ピンゾロも出るときゃ出んのよ(vs相模原)
FC大阪vs SC相模原
0-5 負け
サブ
今回のnoteのテーマは「流れ」です。
まずは、遠いアウェイの地まで足を運んでくださったサポーターの皆様、本当にいつもありがとうございます。
試合前、横断幕設営の姿を見ていて、いつも感心しています。
自分も大学時代を通して、横断幕の設置、作成の大変さは理解しているつもりです。
本当に数多くの横断幕、そして、日に日に増える新作の数々、感謝しかありません。
そして、試合後はチームバス出発の時間まで残って、0-5という結果なのにも関わらず、「次、次!」「切り替えていこう!」などの声掛けをしていただき、その声は優しくも重くバスの中に届いていました。
「重く」と表現しましたが、決してその重さはネガティブなものという意図ではなく、FC大阪にとって良い負荷になり、成長させてくれるものという意味として捉えています。
軽すぎる負荷のトレーニングでは成長できないのと同じです。
今節のマッチハイライトです。↓
では、今回のテーマ、「流れ」について。
僕個人的な流れについての考え方を書いていこうと思う。
まずは、流れについて初めて考えた時の話から。
大学生の時、卒論を書き始めるにあたって、まずは、論文とはどういうものなのか、世の中の論文を読んでみようという授業があった。
その時、好きなテーマで論文に触れようということだったので、僕は論文という論理的で科学的なもので、非科学的な内容を調べようと思って、「スポーツ 流れ」と検索をかけた。
そこでヒットした数本の論文をサラッと読んでみたけど、やっぱり、論文なのにも関わらず、ざっくりとした内容だったのをなんとなく覚えている。
ただ、確実にジャンルは心理学として枠組みされていたことだけは印象的だった。
どこにも心理的な…精神的な…という表現が多かった。
これが、まず流れについて初めて深く考えた時だと思う。
それまでは、スポーツ中継で、解説が「流れが良いですね」、家族でスポーツを見ながら、「流れ悪いなー。」となんとなくそんな感じでしか触れてなかった。しかし、そのなんとなくの流れに対しての考えは、いずれも賛同できた。「流れ悪いですねー」に対して、「いや、これ流れいいでしょ」と思ったことはあまりない。
このようにざっくりとしてるにも関わらず、ちゃんとしてる流れ。
こんなにも流れはスポーツに絡みついているのに、こんなにもはっきりしていない流れ。
非常に興味深いものだと僕は思います。
まして、今や、プレーヤーの走行距離やスプリント回数、走行距離の中での高強度はどれくらいか、など、スポーツサイエンスは指数関数的に発展している。僕が無知なだけかもしれないが、流れについてはそこまで発展していないように見える。
前置きが長くなりましたが、今節はその流れに泣かされた内容になってしまったと思う。
「短い時間での複数失点」と「流れ」は切っても切り離せない関係だと思う。
そして、サッカーというスポーツは、1点ずつしかポイントを重ねることができない。
つまり、複数失点している以上、負けの確率は非常に高まってしまう。
本当に、「怖いな、」と改めて感じた今節だったと思う。
それと同時に、もっと流れを読める、感じれる選手にならなきゃなと感じた。
実際にGKというポジションはその流れを動かしやすいポジションでもある。大ピンチを救うセーブの後にすぐチームが得点するというのはサッカーあるあると言っていいのではないか。今節も、相模原のディフェンダーによるスーパークリアの後、先制されている。相模原戦があった次の日、トレーニングマッチに出場した僕のテーマは流れを感じて、プレーするというものだった。よくトレーニングやトレーニングマッチだったら、ノージャッジでリスクを取り、トライしろと言われることがある。練習だから、練習試合だから、というプレーは結局、公式戦の緊張感の中では通用しないことが多い。常に同じプレーを。これを継続して、来たるチャンスに備えていきたいとも感じた。
流れを読めるプレーヤーに。
複雑なスポーツ、サッカーを「流れ」という観点からだらだら書いてみました。
たぶん、読みにくい文章だったと思います。
流れが悪い文章でしたね。
自分でもそう思います。
そんな時があってもいいですよね。
今回も読んでいただきありがとうございました!
あと3節。
走り抜きます!!!
櫻庭立樹