ヒトの目と自分の目
✳️こちらの記事は自分の考えを整理するために、あーだこーだイタイタしい自分語りをしております。どうぞご容赦ください。
ヒトの目が気になる質です。
改めて、ヒトの目が気になる質について気づいたことがあったので、赤裸々に記したいと思います。
もう、こうなったら全部書いちゃいますが、「NOTEに書いてみたら」と勧めてくれた方があります。
その方に、自分が書き始めたこと、自分の記事のことをお伝えしました。読まれてもいいと思ったんです。むしろ、その方に自分から教えたくてウズウズしていたくらい。
しかし、いざ実際に面識のある人に伝えると、なんかですね、頭の脳の中心に見えない枠が「すぽっ」とはまったみたいな感覚がしたんです。自分でも不思議だったのですが。
それまでは、「書くぞー書くぞー書くぞー」でした。一つ記事を書いたら次の気づきがある。「読んでもらう」ためじゃない、「いいね」とかが欲しい目的ではない(そりゃ「スキ💛」してもらえたらうれしいけれども)。いまだにプロフィールも未記入未設定、明らかに交流目的ではないのです。SNSに連携もしていません。顔写真を公開している「わたし」という実在する人間と、この記事をリンクさせたくない。絶対に致しません。
わたしは、家族からも学校でもイジメられてきたので、身近な人間というものを、根本的に信頼しておりません(できません)。寂しいこともあるのですが、それよりも「自分と言う人間をさらけだす」ことに対する警告、アラーム音がけたたましくて、近しい距離であればあるほど、「当たり障りない」ところにとどめてしまいます。「親しき仲にも礼儀あり」という格言がありますが、わたしの血縁者は、土足でこちらの庭を踏み荒らしておきながら、わたしが彼らのテリトリーをほんの少しでも乱そうとすると、烈火のごとく怒り狂い、ホラみたことかそんな人間か、と人格を否定されてきました。家族には、自分をゆだねるような個人的な相談など、覚えている限りしたことはないです。自分で結論を出したことについて、その結論を伝え、助力を得たことはありますが。
相談したいこと、自分の中でぐちゃぐちゃに絡まった糸を解きほぐす作業を、自分の「思考」の中で行ってきました。それでも、整理できないぐちゃぐちゃを、身内以上知り合い未満の方に相談したこともあります。あーだこーだ拙く垂れ流すアレコレを、親身になって話を聞いてくれた方が大半でした。なのに、自分は満たされなかった。「腑に落ちる」ところまで、納得できる感覚ではなかった。
NOTEは、ありのまま、ぐちゃぐちゃした自分、整理できない自分、何かにつけて過去と関連付けて、そこから抜け出せない自分を、「他人が読むことを前提にした」ような体裁で、赤裸々に書いています。
「わたし」という、血縁関係の中でさらけ出せない自分を、NOTEの中ではさらけ出せる。それは、安心できる、絶対安全な逃げ場所を見つけた感覚でした。
誰も知れない場所で、「誰か」に自分の話を心行くまで吐き出せる安心感。
NOTEに書いています、と伝えた方には、この自分の安全基地を「教えてもいい」と本当に思っていたんです。実際に、教えたからと言って、全部の記事を現実的に端から端まで目を通されるわけでもないでしょう。相手にもご自分の時間を有意義に過ごす権利がある。
ただ、お伝えしてその後、自分の中に「すぽっ」と見えない枠がはまって、「わーい、次何書こうワクワク」とはしゃいでいた思考が、突如落ち着いて、真顔になったような感覚があったのです。
どこかで、「ああ、「実際にわたしを知っている」人が、「読む可能性がゼロではない」以上、ここに「なんでも」書いていいことにはならない」と。現実の人間関係と完全に切り離された、わたしの安心安全基地が、自分のなかで終わってしまったような感覚でした。
本気で、NOTEの裏の裏の裏アカウントを作ろうと思いました(笑)。だけど、少し時間が経って、思い出したことがあり、記事をしたためた次第です。さー、ここから始まるよ、ウザい過去語りが。
母は、何かにつけてわたしの目に付いた言動をダメだししてきました。過干渉のモンスターヘリコプターペアレント、貧乏くじ役を「おねえちゃん」にやらせて、犬猫の言うことをきかせるように叩く蹴るのが「しつけ」です。
具体的な「これだ!」というどんぴしゃエピソードは思い出せないのですが、「なんで妹には言われなくてわたしだけ」と日常的に思っていました。
何が「許されて」、何が「許されない」のか。そこに明確な基準はなく、あるのは母の機嫌といもうとの機嫌、それから「おねえちゃんをちゃんと育てなければわたしが悪く言われる」という、母の必死な自己保身です。
わたしが、何事かに没頭しようとすると、「もう時間がない」「何をやっている」と引きずられるように意識を持っていかれる。妹が泣けば、とにかくわたしが叩かれる。不意に失敗したことでも、容赦なく責め立てられる。
