最期の優しさ
夢をみて真夜中に目が覚めた。
もう一度目を閉じ、また眠りについたが同じ夢をみてまた目が覚めた。
もう一度眠りにつき、また同じ夢をみて目を覚ますと朝だった。
昨日のことだ。
信号待ちをしている時にふとその人のことが頭に浮かびぼーっと考え事をしてしまった。
そのせいで信号が青になっているのにすぐには気が付かず、後続車が軽く鳴らしてくれたクラクションでハッとして車を発進させた。
その時、赤信号を無視して走ってきた車が、猛スピードで私の目の前を通過して行った。
私が青信号に切り変わってすぐに車を発進していたら、間違いなく衝突事故になっていただろうと思う。
「守られた」と思った。
その人、Jさんは実の兄のように私を可愛がってくれた。
いつもニコニコして優しくて、料理が上手でいつか自分の店を持つ夢の為に板前修業を頑張っていた。
一緒にご飯を食べたあの夜も、なんら変わりはなかった。
それなのに、その日を最後にJさんは私達の前から姿を消した。
なぜ姿を消したのか、誰も理由を知らなかった。
Jさんのご両親は血眼になってJさんを探したが、杳として行方は分からないままに何年も過ぎた。
数年後の秋口の夜、Jさんの失踪当時の彼女だった人から電話があった。
Jさんと同じく彼女さんも私を本当の妹のように可愛がってくれていた。
「桜瑚ちゃん、落ち着いて聞いてね」
そう言うと彼女さんが、ごくりと唾を飲む音が受話器ごしに聞こえた。
「Jが見つかったの」
そう伝えた声は涙でくぐもっているようで、私はもうそれだけで分かってしまった。
冷たくなったJさんを発見したのはご両親だった。
言葉を失ったままの私に、彼女さんはJさんが見つかるに至った経緯と発見時のJさんの状況と、Jさんの遺書により明かされた失踪の理由を教えてくれた。
理由は酷いものだった。
Jさんは被害者だった。
でもそんなJさんを法律は守ってくれなかった。
Jさんは誰にも相談しなかった。
全てを自分の胸に抱えて失踪した。
そして地元から遠く離れた見知らぬ街で、自ら命を絶つことで終わりにした。
夢のなかで、私はJさんを探していた。
「信号無視の車から、守ってくれてありがとう」
そう伝えたくて、懸命にJさんを探していた。
どうしてJさんはいないんだろう…
こんなに探してるのに見つからないなんて…
気が付くと、私は誰もいない周囲の全てが真っ白い世界に迷い込んでいた。
そして目が覚めた。
3回同じ夢を見ても辿りつくのは真っ白い世界で、Jさんには会えなかった。
あんなに可愛がってくれたのに、私あての遺書はなかった。
Jさんにとって、私なんてどうでもいい存在だったんだと思った。
でも今朝、真っ白い世界から目覚めた時に分かった。
私に自分の死の形跡を残さないことが、Jさんの最期の優しさだったんだ。