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宇佐見りん『かか』

【はじめに】
この記事は、『かか』を読み終えた直後の熱が入った状態、いわゆる「変なテンション」で勢いに任せて一気に書いてしまったため、内容が薄く、見苦しい部分が多々あるかと存じます。どうかご容赦ください。
後日、もろもろ修正する予定です。

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同世代にとんでもない作家がおる喜び。
自分と大して歳の変わらん人が、こんだけの、150ページにも満たん薄さの中に、こんだけの物語を……!ていう、羨望にも似た、未だ冷めやらぬ興奮。
しかも、これがデビュー作やていう衝撃。
こんだけの作品を書いて文藝賞を受賞してデビューして、後から三島賞もかっさらって、2作目『推し、燃ゆ』で芥川賞まで貰ってもたら……いや、勿論、ほんまにすごいことなんやけど――この先、大丈夫やろか?期待に圧されて潰れてもたらどないしよ、俺やったら絶対耐えれへん、でも、どうしても、良かれと思って勝手にそんだけ重い期待してまうのは俺ら読者やし、逆に、どうかその期待のせいで宇佐見さんが筆を折らへんように祈ってまうのもまた、俺ら読者であるていう、皮肉ていうか、ジレンマていうか……。

はぁ。内臓が痛い。

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具体的な内容については、ここには一切書くつもりはありません。
僕みたいなどっかその辺の知らん奴が書いた半端な文章を読んでも 要らん先入観を持ってしまうだけです。それより早く本屋さんに行って、『かか』買って読んでみてください。お願いです。
ほんで開幕3ページで度肝抜かれてください。

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この、噴火直前の火山みたいな凄まじい小説を読み終えて、思い出したことがふたつあります。
まずひとつめ。
舞城王太郎さんという、『阿修羅ガール』という作品でこの『かか』と同じ三島賞を受賞された作家さんがおられます。
この『阿修羅ガール』をめぐる三島賞の選評は、2022年4月28日現在、新潮社さんのホームページで無料で読むことができるのですが、当時選考委員をなさっていた高樹のぶ子さんの選評の一部が、まるで宇佐見さんの登場を予言していたと思わざるを得ないほど、ぴったり当てはまると僕は思うのです。

私はかねがね「小説は大人のものだ」と思っている。無論、作者の年齢のことではない。三島由紀夫は十代で書き始めたが「老成」の相で現れた。既存の地平を切り裂いて現れる真に新しい才能は(ごく稀ではあっても)最初から大人びた顔をしてやってくるのではないか。

新潮社ホームページ
第16回三島由紀夫賞 高樹のぶ子さんの選評より引用


ふたつめは、その舞城さんが書かれた『好き好き大好き超愛してる。』という作品の、序盤の文章でした。

祈りは言葉でできている。

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』
(講談社文庫、4頁)より引用

言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について語るとき、言葉は物語になる。

同上、4-5頁より引用

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宇佐見りんさんは、まさに 現代日本文学の世界に「『老成』の相で」、「既存の地平を切り開いて現れ」た「真に新しい才能」であり、
また『かか』は、方言と、独自の「かか弁」というふたつの「言葉」によって静かに展開する、「祈り」の物語であると思います。

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