【グリーフケア】震災から、そして私の年月
毎年3月になると「東日本大震災から○年」というフレーズを聞く。そのたびに私は,1年を足して数えている。
東日本大震災が起きたのは,2011年3月11日。
そのおよそ1年前の2010年3月。
私の夫に病気が見つかり,翌4月に大がかりな手術を受けた。幸い治療期間が長引くことはなかったが,首、胸、脇腹に大きな手術痕と、食事が不自由になる後遺症が残った。
後遺症を気遣って食材や食事の量を工夫する暮らしが最初のうちは不便だったが,いつしかそれが我が家の日常になった。
震災プラス1年の年数は,こうして私たち家族が病後の日々を送ってきた年数なのである。
そして術後10年目の2020年,夫は新しい病を得てあっけなく去ってしまった。
夫がいなくなった今は,病後の年数を数える必要はないはずだが、長年のならいで,今年も1年を足して数えている。
夫は、東日本大震災の被害にとても心を痛めていた。
仕事が比較的空く時期には一人で東北の被災地をめぐり,毎回同じ町を定点観測するかのように歩いた。
一度は家族4人で訪れたこともある。震災に関するテレビ番組は必ず見ていたし、復興支援関係の仕事に関心を持っていたこともある。
何がそんなに彼の心を揺さぶったのか。
無念な思いを抱いたまま波の向こうに流された人々に,突然の病に侵された自分を重ねていたのか。
胸に大きな傷跡を残しながら自分が生きる意味を探していたのか。
それはもう,わからない。
なぜ被災地へ行くのか。
そこで見た光景に何を感じたのか。
きちんと彼の言葉で聞いておけばよかった。
ほかにもたくさん,聞きたいことはあるのだけれど。
◇
投げかける相手を失った言葉を抱きながら,空を見上げる。
震災から、今年は何年過ぎただろう。
東北で遺された多くの人も,尋ねても返らぬ問いを胸に,同じ空を見上げているのだろうか。
私と同じように,宙に浮いた言葉を持てあましながら,日常を重ねている人がいる。
ぽっかりと浮かんだ雲を見上げて,冷たい風を深く吸い込んだら,再び歩き始めよう。
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