安楽死と自然な最期
※こちらの記事は自分のイタイ記憶を整理するためにあーだこーだと自分語りしています。どうぞご容赦ください。
自分という人間に、失望した、がっかりした瞬間というのはいくつかあります。
わたしは機能不全家庭でいじめられ、学校でもいじめられ、地域でも孤立し、自尊感情が著しく損なわれた状態で育ちました。中学校は学区外で知り合いは一人もいなかったのですが、ベースにあるのが「いじめられて当然のわたし」みたいなヤツなので、当然、健全な人間関係が築ける状態になく、いまでも職場での人間関係に苦慮する日々です。
――とここまで存分に被害者ぶっておりますが、わたしという人間が、いかに矮小で小さな存在か、思い知った経験がいくつかあります。
もうせっかくだから全部書いてしまおう、ということで、実家で飼っていた犬とのエピソードです。
秋田犬にはめずらしく黒いメスでした。小学校低学年のときに生まれたての子犬として実家にやってきて、すくすくと成長、その図体の大きさにわたしは最初ビビっていたものの、噛まれたことは一度もありません。散歩もよく行っていました。相手の力が強いので、大変でした。少し億劫なこともありましたね。でもよく懐いてくれました。散歩やエサやりは母が主にしていましたが、その次くらいにわたしが散歩に連れていっていました。
高校にあがるくらいから、犬の足腰が立たなくなり始めました。大学に入って家を出て以降は、ほとんど自力で歩けなくなり、後ろ足がガリガリにやせ細り、排せつもままならない状態でした。
わたしは、そんな状態で「生きている」ことになんの価値があるんだろう、と思っていました。おそらく、このまま悪くなっていくだけだろう、楽に、旅立たせてやってもいいのではないか。
それを何度か母の前で口にしたことがあります。母は「かわいそうだから」と言いました。父にもそれとなく話したところ、「かあさんがかわいそうだと言っているから」と。両親にとっては、犬のことより自分たちの感情が優先なんだ、とガッカリしました。排せつもままならず、もう悪くなる一方の状態で、ただ生き伸びる時間は、犬にとって何の価値があるのだろう?と。しかし、犬の世話は母が行っており、それ以上のことは言えませんでした。
最後に犬と触れ合ったときのことです。
犬は、地がむき出しの冷たい車庫の床の上に、ボロボロの毛布をひいて、その上に転がっていました。
犬は家にあげない、という両親の方針でした。しかし、真冬の息が白くなる夜に、むき出しの冷たい車庫の暗い床に、転がしておくなんて。
――などと、言っても聞く耳をもつ母ではありません。ああ、そうね、でおしまいです。
車庫の電気をつけると、犬はもう自力で起き上がる力もなく、血走った眼をただ動かして、わたしの方を精いっぱいみました。
わたしは、少しの間、その腹を撫でてやりました。冷たかったです。
もう血を吐くようになった、と母が言っていたことを思い出しました。なおさら、その状態で冷たい床に転がされている犬のことを、もう直視できませんでした。
人間の都合で鎖につながれて、人間の都合で生かされて、人間の都合で放置される。わたしにできることは、せめてそんな犬に寄り添うことだったのですが、車庫は寒くて冷たくて、あまりその場にいたくありませんでした。
わたしは「じゃあね」といって、その場を去りました。犬は、精いっぱい首をひねって、わたしの方を見ていました。じゃあね、バイバイ、と言って、わたしはその場を立ち去りました。
しばらくして、犬がなくなったと母から聞きました。最期はやはり、あの冷たい車庫の床の上で、血を吐いて死んでいったそうです。母は大変悲しがり、その亡骸を埋めてやったと聞きました。
わたしは、犬が元気だったころ、母が犬をしつけている風景をみて、目を疑ったことがあります。
何かのことで「ワンワン」と吠えて、大型犬ゆえのその剣幕に当時小学生だったわたしは、おののいていました。
母は、自分の幼少期に犬猫を飼っていたので、その扱いは心得ている、と爛々と目を光らせ、犬の首輪をガッとつかみ、問答無用でその横面を平手で張り倒しました。
犬の驚いた顔を、今でも覚えています。
そう、面食らって驚いた顔をしたんです。わたしも驚きました。それはしつけではなく、立場が上の者が傲慢に下の者を従える時の、暴力に近いものがありました。それは、親と子という関係の中でも、日常的に伺えるものでした。
ああ、わたしは犬をしつけているように彼女にしつけられたんだな、と思いました。
また、この犬は賢いんだ、分かっているんだ、とも思いました。犬の口の端は少し切れて血が出ていました。それでも犬は母に反撃したりはしませんでした。
立場が上になったときに、下の者にどういった態度をとるか――そこで、その人の人間性が問われる気がします。
両親という檻の中でのわたしは、確かに立場が下でしたが、飼い主と飼い犬という関係性の中では、立場が上でした。
鎖につながれ、死を待つ身で冷たい床の上に転がされる――もちろん、排せつや食事の世話を行っていたのは両親です。しかし、そこにあったのは「自分が殺したくない」という人間のエゴであり、「できるだけ生かしておきたい」という死を忌避する感情であり、人情味のあるあたたかい介護を受けていたようには、わたしの目には見えませんでした。
そんな犬に、わたしが最期にしたこと。
少しばかり腹を撫でてやって、「じゃあね、バイバイ」と手を振ったことです。
直視できませんでした。あまり、かかわりませんでした。
犬は、あんな状態になっても、最後までわたしのことを目で追い、慕ってくれていたのに。
わたしが彼女に対して思ったのは、「早く楽になってね」でした。「何もできなくてごめんね、早く楽になればいいね」。
冷たい床に犬を転がした両親を非情というなら、わたしも血の通わない冷血な人間でしょう。
せめて、犬の首をかかえて、ひざの上に乗せて撫でてやればよかった。
安楽死が無理なら、せめて屋内に入れてやるように、もう少し強く提案すればよかった。
でも、わたしもあきらめたんです。「両親」という、絶対権力の前に、犬を投げ出して、わたしは実家から逃げました。
最後までわたしを慕ってくれた犬が、せめて天国で安らかに過ごせているように。ただただ、祈るのみです。
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