A Passing Shooting Star
冒頭に次のような言葉が書いてあったら、作者はただのバカだ。「愛の反対は無関心である。」——訳知り顔で語る者の増えたこの言葉は、刃を潰した包丁でお互いを切りつけ合うメンヘラごっこ中毒の創作者が好む。
「他人の作ったセンテンスを模倣することは誰にでもできる。だがそれを経験則的真実として語られると薄っぺらさが際立つ。最初の一行目からテンプレ感全開でどうしよう。そしてこのまま終わったらどうしようと思ったが、その危惧は当たった。」これは流星愛がつづった感想文のひとつだ。以下、どれだけわたしの小説がへたくそか整然と書かれている。そして〆は「よって本作は疑いようもなく☆1。」だ。常人がこんな否定的かつ上から目線の文章を書かれでもしたら、ネット人格をエミュレートする脳回路がショートしてSNSに長文お気持ち表明せざるをえない。
わたしはこう返した。「感想ありがとうございました。ここまで真剣に読んでくださるなんて恐縮です。懲りずに続けていきたいと思っておりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。」まったく感情のこもっていない定型文だが、よくこんな文章で済ませたと自分を褒めてやりたいところだ。だがそれも、当時の自分がやれる範囲で自制した結果に過ぎず、歳に似合わず如才ない文章を書くものだという皮肉が混じった評価となる。
「蒼の君。自分だけの小説を書こうという気概はできたかい?」
ふちが黒くて丸い眼鏡をぐいっとあげて、髪を金髪に染めた三つ編みの先端を筆みたいにくるくる回しながら、流星愛はにやにやと笑った。わたしのアカウント名には蒼が混じっている。身バレしてからずっとこの調子だ。
部室から空を見ると曇っている。鳥の声はもっぱらムクドリの合唱で、情緒はない。そんな場所の記憶なのに、思い返すと鮮明だった。
「そんなもの、うちにはないよ」昨日買った電子書籍の感想を自由帳にしたためながら、わたしは言い返す。「まず自分の心配をした方がいいよ、葉桜さん。昨日もレスバしてたでしょ」
「啓蒙活動さ。忌憚ない意見をお待ちしていますとほざきながら、やさしく褒めてくださいというやつらの如何に多いことか。そういうやからには右ストレートだ。忖度の必要な作品など、この世にあるべきじゃあないだろ」
いまでも後悔していることがある。
「若いね、葉桜さんは。いつか思い知る時が来るよ。そういうのって、傷つくのは相手だけじゃあないんだよ」
「戦いで、傷つかずに済むことなんてないさ」
いま思えばまだまだ若かったくせに、世間の真理をわかったつもりで話していた。なにより、そんな態度を取っているのは流星愛の方じゃないかと、一方的にそう思い込んでいた。わたしはそんな自分の愚かさをいまになって恨んでいる。若者は愚かだなどという言葉は、他人に使う分には心地いい。でも自分に対して使うものじゃない。鋸で肌を引けば痕になる。
その日の自由帳には、感想文以外に走り書きがしてあった。「真実は人を傷つける。時にはやさしい嘘も必要だ。」本当にそう思っているなら、そいつは先を考えられないバカだ。
十年の月日がわたしを前途ある若者から昔お熱だった趣味を忘れられないまま夢を追いかけるふりをしているくたびれた社会人へと成長させた。いまでは年に数度それらしいオンライン短編コンテストに参加しては、二次選考突破あたりをうろちょろさせ、ささやかな自己満足を得る日々だった。そして流星愛は、オンライン甘噛み感想人・堕桜るるしあとしてチャンネル登録者数数百人のカルトな存在になっていた。ネットの評判では、どんな駄作でも甘噛みで済ませてくれる、でも指摘がだいたい急所に当たってて作者がいっそ殺してと乞うのが好き、という感じだ。
わたしは赤スパをして自分の最新作を満開全564コース(クレーム・返金お断り)に曝け出した。ヒアカムズアニューチャレンジャー。同接100人はたいへん盛り上がった。るるしあは自慢の速読と時々ぼそっとつぶやく「これは堕桜ポイント高いよ。」でチャット欄に灯油を零した。そして感想と呼ばれる福音が粗悪なスピーカーから聞こえてきた。
「文章はうまいです。きっと学生の頃からずっと頑張ってきた人ではないでしょうか——」耳を疑う言葉遣いだ。処刑フラグすきというコメントを見て、わたしは深呼吸をした。牙を待ち望んでいた。疲れていた。でも一度だって、るるしあはわたしを傷つけなかった。「いままでこのコースに投稿されたなかでは一番上手なんじゃないかな。るるしあが風説の流布で凍結を恐れるレベルで笑えます」いつもと違うるるしあに興奮する下々の者たち。わたしはもう一発赤スパで「感想ありがとうございました。ここまで真剣に読んでくださるなんて恐縮です。懲りずに続けていきたいと思っておりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。」と投げた。気づいてくれ。でもるるしあが「また読ませてね」と言ったので、わたしは積んであったハードカバーで自分の頭をぶん殴った。
寒い夜に窓の外を見る。流れ星を探すために。願い事は決まっている。昔には戻れない。ならいっそのこと終わらせることができますようにと。夜空に星は見えなかった。曇っていた。ムクドリが合唱している。そのけたたましさに、道を歩く人々は煩わしそうにしていた。星が見えたらいいのに。流れる星が。そしていまでも忘れられない、ほんとうの愛の反対が自分に向けられて欲しいと願う。
でも、なぜなのだろう。
瞼の内側で流星愛は、にやにやと笑ってこう言った。
「蒼の君。自分だけの小説を書こうという気概はできたかい?」