心理学の実験
※こちらの記事は自分のイタイ記憶を整理するためにあーだこーだと自分語りしています。どうぞご容赦ください。
前記事に続き、自分のイタイ記憶を整理しよう第2弾。
こちらも、自分という人間に絶望したエピソードを切々と記載しております。どうぞ、ご注意を。
ミルグラム実験、という人間心理に迫る実験があります。
ウィキペディアの要約より、「普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもの」で、ナチスドイツで人間が見せた「残虐非道な行為」というものは、一定の条件下で誰でも起こしうる、というものです。
「問題の回答を間違うと、バツとして電流が流れる」椅子に、学生が座り、「あなた」はその電流のボタンを押す役です。学生に流れる電流は、1問間違うごとに威力が上がっていきます。「学生」は電流が流れるたび、苦痛の声を上げます。最初は「イタっ」程度から、徐々に激しく、体も跳ね上がり、絶叫が上がります。
ついに、「最大出力」の電流のボタンを押さなければならい状況になりました。何度も電流を流された学生は、絶叫を通り越して、もうぐったりしています。そこで「教授」に「大丈夫、学生の命に別状はない。だからそのボタンを押しなさい」と促されました。
果たして、「あなた」はそのボタンを押しますか?
ちなみに、「学生」はプロの役者でイタイと絶叫するのは演技、本当は電流など流れていない、「あなた」はそれを知りません。
実験の事前アンケートでは、ボタンを押すのは「1%」程度だろう、と予想されていました。しかし、結果は65%の人が、「最後のボタン」を押したということでした。
(詳細はウィキペディアの「ミルグラム実験」をご参照ください。)
平和で波風のない環境にあっては、他人事で済む話。
だけど、人間がプレッシャーをかけられた環境下で非道なふるまいをすることを、わが身をもって実感した出来事があります。
今回はそれの記憶を整理し、記載したいと思います。
わたしは機能不全家庭でいじめられ、学校でもいじめられ、地域でも孤立し、自尊感情が著しく損なわれた状態で育ちました。
ずいぶんと被害者ぶったことを申しておりますが、わたし自身はその環境のなかで開き直ってしまっていた節があり、「こんなにガマンさせられているのだからこのくらい許されるだろう」とか、年下のきょうだいなどに対しても「こんなにガマンしているのだから、当然このくらいの我は通していいだろう」みたいな態度でありました。家族の中では、とにかく貧乏くじ役でしたが、「おねえちゃんはすごい、勉強ができる」とヨイショされ(実際は妹の方がいわゆる偏差値の高い大学を出ております)、些末な部分で「おねえちゃんの言う通りにする」(その日の夕飯のメニューとか(笑))と持ち上げるそぶりを見せることで、うまく飼いならされていたのだと思います。
ただ、本来下の立場である妹に対して、尊大ともとれる態度を取っていたことは事実ですし、下の者にとってはやはり煙たかったろうとも思います。
また、小学校4年生のときです。ある女子のネチネチと付きまとわれ、いびられ、いじめられていました。
自分がいじめられるだけなら、一方的に被害者でした。しかし、わたしは彼女に命じられ、クラスの中で気の弱かったB君を、いじめてしまったことがあります。
具体的には、彼の服のフードをつかんで倒し、廊下をずるずると引きずりまわしました。
畜生の所業です。わたしは、命じられたとはいえ、いえ、命じられて間違いなく加害者の立場にたったことがあります。
B君を引きずったのはその1回でした。B君をいじめるように命じられたことは何度かあるかもしれません。わたし自身がジワジワと精神的に圧搾されるようなストレス下におりましたので、当時の記憶自体があいまいです。ただ、B君が廊下を引きずられて「うわー、やめてー」と叫んだ声は、今でも覚えています。
わたしは笑っていました。笑いながら、B君を引きずり回しました。
自分と言う人間は、あまりに矮小で卑怯で畜生である、と。わたしは自分をいじめる女子を軽蔑しておりました。いまも軽蔑しています。しかし追い詰められた環境の中で、たやすくその軽蔑している対象の言いなりになってしまいました。
家族に対してもそうです。貧乏くじを引かされてきた。家族を軽蔑してきました。今もしています。しかし、わたしはそんな軽蔑する家族に養ってもらうしかない、おもねって生きるしかない存在であった。
自分に対する不信の原点は根強く、いくら「セルフイメージ」だ「自分を大切にする」だ「自分を許しましょう」だ言われても、ピンときません。
本当に自分が自分を許せるとしたら、同じように精神的にプレッシャーをかけられた状態で「他者を損なえ」と命じられた時に、「否」と言えた時だと思います。また、大人になった今ではなく、小学4年生のあのときに、いじめっ子から「お前、あいついじめてこいよ」と言われたときに、「いやだ」と言えていたら、何かが違っていたのかもしれません。
ミルグラム実験では、3割の被験者がボタンのスイッチを押さず、「否」と権威者に伝えたそうです。そう、3割の方は、ちゃんと「イヤだ」と断ったのです。しかし、わたしはそうではない。わたしは、環境や権力におもねって生き延びようとする、弱い卑小な存在です。その事実を忘れず、尊大にならないように心掛けていく、わたしにできる、せめてもの償いです。
また人間6割以上は、権力の命じるままに善意でそれを遂行する。その事も、肝に銘じておきたいと思います。
自分がB君に対して明らかな加害行為を犯してしまったこと、それをB君に結局詫びることもせずに、のうのうと別れてしまったこと、今でも後悔しています。
願わくば、B君があの時のことを心の傷にせずに、日々を充実して過ごしてくださっていることを、ただ祈ります。
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