あの子はどうしているだろう
それは、2、3年前の夏の日曜日の夜7時か8時のことだった。
明日の弁当のおかずがないことに気づき、いつもより遅い時刻に買い物に出かけた。
スーパーへ行く途中、鼻血を出した男の子が茫然と立っていた。
ぎょっとした。
夏とはいえ、すっかり日が暮れている。小学校低学年くらいの子ども一人でいるのは不自然な時間だ。しかも鼻血で顔を汚したまま、街灯の下に立っているのだ。
周りに親らしい人はおらず、大人たちは遠巻きにして通り過ぎるだけ。
体より2サイズほど大きいTシャツは、うっすら汚れている。
私は
「どうしたの!?」
と声をかけ、何はともあれ血を拭こうと近くのコンビニでポケットティッシュを買い、店頭の水道でティッシュを濡らし、鼻の下にこびりついた血を拭った。
「どうして鼻血が出ているの?」
男の子は、
「・・・ ●●小学校の近くの電柱にぶつかった」
●●小学校はここから歩いて10分ほどだ。そこでぶつけてここまで歩いてきたの?でもどうしてこの時間に一人でいるの?
「お父さん、お母さんは?」
「・・・ うちにいる」
まぬけなことに、このとき私は、その子の言うことを真に受けてしまった。けがをしたことをお父さんお母さんに知らせた方がいいねと声をかけ、うちまで付き添うことにした。
男の子が立っていたコンビニからすぐ近く、1階に飲食店が入っている古ぼけたマンション。中華料理屋の油と埃が混じって煤けた階段を上がり、その子の部屋の前にきた。扉は開け放たれ、衣類が散らかっている部屋の様子が見えた。中からテレビの音が聞こえた。
その子が家に入り、またすぐ出てきた。お父さんお母さんはいないと言う。
私は、それ以上どうしていいのかわからなかった。買い物を済ませて家に帰らなければならない時間なのが気にかかってきた。
「もう大丈夫?」
「うん」
「ほんとに大丈夫?」
そんなやりとりをして、男の子を家に置いてきた。
◆
あれは、何だったの?
もしかして…?
あのときの光景が、いつまでも胸にひっかかった。マンションの前を通るたび、男の子の部屋を見上げた。もちろん、男の子を見かけることはなかった。
◆
テレビを見ていたら、児童虐待を取材し続けてきたルポライターが出演していた
「虐待を見かけたらためらわずに通報してほしい、そしてその親には声をかけてほしい」と話していた。
そのとき思い出したのは、あの夜のことだった。
私はあの時、どこかに知らせるべきだったのではないか。
せめて,もう少しじっくりと,その子の話を聞いてみてもよかったのではないか。
虐待だったのかどうかはわからない。けれど日曜日の夜間に子どもが一人でいるのは,好ましい状況には思えなかった。
そして,もしも虐待だったとしたら?
もちろん虐待があることは知っていたし、むしろ関心を持ってニュースや新聞記事を見ていた。けれど、いざこうした場面に遭遇したとき、それが何かのシグナルではないかと疑うことも、何をしていいのかもわからなかった。
自分はなんて、もの知らずでお気楽だっただろう。ただのおせっかいおばさんだ。
では、あのとき何かに気づいたとして、私は然るべきところへ連絡ができただろうか。次に同じ場面に出くわしたら何ができるだろう。
いったいどうしたらよかったのか,いまだに正解はわからない。
でも,もしものために、地元の児童相談所の電話番号をスマホのアドレス帳に登録したのだった。
* * *
参考:
2020年6月19日放送 NHK「あさイチ」 ルポライター・杉山春さん出演回
別のアカウントで公開した記事を,加筆修正のうえ掲載しました。
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