ふと思いついた物語。たぶん続かない。

 真夏の夜の駅にキラキラと舞う砂の粒は、季節外れの粉雪のように見えた。

「ねえ、キスしようよ」

 淡い色のリップグロスが、ちらりと光った。女同士で?と茶化す言葉もつげないほど、こちらを見上げる瞳は真剣だった。

「そうしたら、アノコト、チャラにしてあげてもいいよ」

 アノコト、と呟いた唇から、チロリと蛇のような赤い舌が覗いた。さっき屋台のかき氷を食べたせいだ。イチゴ味。ああ、それとも真っ赤に染め上げたリンゴ飴のせい。

「キス、したらチャラにしてくれるの」

「する、とは言ってない。してあげてもいいかなって」

 脅かされている。いや、もてあそばれているのか。

暫くして、喉がカラカラに乾いていることに気付いた。そのことに気付くまで、自分も無言だったし、相手も無言だった。

「ふざけないで」

「ふざける?」

「しかえしのつもり? こんなことして……」

 ふいに鼻先にシャンプーの香りが顕れた。吐くつもりの息を強引にふさがれ、逃げ場をなくした言葉のカタマリをごくり、と飲み込む。

 悲鳴を上げて腹の底に落ちていく、透明な言葉のカタマリ。

 真夏の夜の駅のホームに、電車の往来を告げる電子音がけたたましく響き渡った。

 風の音も、虫の音も。カラっとした装いでまるごと呑みこんでいく、無常で無慈悲な電子音。

 ああ、呑みこまれていく。

 直感的に分かってしまった。

 唇に柔らかく蓋をされ、めまいに似た絶望の中で、直感的に分かってしまった。

 呑まれて、引きずられて、とらわれてしまう。

 彼女の憎悪の渦の中に。

 わたしが犯した過ちの中に。

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