売のような速さで終わったので、18時になった瞬間に振替を申し込もうと、電車に乗りながらその時間が来るのを待っていた。
無事振替完了。
ほっとしていたところへ、日向坂46加藤史帆のブログ更新通知。

タイトルだけが通知に見えていて、もうそれだけで何かを予感してしまって、体を電流が駆け抜けるような車内の私。

ところがそれで終わりではなかった。

画像が一切貼られない、ブログの数々。
1分ごとに更新されていく。

そして。

この日の乗車時間はさほど長くなかったのだけれど、最寄駅で降りた途端、ベンチに座り込んでしまった。
いくらなんでも、これを知ってすぐのテンションで仕事に行けるわけがない。幸い早めに出たこともあって、時間はあった。


漢字欅・ひらがなけやきの頃から推し始めて、それこそ8年くらいになるのか。
最初はグループアイドルが何たるかなんて全くわからず、ただ惹かれたから推した。いや、推すなんて言葉すら知らなかった。ただただ、心を打ち抜いた。それしか理由がなかった。

考えてみればそれまで、モーニング娘。やAKB48も、存在は知っていた。だけど熱狂的に応援するまでには至らずここまできた。TVで観かけたら観る、とかその程度だった。
少なくともLIVEに行こうとはしなかったし、握手会なんてさらにありえなかった。

それが漢字欅・ひらがなけやきでここまで変わるんだから、なんというか、自分の人生すら自分でどうなるかわかったものではない。



日向坂はもちろんひらがなけやきの改名によって誕生したグループなので、結局私の中で推し活の原点であるのは間違いないのだ。たとえ欅の木からの枝分かれが起きたとしても、出自を変えることは不可能だ。


思い出す。
日向坂の1stシングルの握手会。
大阪ATCホールという、今考えたらなんであの程度のキャパのところで行なったのかと思うほどの広さで、とんでもない数のファンが集まった。当時はまだ「おひさま」なんて言葉もなかったし、漢字からひらがな・日向坂に流れてきたファンと、小坂菜緒センターのあのキャッチーさで新たにファンになった人でごった返していた。

あれから、5年と4ヶ月ほどか。

当然彼女たちはその前からアイドルしてるので、なんならベテランの域にまで達しているわけで。



つまりそれだけ推し活をしてきて、幾度となくメンバーの卒業も経験し、なんなら漢字欅もひらがなけやきも、改名という大きな節目まで経験して、少なくとも経験値はそれなりにあるはずなのに、やはりこの卒業という事象だけはどうしても慣れない。かといって、慣れて何も感じなくなる、というのもまっぴらゴメンだし。


新たな旅立ち。
笑顔で見送ってあげたい。
卒業までの日々を大切に。
その日までに思い出をたくさん作って…等々。

いや、もちろん仰るとおりで。

でもそれこそ、理屈よりも感情で生きているなと私が感じるのは、たとえそれが頭でわかっていても、どうにもコントロールできない感情というのはあるわけで。



漢字欅では、似たことがあった。
真っ先に思い出したのは、例の1.23事変だ。

もちろん事情が全然違うとはいえ、それでもインパクトは特大で、特大すぎて変な遺恨を残さないか心配になるほどだ。

確かに

加藤史帆ブログより

というしほの言葉もわかる。卒業時期を同じうする4人が、バラバラで次から次へと卒業発表する方がダメージは大きくなりそう。
とは言っても、結局一緒に発表してもそのインパクトはやはり大きいし、でも他に方法も考えられないので、仕方なかったのかなとは思う…


4人への想いはあるし、それはまたおいおい書いていきたいとは思うけれど、永遠のテーマとして、アイドルを推す者として「卒業」という言葉と一度逃げずに向き合わなきゃいけない。

そもそも、ちゃんと向き合うということを今までしてきたのだろうか。

漢字ひらがな、櫻坂日向坂、数え切れないほどの卒業生を送り出してきたはずなのに、どこかで卒業という事象と真正面から向き合おうとしなかったのではないか。
もちろん自分なりに、受け止めようと必死だった。
推しメンだからとか、そうでないとかは全く関係ない。
ベースが箱推しである以上、構成するメンバーには全員思い入れがある。特に初期からのメンバーには特別な思いもある。

寂しさ、というものに無理に蓋をして、メンバーの前途洋々たれと願うのも、もちろん尊い気持ちである。それで推す側が心から納得できればそれでいい。

でもそうでないなら。

別れを惜しんで、気が済むまで泣くのも一つだと思う。

本当にそれこそ、学校に行けないくらい、会社を休むくらいにそのメンバーのことを想って過ごす一日だって、あっていい。私はそう思っている。


ずっと引きずり続けて生活するのは、その人にとって良いことかというと、とてもそうとは思えない。それなら、一日犠牲にして自分の感情を落ち着かせるくらいでも構わないのではないかと、本当はそんな思いがあって。

ただこれは、世間一般でよく言われることとは違う。
笑って送り出そう
できることをしてあげよう
卒業しても推していこう
特に綺麗事とは思わないどころか、むしろ紛うことなく仰るとおりである。正論だ。


ただ、それこそがまさに理屈理論。

感情は別。
別かもしれない。

人は理性を纏うことで、生の感情を押し殺して生きているところが少なからずあるような気がする。
何度も言うように、それで納得できているならそれでいい。
でも、理屈と感情の整合性が取れないと、場合によっては精神に影響を及ぼすのではないかと思うこともある。

私は、感情が納得しないと先に進めないと思っている。
人生を前へ進めるためにも、一日は犠牲にしてでも、感情を納得させる時間を作ってもいいのではないかと思うのだ。


4人を推している皆様の中でも様々だろう。
最推しの卒業を初めて迎える方もあれば、今までに最推しの卒業を何度も経験している方もいるかもしれない。日向坂だけでなく、他のグループで推しメン卒業を経験した方もいるだろう。そして、その推しメンへの熱量の度合というのも人によってまちまちのはずだ。


結果として、私たちにできることは限られている。
私たちが納得しようとしまいと、その時間がやってくればメンバーは卒業していくし、グループは新しい体制で前に進んでいく。
結局のところ、否が応でも選択を迫られる。

グループの中で新しい推しメンを見つけるか
別のグループを推すのか
そもそもアイドルグループを推すことから卒業するのか

いずれにしても、感情が納得することが最優先だと思うのだ。



私自身は、ちゃんと向き合うなら、気持ちに正直になればいい、という結論になる。
決して理屈正論に振り回されることなく。
いや、最終的にはそこへ辿り着くとしても、無理はしない、時間をかけていいんじゃないか____


駅のベンチで、そんな思いを頭に駆け巡らせながら、少し落ち着いた私は、切り替えて仕事に向かうため、ようやく立ち上がる。

本当は切り替えてなんかいないけど。

矛盾するようだけど、自分の思いとは裏腹に、仕事の時間は迫っているので。

社会人の難しさよ。






前述のとおりいろんな思いはあるので、またおいおい一人一人へのnoteを書いていこうかなと。

noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。