「あ、くるな」とある程度は分かってきます。もちろん、ご機嫌がよかったり人の目があるなど、よそ行きの状況であれば、少々のことは許されます。逆に、完全に無防備なとき、「ここは来ないだろう」というときに、「こら!!!」と来たりする。それが、自分の意識の「外」から、ぐわしと暴力的に頭をつかまれるように襲われるような感覚なんです。
たとえが悪くて恐縮ですが、「母のご機嫌」という地雷の埋まった道を、仕方なくイヤイヤ歩いている。地雷は踏んでも爆発しないこともある。地雷を踏んでいないのに、地雷が勝手に爆発することもある。隣で妹が地雷を踏んでも、わたしが叩かれる。そんな感じです。
母がわたしをヘリコプターのように「気まぐれ」に監視する。それは、「自分の休日に、仕事で上司から、かかってくるかどうかわからない電話をずっと待っている。かかってきたら、必ず3コールで出なければならない」みたいな状態と少し似ているでしょうか。上司のほうは用があれば電話をかけてきます。相手は3コールでとってくれる。仕事ははかどりますね。電話に出なければ、どなればいいんです。「何やってんだ!仕事ナメてんのか」
部下の立場はどうでしょうか。ご飯を食べていても、羽を伸ばそうと町をぶらぶらしていても、乗り物に乗っていても、どこか「上司からの電話」が頭を離れない。
電話に出なければ、「仕事ナメんな」と叱られ、チクチクイヤミを言われます。
母の場合はね。「この子をちゃんと育てなければ!(わたしがちゃんと育てていないと言われてしまう)」というのがあったので、彼女なりに必死だったと思います。だけど、わたしはいつ爆発するかしないか分からない地雷野をいつも歩いている感覚でした。そう、母の目があるとき一挙一動、すべてです。母がいないときも、ご丁寧に妹が告げ口してくれました「おねえちゃん、あそこであんなこと言ってたよ」。
「一度言ったことがまだ分からないのか!」みたいなことも言われましたね。「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ります。次に不意にまた同じことをしでかすと「ごめんと言ったのに、まだ分かってないのか!」と。
謝意を伝えることと生活習慣を改めることの違いも、よく理解できていない人です。
とまあ、書きだすとキリがないのですが、母からのそんな精神的な圧搾がストレスで、わたしは「母がわたしを監視する目」のほかにもう一つ「自分が自分を監視する目」を、作っていたんです。
母から何も言われないように。妹に告げ口されないように。
それは、透明な枠となって、「血縁者」や職場などの「近い距離感」の方と接するときに、今でも絶大な効力を発揮します。
どこまで「許される」か。どこまで「見せてもいいのか」。わたしは、母からわたしを守るために、自分の一挙一動を監視していたのです。厳しく自分を監視し、それでも不意なことをしてしまった場合は、力尽くしたゆえの爆死ということで、もう仕方がない、と。
自分なりにここまでは努力した、だけど母の気にさわったらもう仕方がない、という慰めを、せめて欲しかったのです。でなければ、壊れてしまっていたでしょう。実家を出てもう10年以上たつというのに、まだ無意識に「自分で自分を監視する目」を持っていた。
だからといって、自分で自分を監視しなくなったら、そのふるまいが社会的に許容されるものかどうか、イマイチよく分かりません。コレもたとえが非常に悪くて恐縮ですが、一昔ほど前に「クラスメートを殴って死に至らしめてしまった」高校生がいた、とニュースで見かけました。
その高校生は、「人を殴ったことがなかったから、どのくらい強く殴ると死んでしまうのか加減が分からなかった」と言っていたそうです(わたしのあいまいな記憶を頼りに書いております)。
加減を覚える、というのは、実際に他人と触れ合って、自分が失敗「したり」、失敗「されたり」、しながら体得していく部分があると思います。
わたしは、失敗「された」(?)ことはたくさんありますが、自分のほうが、相手に対し「失敗させてもらう」経験を、幼少期にしてきませんでした。
その状態で、もう「いい大人」と呼ばれる年齢になってしまった。ヒトとの距離感、ちょうどよい加減、よく分かりません。いまさら「一緒に覚えていこう」という奇特なひとと出会えるものかも、よく分かりません。そういう意味では、幼少期にケンカしたりジャレたりするの、とても大事なのですね。動物の赤ちゃんがお互いに噛みあいこして、加減を覚えていくように。
前半記載したように、「話を聞いてくれる」人は、今までもいました。だから、引きこもったりせず、今でもなんとか社会に出て組織で働けているのだと思います。
今から取り組んでみてどうこうなることかは分かりません。ただ最近、「人との縁を育てる」ことをしてこなかったな、と思うことがあります。逃げるか、耐えるか、の二択でした。まずは、自分の中にある自分への監視の目に気付くことができましたので、次には「縁を育てる」ことができるように、また気づきと実践を重ねていきたいと思っています。
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