ガードレールとおともだち
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背中を抱いてくれるひともいないまま、夜の冷たいガードレールに身体をあずけた。このところ半袖の制服じゃ寒すぎる。まっしろな街灯にも温度があると勘違いしそうだ。だから肩に青いジャージを引っかけている。レイがゲーセンで取った無線イヤホンからはジェッジジョンソンのギター演奏が聞こえてくる。オレにはオーパスもいなければメイヴァースもいない。だけどボロボロでお気に入りのタオルが一枚あった。なぜか小学生のころからずっと使いつづけている色柄もののタオル。ごわごわしたそれを高校生にもなって手放せない。
かたわらに置かれたギターケースからまるまったそいつを取り出す。オレは刃を包んだ布にしばし視線を注いでいた。
「やっほ、ミツキ」
タオルをおとしてしまう。それは曲の終わりぎわ、同じ曲をループ再生するときにうまれる間隙を突いてきた。
「レイ?」
「うん。見りゃわかるでしょ」
長い髪の先端だけが黒い。それ以外はゆきのようにまっしろく肩へと伸びていた。レイの身体を維持するにはこの気候はまだあたたかすぎる。そんな妄想をしながらイヤホンをはずしポケットにいれる。その動作をしている間に、レイはおちたタオルを拾いあげた。確実に気づかれたと思って、オレは視線を地面に逃がした。
「一曲リクエストしてもいいかな?」
レイがいうので、オレは首をかしげてみせた。
「なにをやれば?」
「ミツキの好きなジェッジジョンソンから。オーパス・アンド・メイヴァース」
エンドレスにリピートされるそれのことをレイもよく知っていた。オレはアコースティックギターなりに曲を再現しながら歌い出した。助けて僕のメイプリン。それをくりかえしているさなかに彼女が話した。
「先輩にフラれちった。今日休んだのはそのせいなんよ。容姿も性格も九十点で不満はないけど、もうすでに好きなひとがいる。だからごめんて」
ねーよな。本当にねーよ。九十点のどこが不満よ。レイをフるとか見る眼がない。気づけば彼女がジャージのおなかをめくり一枚のタオルを取り出している。
「ミツキ流にオーパス・アンド・メイヴァースをやるとしたらどんななんだろうなーって考えてた」なんで?「そんでね、これは今日作ったんだ。〈ガードレール〉っていうの」
たしかにそれは赤い糸で〈ガードレール〉と刺繍された一枚の白いタオルだ。そこにはまだレイの温度が残っている。
「それでさ」
レイはオレのタオルから包丁を取り出して、月へかざしてにっこり笑う。真剣に洗った。しっかりと水気を拭きとった。だからきらきらとした輝きを跳ねかえしてくる。
「ミツキはわたしのたいせつなおともだち。このタオル、ミツキみたいにたいせつにする。だから〈おともだち〉としてもらってもいいかな?」
「だめ」
「リアルD格闘はもっとだめっだったでしょ」
そっか。ということはオレに残された時間もたいして多くはなさそうだ。ひとを殺すのはそれほど怖いことじゃなかった。でも死ぬということはとても恐ろしかった。だからオレはやりとおせずに終わった。先輩を殺してオレもいっしょに死ぬ。好きだからやるわけじゃない。レイのことを受け止めてくれなかった、どうしようもなく嫌な他人を始末しただけ。もしオレにオーパスとメイヴァースがいたらこんな結果にならずに済んだかもしれない。
「いいんだよ、ミツキ。しょうがないじゃん」
人工灯と月光を同時に跳ねかえすその包丁を見ていると、まるで海辺で潮騒を聞いているような気持ちになる。レイが服の袖をまくっていく。「やめて」と声が出ていた。「だめだよ、レイ。やめて」とリピート再生。「やめてくれ!」
「やめるよ。やめる。こんなことやめたいから」
レイが腕を振るった。包丁が宙を舞う。空高く投げあげられて、月を背後に降ってくる。オレはとっさにガードレールを天に向けてひろげた。レイは受け入れようとしている。回転しながらおちてきた刃を白いタオルで弾きかえす。赤は見えない。闇の中にそれはない。レイの身体のどこにもなかった。
ほっとして泣く。自分が傷つくのはいい。だけどレイはだめだった。
「なんにもわかんねえな、人生」
オレがそうつぶやくと、レイが背中を抱いてくれた。
「ミツキ。わたしといっしょに逃げてみない? どれくらい逃げられるかはわからないけど。それはもしかしたら夜明けまでかもしれないけど。わたしといっしょに逃げてみない?」
すこしも考えずにうなずいていた。オレにはオーパスもメイヴァースもいない。不思議な髪の色をした少女と夜明けに向かって歩き出す。
「大好きだよ、レイ」
夜の闇がもっとも深くなるその一瞬にオレはいった。返事はない。わかっている。レイが好きだったのは先輩で、それはきっといまでも変わっていないから。そしてその理由さえもオレは知らない。だから彼女の手を振り切ってから、二枚のタオルを奪って駆けだした。
「じゃあな。元気してろよ!」
ガードレールとおともだちをおおきく振る。
「なれるわけないじゃん、ばーか」
レイの顔は遠すぎて見えなかった。
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