切れない包丁

※こちらの記事は、自分の体験を顧みて整理するために記載しています。自意識のカタマリはなはだしい自分語りを致します。どうぞご容赦ください。また、自分が講演会で聞いた内容を要約して記載していますが、何年も前のことで、大筋をとらえた意訳になります。重ねてよろしくお願い申し上げます。


 キッズキッチン創設の故坂本廣子先生の講演を聞く機会がありました。「おかあさんがいないときに、小学校低学年の女の子がひとりで料理を作る」、教育テレビ「ひとりでできるもん」の初代監修をされた方です。

「包丁で野菜を切るとき、そえる方の手はにゃんこの手」。

「お米はボウルにザルを重ねて研いだら、水が捨てやすいよ」。

「包丁の刃は、左手と右手をグーにして並べたくらいの長さがいいね」。

 今でも、番組で紹介されていた内容が懐かしく思い出されます。

 坂本先生主催の子供の料理教室キッズキッチンは、下は3歳からの子供が、「すべて自分で」、一汁二菜を作る料理教室。大人は手を出さず、そばで見守るだけです。お味噌汁に入れる豆腐も、子供が自分の掌の上で包丁を入れます。3歳の子供が、自分で、です。親の立場からすれば、「危なくて見てられない!」とつい手を出したくなるところ……。しかし坂本先生いわく、「今まで数え切れないほど料理教室を行ってきましたが、子供さんがケガをしたのは、大人の方が『こうするのよ』と見かねて子供の手を取って、一緒にやって見せようとしたときだけです。どうか手を出さないで、見守ってください。子供は自分の力で、お豆腐を掌の上で切ることができます。そして、それが子供の大きな自信になる」。――記憶があいまいな部分もありますが、大筋はこのような趣旨でした。

 また坂本先生は、「子供だから」と「おさかなさん」等といった幼児言葉を使うことはされません。相手が何才であろうと、「魚」と言われる。子供が料理で使用する道具についても、キッズキッチンでは子供の手の大きさに合わせた「よく切れる」包丁を特注で作られたとのこと。いわく、「『うちは子供に料理をさせている』、というご家庭の子供さんが、野菜を切る時に変なクセがついていました。子供の手には大きすぎる切れ味の悪い包丁で、無理に力を入れて切ろうとするから、肩が緊張して変な力が入ってしまう。かえってケガをする危険があります。子供が使う道具は、子供の体に合わせた、すっとよく切れる包丁がいいんです」

 (さて、ここから自分の体験を思い起こした、自分語りとなります)。

 子供が料理する時にはよく切れる包丁を――と聞いて、ふと思い出したことがあります。

 大学に入って一人暮らしをすることになり、母が一通り家財道具をそろえてくれました。キッチン道具もそろえてくれたのですが、その包丁が、びっくりするくらい、とにかく「切れない」包丁でした。玉ねぎすら、刃が通らない。じゃがいもの皮なんて、とても剥けない。母に言うと「あんた、どうせ料理しないでしょ」と。料理をしない者によく切れる包丁など必要ない、ということでしょうか。

 その後、あまりに切れ味が悪いので、ホームセンターで、2000円くらいの包丁を購入しました。……まあ、見違えるようによく切れました。母に自分で包丁を買った旨を伝えると「なんでそんなもったいないことするの。どうせ、あんた料理しないのに」。

 一人暮らしを始めるわが子に、「どうせ家事はしないだろう」とまったく切れない包丁を買って渡す心理が、よく理解できません。

 実家にいるころ、母は毎日手料理を作ってくれていました。レトルト製品やレンジでチン等でなく、出汁はコンブとイリコから、正真正銘の「手料理」です。母が子供の頃、自分の親(母方の祖父母)が外で働いていたため、母の姉と一緒にご飯を作っていたとのこと。わたしの出身は田舎の漁師町で、イキのいい魚がほとんど毎日食卓に並びました。獲れたて(というかまだ生きてる)魚を包丁でシゴしていきます。母は「わたしは(嫁いでくるまで)魚なんてシゴしたことなかったのに」と言いながら、見事に皮を剥ぎ、三枚おろしにしていました。幼稚園の頃、そんな母の手さばきを横で見て、ハラワタで遊んだり、自分もウロコをそがせてもらったりしていました。

 しかし、彼女は「自分の段取り通りにならないこと」がガマンならない人でした。危ないからと滅多に包丁を持たせてもらえることはなく、お手伝いも「それはいいから宿題をしなさい」「邪魔だからどきなさい」、と。一方で、「おかあさんは、あんたくらいの頃はおねえさんと料理つくりよったで。あんたも作らんのね」と言われました。自分の思った通りに子供ができないと、イライラして「いいからあっちに行ってなさい」と言うのは、分かり切っていました。一度、母が何かのことで遅くなり、夕食の下ごしらえがまったくできていなかったことがあります。大汗をかきながら帰宅した母は、わたしの顔を見るなり、「こんなときぐらい、自分でご飯作れないのか、情けない」と言いました。台所の段取りが狂うからと手を出させてもらえず、一方で、お前は料理ができないのか、料理をしないのか、と責められる。

(余談ですが、実家は父方の祖父母と同居していましたが、祖母はまったく料理をしない人でした。得意料理はてんぷら、いつでも、てんぷら。または出来合いのもの。父は、結婚する際、母に「お願いだからできるだけ料理を毎日手作りして欲しい」といった趣旨のことを言ったそうです。それにしては、彼は母の料理を食べきれず、よく残しています。わたしが育った環境は機能不全だとはっきり言えますが、父の育った環境も機能不全でした。父自身が人の「親」となるのに精神的な難があり(情緒的に小学生くらいの子供のようだと感じます)、「父親」という役割を果たせていないように思われます。わたし自身は父と10才くらいまで、マトモに話をしたことはありませんでしたし、今でも肉親に対する温かみを正直あまり感じません。母も情緒的に幼い方ですが、祖母にも父にも育児を手伝ってもらえず、相談できる場所もなく、さぞタイヘンだったろうと拝察します。……まあ、機能不全ネタはたくさんあるので、おいおい文字に起こしていこうと思います)

 母の手料理は(味はまあ……正直好きだったり好みでないものもあったり。なんか薄味なんですよね。減塩と薄味をはき違えてるというか)、母自身が料理好きということもあって、レトルトやレンジでチンではなく、一つ一つ下ごしらえしたホンモノの手作りでした。コトコト一日煮込んだビーフシチューは、分厚い筋肉がほどけるようにさくっと柔らかくなっていたし、ステーキのレアな感じは、個人的には専門店でもお目にかかったことがない絶妙の柔らかさ。カレーは「口に入れた瞬間甘く、徐々に辛みを増す」奥深さで舌を楽しませます。しかし、わたしは(この人から料理は教わりたくない)と思いました。彼女の「段取り」を狂わせると容赦なく攻撃され、下手に手を出すと「そんなこともできないのか、おかあさんが子供の頃は……」とこき下ろされる。料理を覚えたい気持ちもありましたが、彼女の神域である台所には極力近づかないようにしていました。

 そんなこんなで、わたし自身は料理はほとほとしてこなかったのです。

 母からすると、「おかあさんは毎日子供のためにこんなに料理を作ってやってるのに、子供はいっこうに覚えようとしない」といった認識だったのではないでしょうか。

 一人暮らしをし始めて、長らく料理ができないことがコンプレックスでした。だから、「料理を自分で作ることを通して、子供が自信を持てる。自尊感情を育てることができる」との坂本先生の講演は、ぐっと響くものがあった。今でも得意料理は「野菜いため」と「お雑炊」です。ウチにはコンロが1つしかないのですよ。ごった煮上等。インスタ映え?腹に収まればすべて栄養なり。

 家を出てから何年も経って、母も年を取ったのか落ち着いてきたのか、「わたしは子供に料理を教えてこなかったから」などと言いだしたことがあります。「悪いことをした、ちゃんと教えておけばよかった」のだそうです。しみじみされるのはかまいませんが、彼女がわたしにくれた唯一の調理道具は「切れない包丁」です。

 何万円もするシェフご用達の包丁が欲しかったわけじゃない。ただ、はじめて一人暮らしを経験するわが子に、「あんたどーせ料理やらないから」ではなく、「ちょっと自分でがんばってみなさい」と背中を押してもらいたかったのです。そんな温かさを、まだどこかで期待していた。母がわたしに人間らしいあたたかい情愛を注いでくれることを。わたしは、その時点で、まだ母に甘えていたのでしよう。そう、甘えていたのだ、とやっと実家を出て10年経って、思い至りました。母はわたしに、「切れない包丁を渡した」ことなんて、ひとかけらも覚えていない。「そんなヒドいことをした覚えなんてない」と平然と言うと思います。「まさか、わたし(おかあさん)が。あなた(娘)に、そんなことするはずがない」って。母の口から、ことあるごとに、何度も聞いてきました。「切れない包丁」なんて、彼女の認識の中には存在しない。母の胸中は「ああ、わたしは娘に料理を教えてこなかった」というセツナイ後悔と娘への情愛で満ちているのでしょうから。

 

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